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.国際  投稿日:2015/12/2

[山内昌之]【露空軍機撃墜でトルコ窮地に】~日中・偶発的衝突への教訓に~


山内昌之(東京大学名誉教授、明治大学特任教授)

執筆記事プロフィール

11月24日のトルコ軍機によるロシア軍機の撃墜は、シリア問題や露土関係に緊迫感を与えている。パリで開かれた気候変動会議の裏舞台では、この問題が首脳たちに緊張感をもたらしている。安倍晋三首相は、エルドアンとプーチンの両大統領の仲介をとる意志を表した。まことに結構なことである。

トルコは、エネルギーの需給関係から見るなら、ガス供給国のロシアに依存というより従属している。ロシアのエネルギー「属国」或いは「衛星国」にすぎないという厳しい表現もある。プーチン大統領は、これまでエルドアン大統領が批判しない数少ない首脳であった。個人的にもまず平仄(ひょうそく)も合っていたのに、何故に今回の挙に出たのか。ロシア軍機が黒海とシリアの双方でトルコの領空を度々侵犯していたのは事実であるにせよ、今回の撃墜には分からない点が少なくない。

考えられるのは、トルコのハタイ州に隣接する地域に住む兄弟民族トルクメン人をロシアが軍事指導するシリア軍から守ろうという意志が強く出過ぎたことである。また、北シリアで自治国家をつくろうとしており、トルコの脅威になりそうなクルド人の動きを援護するロシアへの警告だった可能性も高い。

もとよりロシア軍機は幾度もトルコの領空を侵犯しており、何故に今回だけ撃墜の対象になったのかを解く材料は少ない。NATOとともにトルコ政府が事前に「最後通牒」を送っていたという説もある。また、トルコ国防軍に対する政治的優位性を示し、エルドアンの国内的な権威向上に貢献させるあまり、軍事的合理性の乏しい撃墜行為に走ったという解釈もある。

確実なのは、撃墜されたロシアの方が政治的に事件を最大限に利用する勝者であり、撃墜したトルコの側は露土戦争を回避しなくてならない意味でも敗者だということだ。ロシアは正常化の条件としてトルコに責任者の処分はじめ厳しい要求を突き付けてくるだろう。まずトルクメン人支援や北シリア(アレッポ)での戦闘関与の中止を求めるはずだ。ISとの関係断絶も明瞭に求めるに違いない。ロシアは、シリアにおけるトルコの戦略的優位性の放棄を断固として求めるのと同然の立場を堅持する。ロシアは、トルコがテロ組織と見なすシリアのクルド団体への援助を公然と強化する。

しかしロシアも過度にトルコを追い込めない。過去に何度も繰り返してきた露土戦争の経験、ギリシャやキプロスへのトルコの世論硬化の先例を見れば、ロシアとの「熱戦」を煽るジンゴーイズム(排外主義)が起こるからだ。それは現実に、トルコ国内の反クルド感情や親ISの雰囲気と結びついて危険なポストモダン型の複雑な戦争を現出させないとも限らない。

第2次冷戦から実際の熱戦への発展を阻止できるのは、米欧でなく、ロシアの自己抑制と大局観である。トルコに対するロシアの抑制が期待される。これまでの中東においては、偶発的な武力衝突が発生した場合でも、その拡大を防ぐ経験則がイスラエルやアラブ諸国は無論のこと、或る程度まではイラクと長期間戦ったイランにも備わっていた。しかし、トルコとロシアとの思いもよらぬ対立は、関係者が想定する範囲外である。エルドアンとプーチンという個性的な首脳の判断と相まって対立が深刻化する可能性もあるが、トルコが思い切って譲歩しない限り、ロシアが厳しい態度を緩和する可能性は少ない。

日本にとっての教訓もある。東アジアでは中東のような経験が少ないために、領空や領海の侵犯による偶発的な衝突の発生から戦争への拡大への発展を抑えられない危険性もある。トルコ軍機やNATO艦船に繰り返したロシア機のロックオンは、先年中国空軍機による空自機への挑発と同じであり、練度と意識の高い日本の航空自衛隊だからこそよく忍耐できたのである。

トルコの政治危機をめぐるNATOや米国の冷淡な態度もしくは冷静な対応を見るとき、米国が尖閣諸島をめぐる日中間の緊張が衝突に発展することに強い危機感をもつのは当然であろう。今回の事件は、オバマ政権が偶発的衝突のレベルでも中国との対決に踏み切る覚悟をもてるか否かについて、日本政府と国防当局が改めて検討する機会にもなったに違いない。

※トップ画像:出典 everystockphoto / Free Grunge Textures – www.freestock.ca


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