[林信吾]【サッカー人気の暗い側面】~ヨーロッパの移民・難民事情 その12~
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
概略紹介すると、2002年のワールドカップ日韓大会に、帰化して日本国籍になったブラジル出身の選手(三(さん)都(と)主(す)アレサンドロ)がいたわけだが、これについて韓国の一部のサッカーファンの間から、「やはり日本人は恥知らずだ」などという声が聞かれたという。聞かれたといっても、おおむねネットでの書き込み程度のことだったようであるが。その韓国人ジャーナリストの解説を借りれば、「ワールドカップに出場するためとは言え、異民族の力を借りるという発想が、なかなか出てこないわけですね」ということになる。国際結婚も、日本の若い世代などに比べ、ずっと少ないそうだ。
中国も、そしてもちろん日本もそうなのだが、こういった偏狭なナショナリズムは、逆に世界中から反発を受けるだけだ、ということに、早く気づいて欲しい。
日本サッカーのことでもう少し述べると、この三都主はじめラモス瑠偉などブラジル出身の選手に関しては、おおむね「我らの代表」と認められるのに、日本で生まれ育った在日の選手は、帰化して日本国籍になった事実を公言しにくかった、という一面もある。
ただ、日韓共に変化が見られることも、また事実であって、2011年1月のアジアカップでは、李忠成が優勝を決めるゴールを決めた(決勝戦。対オーストラリア)。
韓国のニュース番組でも報じられ、アナウンサーが、「ヒーローになったのは在日のイ・チュソン、日本名リ・タダナリ」などと紹介した後、PK戦で日本に負けなければ、という話の流れではあったが、「日本、おめでとうございます」
と締めくくった。
在日4世の李選手は、U18の韓国代表に一度招集されかかったこともあるのだが、実際にキャンプに行ってみたら、韓国語があまりできないこともあり、
「俺たちは在日の力なんか借りなくたって勝てるんだよ」といった扱いを受けてしまい、最終的に日本国籍を取得して日本代表を目指す決心をしたのだと聞いている。つまり、変化が見られたのはここ数年のことなのだ。
ヨーロッパでも、サッカー界における人種差別問題は深刻に受け取られている。とりわけイングランドのサッカー界では、サッカーの試合場周辺で暴れ回る「フーリガン」が、人種差別の面でも突出した存在となっていた。実際に元フーリガンで、自身の体験を本に書くなどした、ダグ・ブリムソンという人物にインタビューをしたこともあるのだが、彼の著作の記述で、驚かされたことが2点あった。ひとつは、彼はRAF(英国空軍)の整備兵として、1990年の湾岸戦争にも従軍したのだが、「初めてフットボール・バイオレンスで味わったほどのスリルは、戦場でも味わったことがない」という話。どんな修羅場なんだ、と思うではないか。
そしてもうひとつが、彼らフーリガンの間では、ゲームの勝ち負けを語るに際しても、「黒人選手が挙げたゴールは得点に数えない、という暗黙の了解があった」という話である。
もちろんこちらも、少しずつ変わってきている。サッカー界をあげて、人種差別撲滅に取り組んできたからで、具体的には、フィールドでの差別発言に対しては重いペナルティーを科す、といったことだ。象徴的なのが、世界最初のサッカー選手の労働組合であるPFA(プロフェッショナル・フットボーラズ・アソシエーション)のシンボルマークであろう。
結成当初のそれは、サッカーボールの上に勝利の月桂冠を描いたものであった。それが第一次世界大戦後、世界平和を祈念する意味で、ボールの前でふたつの手が握手をしている図柄となった。そして1971年からは、白い手と黒い手が握手をしているデザインに改められているのである。これがサッカー文化の、真にあるべき姿ではないだろうか。