シャープが鴻海を選ぶ真の理由
嶌信彦(ジャーナリスト)
「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」
決算の季節がやってきた。企業にとっても、社員にとっても悲喜交々の時期である。決算の数字は会社の成績であり、働くサラリーマンや役員にとっては最も気になる人事に結びつく。16年度は、上場企業全体の平均で3%弱程度の増益というから先進国企業群としては、まずまずとみるべきか。日本全体の実質成長率は、このところ1プラス、マイナス2%、つまりどんなに高くてもせいぜい3%、悪ければマイナス1%あたりが普通になってきているので、よほどの大当たり製品か、ベンチャーの成功物語でもない限りかつてのような2ケタ増益を出せる企業はほとんどない。
そんな今年の3月決算の話題はシャープの行方だった。日本の高度成長を支えてきた自動車と家電のうち、自動車は一時の勢いをなくしているものの、まだ海外分野で頑張っている。だが家電は三洋電機が倒れ、栄光のソニーもリストラ続きだし、中堅の星だったシャープまでが行き詰まり再建方法でもがいた。一時は政府肝いりの官民ファンド産業革新機構(勝又幹英社長)が支援に前向きの姿勢をみせ、液晶事業再建や他社を含めた白物家電の統合、出資にも意欲をみせた。
ところが、2月に入って突然、電子機器の受託製造大手、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が6000億円を超える出資を申し出たことがわかり、シャープの姿勢は一挙に鴻海に傾いた。鴻海はシャープブランドを維持したうえ、事業売却せず役員、社員の雇用も維持するという好条件。産業革新機構側はシャープ本体に3000億円超を出資したうえで主力銀行2行に3500億円程度の債権放棄を受け入れてもらうが、役員などは退陣させ経営陣を交代させる意向といわれていた。金額的には産業革新機構側も相当踏み込んでいる。
シャープ経営陣にとっては、鴻海の完全子会社になるものの、事業売却をせず役員や社員の雇用は当面保障するという台湾側の申し出は魅力的だったに違いない。産業革新機構側からすれば、経営の失敗の責任を役員にとってもらうことは当然ながら、シャープの液晶技術などが海外に流れることを防ぐという民族主義的な大義名分もあったようだ。
――独自商品開発で伸びてきたシャープ――
シャープは、大阪に本社を置く旧早川電機がシャープペンシルや国産初のラジオ、電卓を開発するなど中堅ながら独自の商品開発で名を馳せてきた企業だった。さらに液晶TVの将来性にいち早く注目し1969年から研究開発に着手。三重県の亀山工場で生産した「アクオス」ブランドで一躍世界に名を売った。高付加価値商品で稼ぎ頭となったため、堺市に増産工場を建設したりしたが、他の家電メーカーもたちまち追いつき安値競争に走らざる得なくなっていった。
さらに2008年にリーマンショック後の家電不況で経営は一挙に悪化、その後もずるずると落ち込み、15年3月期の連結売上高は2兆7862億円と巨額だったものの、連結の最終損益は2223億円の赤字となっていた。戦後の成功企業に名を連ねていたが、もはや自力再建はムリな状況に陥っていたのである。
一方の鴻海は郭台銘会長が1974年に設立した会社で、各国から安い部品を仕入れ、安く製品を組み立てる手法で成長し日米大手電機メーカーからスマートフォンやTV、ゲーム機などを受託し急成長してきた。
もし鴻海の傘下にシャープが入るとすると、白物家電技術が海外流出し、日本勢が敗退に追い込まれたように、液晶技術も同様の運命を辿る可能性は強い。白物家電などは高付加価値製品ばかりを作り過当競争で体力を失って日本の大手電機メーカーが次々と撤退した頃、日本技術陣とそのグループが中国、韓国企業などに誘われ日本に代わる家電王国を築いていったのである。
――企業哲学を失うな――
今後、日本が技術流出を恐れて国内同士の再編に力点をおく政策をとるのか。それとも、いまや国際化時代で、特にアジアは内需の領域とみなしアウェイではなく“ホーム”ととらえるかの選択を迫られているともいえる。しかも現代は国際化、多様性の時代に入っており、東南アジアだけでなく中国、インドなども視野に入れた再編の構想力と実行力が必要ともいえる。シャープは自分たちの身の安全に視点の中心をおくだけでなく、世界のマーケットニーズや世界への貢献なども頭に入れた身の処し方とビジネス哲学を持って身を処して欲しいものだ。
高付加価値で高価な製品をつくることが日本企業のクセになっているが世界を見渡せば、戦後の日本人の欲しかったような家電製品を欲する市場、人々の方がまだ大半だろう。中国などではその辺をみて各国の市場ニーズにあった製品を供給してきたから大きく成長してきたのだと思う。日本は国内ニーズだけでなく世界の大きな市場をみて製品づくりを考えたら、まだまだ成長の余地はあるのではないか。
トップ画像:Head Office of Sharp Corporation in Osaka / Wikimedia Commons
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この記事を書いた人
嶌信彦ジャーナリスト
嶌信彦ジャーナリスト
慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、通産省、外務省、日銀、財界、経団連倶楽部、ワシントン特派員などを経て、1987年からフリーとなり、TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務める。
現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」にレギュラー出演。
2015年9月30日に新著ノンフィクション「日本兵捕虜はウズベキスタンにオペラハウスを建てた」(角川書店)を発売。本書は3刷後、改訂版として2019年9月に伝説となった日本兵捕虜ーソ連四大劇場を建てた男たち」(角川新書)として発売。日本人捕虜たちが中央アジア・ウズベキスタンに旧ソ連の4大オペラハウスの一つとなる「ナボイ劇場」を完成させ、よく知られている悲惨なシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設秘話を描いている。その他著書に「日本人の覚悟~成熟経済を超える」(実業之日本社)、「ニュースキャスターたちの24時間」(講談社α文庫)等多数。