無料会員募集中
.国際  投稿日:2016/4/10

米国務長官広島訪問 オバマ大統領は?


Japan In-depth 編集部(Emi)

広島市で、10日から主要7か国(G7)外相会合が始まる。

注目されているのが、アメリカのケリー国務長官らが平和公園にある原爆死没者の慰霊碑に献花し、原爆資料館を見学するということだ。核保有国のアメリカ、イギリス、フランスの外相が平和公園を訪問するのは初めてだ。

戦後71年、原爆を投下したアメリカの外相が広島の犠牲者に花を手向けるということの意味は、いくらアメリカ国内が大統領選一色となっている今のタイミングと言えど、決して軽いものではない。言うまでもなく、アメリカにとって広島は、特別な意味を持つ場所だ。

日本に駐在する歴代のアメリカ大使は、着任後、広島の平和公園を訪れている。しかし数年前までは、原爆が投下された8月辺りは避け、他の西日本の公務日程の中に組み込む形で、比較的ひっそりと訪問していた。

それが変わったのが、2010年。

オバマ政権下、ジョン・ルース駐日大使が8月6日の平和記念式典に初めて参列したのだ。広島市は、毎年アメリカに式典への参列を求めてきたが、それにアメリカが応じることはなかった。戦後65年で初めてのことだった。

原爆が投下された午前8時15分に合わせて開催される式典。この年も、真夏の強い日差しが照りつける中、黒いスーツに身を包んだルース駐日大使は、各国の大使や政府関係者らと並んで席に着いた。

水を求めて亡くなった多くの原爆死没者への献水、慰霊碑に毎年新たに亡くなった被爆者の名簿が納められる光景、これらをどんな思いで見つめていたのか。表情が険しく見えたのは、あまりに強い日差しのせいだったのか。この日、ルース駐日大使はコメントも発表せず、会場でも報道陣の問いかけに応じないまま広島を後にした。

「広島訪問」=「アメリカによる謝罪」なのか?

「核なき世界」を掲げるオバマ大統領の出現が大きな変化だった。しかし同時に「原爆投下は正しかった」との世論が大勢を占めるアメリカの中で、広島訪問がどれだけデリケートな問題か、無言で足早に平和公園を去る大使の背中が物語っていた。

それでもその後、アメリカの駐日大使の平和記念式典出席は続き、戦後70年の昨年は、キャロライン・ケネディ駐日大使に加え、本国の政府高官としては初めて、ローズ・ゴットメラー国務次官も参列した。

迎える広島の世論も変わってきている。被爆の惨状を知る人々からは、当然謝罪を求める声もある。

「あんな無残な最期を迎えた人々の為に、せめて謝って欲しい。」と考えるのは人間として普通の感情だ。そしてその感情を完全に封じ込めるのも不自然な行為だ。しかし今は被爆者団体でも、世界中の人々とりわけ為政者が広島を訪れ、被爆の実態・実情を知って欲しいという声が多い。広島で何があったのか世界が知らず、世界に1万数千発の核兵器があるという現実に、何よりも恐怖感を感じるのだ。

あの日、広島では原爆の熱線や爆風で、多くの人が無残な最期を迎えた。生き延びたにも関わらず、5年、10年経ってからは、白血病など放射線に起因する病気が急増し、それは今も人々を苦しめている。1945年末までに原爆によって亡くなった人は、約14万人と言われているが、戦争が終わってからもなお多くの命を奪い、長く苦しめ続けるのが核兵器の本当の恐ろしさだ。

被爆から10年後に白血病を発症し亡くなった女の子の像が平和公園にある。原爆投下時にわずか2歳だった女の子を、10年経って殺す兵器を使用し、持ち続けるアメリカに、広島を見て欲しい。

そしてG7外相会合後に焦点となるのが、5月の伊勢志摩サミットに合わせて来日するオバマ大統領が、現職の大統領として初めて広島を訪問するのかということだ。元大統領としては、1980年代にジミー・カーター氏が訪問しているが、現職の大統領となれば、意味合いは大きく異なる。

「唯一の被爆国」でありながら、アメリカの核の傘の下にいる日本の立場は非常に複雑だ。しかし、オバマ政権発足後の流れや、広島県の中でも被爆地・広島市を含む広島1区選出の岸田文雄氏が外相を務める今、核を巡る歴史的な瞬間は訪れるだろうか。


copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."