ソウル女性刺殺事件とミソジニー論争
李受玟(イ・スミン/韓国大手経済誌記者)
2016年5月20日午前7時、ソウルの最大の繁華街、江南大路(カンナムデロ)。東京渋谷駅のハチ公像のように江南大路を象徴する江南(カンナム)駅の10番出口に数千枚のポスト·イットが貼られていた。近所のオフィスで働いている会社員から近くの住民まで、性別を問わず多くの人々が「(あなたを)守ることができなくてごめんね」とポスト·イットに書いていた。
彼らがそこに集まった理由は5月18日、午前1時に江南駅周辺のあるカラオケのトイレで全く知らない男性である金(34)の刀に数回刺されて死亡した20代の女性のためだった。
現場で警察に逮捕された金は被害者を殺した理由について「女性たちから無視されて犯行を犯した」、「被害者は知らない人だ」と話した。事件が発生した直後、韓国メディアはこの事件を『江南カラオケ殺人事件』と命名して簡単に報じた。しかし警察の公式発表で金が男女共用トイレで1時間以上身を隠して、6人の男性の後、7番目に入って来た女性を狙ったという事実が確実になり、事件は「単なる殺人事件」から「女嫌い(misogyny:ミソジニー、女性嫌悪・女性蔑視)殺人」という見方に流れ始めた。
「女嫌い殺人」とこの事件を規定しようとする声は19~20日の間に、ツイッターなどで始まった追慕の動きからスタートした。 被害者が犠牲となった現場であるカラオケのトイレの代わりに、カンナムを象徴する駅の出口に集まり追慕しようとする意見もここから出た。
この事件は特に若い女性たちの共感を引き出し、韓国の人々から注目されるようになった。死亡した女性と同年の女性らは「事件が起きたその日、その時間に、そこに私がいたと思ったら、きっと殺されていたはずだ」という。そして多くの女性らは、刀を振り回した金が長時間トイレに入ってくる女性を待ち伏せしていたということで、もっと恐怖を覚える、と説明した。
実際、筆者が江南大路の追悼サイトで会った28歳の会社員A氏は「遅い夜に電車やバスに乗って家に帰る時さえ、セクハラや性的暴行の脅威に悩まされなければならなかった経験を思い出し苦しかった」と答えた。
江南駅の出口にポストイットを貼っていた女性B氏は、「それにもかかわらず短いスカートをはくのは止めない、夜遅く出かけるのだ。」と性別のせいで行動の自由を制限されることは不当だと叫んだ。
ツイッターやフェイスブックなどSNSでは、市民たちが書いた追慕のポストイットを記録したり、性差別とセクハラを受けた経験を打ち明けたアカウントなどが新しく作られ、一般の市民には馴染みのない単語だった『女嫌い』を公論の場に引き出した。(注)
それに反発し、「女嫌い」について議論する社会の雰囲気を嫌う動きも起きた。事件の捜査を受け持っている警察もその例の一つであった。事件を担当した瑞草(ソチョ)警察署は「この事件は精神病を患っている金の殺人行為で、女性をターゲットにして殺した」と発表した。有名なプロファイラーとして知名度が高いピョ・チャンウォン議員(ダブルオ民主党、元警察大教授)も警察の立場を支持しており、「被疑者の精神疾患の経歴などから、女嫌い殺人だと断定し難い」と話した。
追悼の現場には「女嫌い殺人じゃない」と主張する男性たちが直接出てデモをしたりした。彼らは被害意識がある女性らが事件を過度に拡大して多くの男性を殺人者に追い込んでいると言った。この主張に対して女性らは、不特定多数のうち殺人者を特定することができない以上、全ての男性を警戒するしかないという論理で対立した。
政治圏でも「女嫌い」かどうかをめぐって熾烈な攻防が繰り広げられた。少数政党である労働党はこの事件を女嫌いの犯罪の事例だと規定し、「犯行場所を選択し、女性が入るのを1時間以上待った。女性に無視されて犯行を犯したという説明は、単なる通り魔殺人ではないということを証明している」と論評した。
一方、与党のセヌリ党は女嫌い殺人には同意せず、事件が発生した共用トイレの安全問題を取り上げ、再発防止のための関連法を改正して規制していくという党方針を決めた。第1野党のダブルオ民主党は、前述したピョ議員や2012年の大統領選候補だった文在寅(ムン・ジェイン)議員を中心に追悼の念を発表するなどの個別的な行動だけで、女嫌いから始まった事件だとは言わなかった。
マスコミも、社ごとに立場が違った。保守系は通り魔殺人に舵を取り、進歩的な性向のマスコミでは女嫌いに焦点を合わせた。共用トイレに力を入れた会社は「空間の分離が行われるなら、むなしく殺害される女性が出ることはない」と強調したが、女性に被害妄想を持った人が犯した女嫌い殺人だと見ている会社は「空間分離の代わりに、韓国社会の男性中心主義を打破しなければならない」と声を高めた。
その後、一ヶ月が過ぎた。江南駅の出口に付いていた追悼のポストイットは別のところに運ばれ、多くの人々の記憶で事件から受けたショックや追慕の熱気は徐々に忘れられている。
しかし、今回の悲劇的な事件がフェミニストの間で主に使われていた女嫌いという単語(そしてその単語が表象する多様な社会的な流れ)を公共の領域に引き出したことは明らかだ。今や韓国社会は、消耗的な性対決の論争の代わりに自分の性(ジェンダー)によって被害を見ることを減らしていくための努力を開始しなければならない。
注:この殺人事件が議論を呼んだ後、韓国では、社会学者上野千鶴子教授の著書『女嫌い-ニッポンのミソジニー』が大きな反響を呼んだ。韓国の翻訳本「女性嫌悪を嫌悪する」が偶然同じ時期に再版された点も一部影響を及ぼしたが、日本の女嫌いの事例が同じ東アジア文化圏に属する韓国にも観察されるということで多くの読者たちの共感を得たことが理由だった。再出刊を記念して訪韓した上野教授は、連合ニュースとのインタビューで、江南駅の殺人事件に対する意見を聞くと「韓国女性たちが残したメッセージが印象的だ。韓国社会の全体に女性を強姦するような言動があふれているためにそこで生き残ったこと、偶然に被害者にならなかったことを意味する」と指摘した。
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この記事を書いた人
イ・スミン韓国大手経済誌記者
2008年11月~ 2009年8月 一般企業(商社)勤務2009年2月 延世大学卒業2010年~ 大手経済紙 記者