続・日本の社会科学が国際化できないわけ
渡辺敦子(研究者)
「渡辺敦子のGeopolitical」
前稿ですでに一定の結論めいたことを書きつつ、再びこのテーマに戻ってきたのは、先日、科学ジャーナリストの松尾義之氏が昨年出版した『日本語の科学が世界を変える』(筑摩選書)という本を読んだためだ。要点をまとめれば、「世界をリードする日本の科学の秘密は、日本語で思考されてきたからである」ということになる。大変優れた論考であることに加えて私が唸ってしまった理由は、彼のこの結論が、私が先日提出したばかりの博士論文と、ほぼ同方向を指すものだったためだ。
簡単に言えば私の論文の主旨は、ドイツで生まれた「地政学」という学問を輸入した戦前の日本人は、日本語でその理論を研究した。その結果日本地政学は、日本人の経験と言語のフィルターを経てドイツ地政学とは似て非なるものに発展した、というものである。
一方、先日発表されたノーベル経済学賞のニュースでは、日本人には大量の経済学者がいるにもかかわらず、なぜ自然科学のようにノーベル賞を取ることができないのか、という議論も散見された。
ここで湧き上がる疑問は以下の通りだ。なぜ、松尾氏の「理論」は、社会科学には当てはまらないのだろうか。つまり、日本語で思考される社会科学は、自然科学のように世界をリードできないのだろうか。
ここで「社会科学」というのは英語で“social science(社会学、政治学、経済学など)”で、日本の理系、文系分けとは異なる。ざっくり言えば人間社会を科学的に分析する学問、と言ってよい。科学とは何か、というそもそも論はここでは横に置く。結論から先に言ってしまえば、2つの科学が歴史的に辿った道筋は同じであるが、結果は異なる。それが現在の自然科学の国際化に対する社会科学の非国際化、つまり「ガラパゴス化」として現れているのではないだろうか。
つまり、社会科学も自然科学と同様に、日本語で思考され、日本独自の発展を遂げた。この点は前稿でも簡単に触れたが、その傾向は社会科学でおそらくさらに強く、それはこの科学が人間社会を研究するものである以上、その社会に即したものになるのは当然の帰結で、日本に限ったものではない。
この文脈で日本が特殊であったのは、松尾氏が指摘する通り、植民地されなかったために自国語で教育を行うという、他の非西欧諸国がかなわなかった贅沢を謳歌することができたためだ。また明治以前の日本は既に豊かな知的財産を有し、これが欧米の知識を受け入れる土壌となった 。
当然のことだが、慣れ親しんだ母国語のほうが思考を深めるのには有意義であり、また言語の違いは発想の違いを産み、これが新たな発見を産む。さらに大量に翻訳された書物は、高等教育の裾野を格段に広げ、多くの人材を発掘した。これらは、結果的に日本の自然科学の発展に大きく寄与した。
松尾氏の言う通り、語ることさえあれば伝達手段としての言語(英語)は、あとでついてくるものだ。また日本語で発表しても、有意義な研究であれば、放っておいても英語に翻訳される。特に自然事象が対象の自然科学では、多くの場合言語以外のデータで表される証拠が決定的にものを言う。松尾氏が「科学者の共通語としてのブロークン英語」と呼ぶものは、自然科学のこの決定的な特性があるからこそ成り立つものだろう。
しかし社会科学においては、このサイクルが逆に働いたようだ。この点については稿を変えて論じたい。
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この記事を書いた人
渡辺敦子
研究者
東京都出身。上智大学ロシア語学科卒業後、産経新聞社記者、フリーライターを経て米国ヴァージニア工科大学で修士号を取得。現在、英国ウォリック大学政治国際研究科博士課程在学中。専門は政治地理思想史。