『日本解凍法案大綱』6章 社団法人 その3
牛島信(弁護士)
大木は、高野が真剣な様子なので、あえて正面から反論することをためらわなかった。いつも二人でそうやって仕事をしてきたのだ。二人で議論をすれば、不思議と行き詰ったはずの道がいつもかならず開けた。何回もそんなことがあった。
大木は真正面から高野を睨みつけるように見つめると、
「会社ってのは人類の偉大な発明でな。
ゴーイング・コンサーンという英語の言葉がある。会社は永遠に続くものという意味だ。もちろん、人間が必ず死ぬこととの対比だ。人は死ぬ、会社は永遠に生きる」
と言った。続けて、
「ま、永遠に生きることが可能な装置だということだがね。
現実には1000年持つ会社はほとんどない。そもそも株式会社の歴史はそんなに長くない。
人、自然人は80歳になると死んでしまう。死ななくっても判断があやしくなるのと比べれば会社は断然違う。
もっとも、人の集団という観点からみれば、株式会社なんてひよっこだ。
なんといっても宗教団体にはかなわない。ローマカトリック2000年の歴史、法隆寺1400年。構成員が替わっても団体としてずっと継続している。そんなのと比べれば、さいきん流行の株式会社のサステナビリティなんて議論が薄っぺらにしか感じられないってところだ」
「ふーん、そういえばそうだな」
「いや、そうはいっても、いまの世の中では株式会社が全盛だ。
たとえば、株式会社になっていない個人企業では社員はおちおち働いてもいられない。社長が歳をとって働けなくなれば会社がなくなって社員が職を失うなんてところじゃ、世間では相手にしてもらえない」
と自分に言いきかせるようにつぶやいた。
「え、弁護士さんの事務所は個人企業だっていつも言ってるじゃないか。『俺のところは会社じゃないのに、若い女性の秘書たちは、「ウチの会社」って呼んでるんだよって』」
高野が口を尖らした。
「ま、そうだ。しかし、ウチは組合だからな。永続企業ではある」
「組合?なんだ、労働組合でもあるまいし」
「いやだな、違うよ。民法上の組合といって、任意組合ともいわれる組織だ」
「ああ、節税に使うやつだろう?」
「節税に使うやつと来たか。まいったな。でもそうだ。たとえば、ということでの一例だがな」
「少数株主が泣き寝入りするしかないのは、買い手が現れないからだろう?買い手が現れれば、しょせんその買い手は当て馬にしかならないからだろう?そんな役を務めてくれる人はいないからだろう?
だけど、とにかく誰かが買い手役になって譲渡承認請求さえすれば、会社は自分でなきゃ誰かに買わせるしかないんだろう?そうなれば、最後は裁判所が妥当な値段を決めてくれる、オマエそう言ってたよな。
それでいい。上等じゃないか。
だから、俺はそれをやるんだ。当て馬でいい。当て馬が存在するってことが世の中を変える。
墨田のおばちゃんはきっかけに過ぎない」
「ふーん、じゃあオマエは非上場会社の少数株を買って回ろうってわけか」
「いや、買って回るつもりはない。第一、買えないと言ったのはオマエじゃないか。
俺はただ、アラビアの壺から出てきた巨人に、『世の中の不幸な少数株主の役に立ってやれ』と言って背中をせっつかれているだけだ。
もちろん、アラビアの巨人の肩の上に乗って非上場会社の経営改善をやるのが先だ。
しょせん当て馬かもしれんが、もし株主になれれば熊ん蜂だ。ブンブンとうるさく会社につきまとう。買取りなんてのはその後のこと」
「それにしたって、なんでまた。酔狂な。
言ったろう、譲渡制限のついている会社の株は買えないんだ。所詮当て馬でしかない」
「当て馬で大いに結構。俺は、先ずは売りたい株主といっしょになって、会社に、つまり社長ってことだが、そいつに働きかけるんだ。法律の許す範囲で、しかし株主としての正当な権利の行使はためらわない。会社法にいっぱい書いてあるんだろう。コーポレート・ガバナンスにも株主との対話ってあるじゃないか」
大木が微笑をもらした。
「オマエ、勉強したな」
「俺は本気だ。場合によっては、先ず買い取って、そのうえで会社に譲受の承認を求めてもいい。会社が、俺なんかは株主にしてやらんといって会社とか会社の指定する第三者に株を売れっているのなら、それでもいい。そのための弁護士費用は俺が負担してもいいと思っている。買った値段よりも高くなれば、弁護士費用を差し引いた差額はもともとの売主に返す」
「結局は会社か会社の指定した第三社に売ることになるから、売却が成功したときだけ報酬を貰うってことにしてくれ、っていうんじゃないのか」
「まあそうなるかな」
「なにを好んで、そんな他人さまの会社に手を突っ込んで恨みを買おうなんてバカな真似を」
「目の前に困った人がいると目の前に突き付けられたからだ。小さな壺のなかに長い間閉じ込められていた巨人がこの俺にとりついたんだ。
俺は知らなかった。墨田のおばちゃんの件を決断するときには、それだけのことだとしか思っていなかった。
そしたら、蜘蛛の糸の先には、蟻の行列のように数限りもない人たちが必死の形相ですがりつき、助けを求めているってことを発見したんだ。墨田のおばちゃんだけじゃなかったってことだ。
高野の言葉が止まった。大木は黙って待っている。高野は大きく息を吸うと、再び話始めた。目つきが遠くを見つめているようだった。
「オマエ、孔子の牛の話、知っているか?」
「孔子が弟子と散歩していたら、目の前に荷物をいっぱい積んで喘ぎあえぎ歩いている牛がいた。それで孔子は、なんとかその気の毒な牛を助けてやりたいと弟子にいった」
「そしたら、弟子は『先生、世の中にいったい何頭の牛がいると思われますか』と孔子を諫めた」
「孔子は答えて言った。目の前に苦しんでいる牛がいる。それだけでどうしてお前たちには助けてやる十分な理由にならないのか、と」
そう答えると、大木は一瞬の間を置いた。高野は口を開かない。大木の番が続いた。
「孔子の言ったとおりだ。
でも、それを実行する人間はいない。」
「ああ、自分の得にならないからな。できっこないとやる前から諦めてしまうからな。
でも、俺はだからこそやりたい。
できるできないじゃない。
たぶん俺は、俺という人間はこういうことをする人間だと己を定義してから、その後に死にたいのかもしれないな。自分を定義し直したい、っていえばもっと正直かもしれんが」
「自分を定義し直したい、か。確かに正直だ。これまでの人生を否定して、新しい人生を生きようってことだからな。途方もなく野心的なことでもある。えらく調子の良い身勝手な話にも聞こえる」
「身勝手?もちろん、そいつは否定しない。俺は身勝手な男だ」
「世の中には二通りの人間がいる。20歳までに宇宙の真理を体得できたと信じ切れる人間とその他だ。たとえば吉田松陰は前者だった。
それを、オマエときたら、68にもなって人生を定義し直したい、か。
俺の頭のなかに何十年も住んでいる12世紀のペルシアの詩人が歌ってるぞ。
『われらの後にも世は永遠に続くよ、ああ!来なかったとてなんの不足があろう?』」
「オマル・ハイヤームだったな。
彼の言うとおりだ。」
「俺は、てっきりオマエはハイヤームの詩を実践しているのかと思っていたよ。
6時からのドリンクタイム、『せめて酒と盃でこの世に楽土をひらこう』だと」
「そのとおりだ。『チューリップひとたび萎めば開かない』とオマル・ハイヤームが歌っている」
俺は、チューリップが萎むのは想定していた。俺のチューリップは俺なりに大いに開いた。だから、もう萎むしかない。人と生まれた以上避けられないことだ。
萎み始めたら、酒を飲みながら日々の過ぎてゆくのを他人事のように眺めていようと考えていた。そうするしかなかった。なぜなら、人にとって『すべては一場の夢さ、一生に何を見たとて』だからな」
「だが、そのオマエの心は、どうやら『未来の幻影を逐うて現在の事実を蔑ろにする自分の心』だったということか」
「鷗外はそう書いてから11年を生きた。彼は自分が60歳で死ぬと知らなかった。
68歳の俺も自分がいつ死ぬか知らないでいる。もう10年生きているかどうかわからない。10年が叶ったとしても、生きて元気でいられるのは5年かもしれない。
俺は、こんな自分として死にたくないと思い立ったのだ。今のままで死ねば、俺はこれまでの俺でしかない」
「バブルで儲け、その金を仕舞い込み、バブルが崩壊して不動産が暴落した後になって再登場して再び不動産を買いまくった伝説の怪物なる男。なにが不足なのか。曹操のように、『烈士は暮年になるも 壮心は已まず』か。年老いても心は燃え続けている。
ひょっとすると、アラビアの壺からでてきたのはオマエ自身なのかもしれんな。
ま、オマエの人生だ。再定義でも再々定義でも勝手にするがいい。
で、再定義しようっているオマエのやることは世の中にとってどんな意味があるんだ?」
「ないね。ゼロじゃあるまいが、事実上は無いに等しい」
「自分にとっての意味があれば良いってわけか?」
「いや、実はそいつもないのかもしれない。人は所詮死ぬ。ま、幻影がかいま見えたのかな。
「おやおや、そういうことかね。
なるほどね。68歳の男の人生再定義の試みだからな。
俺から見ていると、どうやらオマエ自身にとっては大いに意味がありそうな気がするがな。
しかしなんにしても、人は死ぬまでは生きている」
「死のうは一定だからな。生まれたということは死ぬということだ」
高野らしかった。高野は昔から運命論者なのだ。高校生のころ、「試験なんて運さ」と期末試験になるとよくうそぶいて遊んでいた。
「死のうは一定か。信長だ。忍び草にはなにをしよぞってな。
非上場会社の少数株主がオマエの忍び草ってわけか。オマエが死んだ後の世の人々がオマエの話をする種か。えらくご大層な話だな。残された人間はオマエの抜け殻をながめて話に興じることになる」
「まさか。
ま、『今までは 人のことだとおもうたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん』て辞世の句を残して75歳で死んだ男が江戸時代にいたろう。そのずっと前、平安時代には「ついに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とはおもわざりけり」と嘆いた男もいた」
「そういえば、太田蜀山人も在原業平もどちらも75歳で死んでいたっけな。当時にしてはどちらも長生きだ」
先のことは分からない。人間、68になれば誰でもわかる。
それでも、70までは大丈夫なんて思っている。根拠なんてなにもありはしないさ。
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この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html