新しい小説『日本買収――団塊世代の天命』、そしてニデックのこと
牛島信(弁護士)
【まとめ】
・男と女を横軸に、日本の戦後史を縦軸にした小説『日本買収――団塊世代の天命』が刊行。
・著者の独自視点「組織と個人」がさらに昇華され、日本の巨大上場企業が実は幹部従業員の協同組合であると解き明かされる。
・小説では、いま日本が米国資本に買収されることの必然性と、その後の復活への希望も語っている。
男と女を横軸に、日本の戦後史を縦軸にした小説を書くと思い定めてから何年になったのか。もちろん、男と女は団塊の世代が念頭にあってのことだった。
その小説が完成し、このたび、『日本買収――団塊世代の天命』として幻冬舎から出していただくことになった。
何回も小説を書いているのだが、出版のためのゲラを見ている深夜、これほどの高揚感に包まれたことはなかった。不思議な気がした。私が文章を書いているのは、私が独りでやっているのではない、先人のお蔭である。強くそんな気がした。
そんな高揚した時間を持てたのは、人生の僥倖である。つくづくなにものかに感謝しないではいられない。
西行である。
「何事のおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
伊勢神宮に参拝したおりの歌との説がある。西行は僧侶である。なんとも日本的な神仏混淆である。私も日本人ながら、この歌の西行の思いには不思議な感を抱きつづけてきた。しかし、なにものかに感謝しないではいられないのは、私の真実の思いである。
それにしても、まず考えることは、石原慎太郎さんが誉めてくれるかどうか、である。
この世には男と女しかいないんだ。みんな恋愛小説が読みたいんだよ、といつも私を励ましてくれた石原さん。君に芥川賞をやりたいんだよと面と向かって繰り返してくれた選考委員だった石原さん。
私なりに解説すれば、団塊の世代、77歳の男と75歳の女の恋愛小説であるこの小説は、石原さん23歳の作『太陽の季節』のシニア版ということになる。女性との関係に若さを求めていた石原さんには決してあり得ない観点ではないかと自負している。石原さんの性は若さと分かちがたいから、私の老人同士の恋愛小説を読んでくださったら、「ほう、面白いものを書いたね」と言っていただくことができるのではないかと期待している。
この小説はそれだけではない。
私はいつも石原さんが男と女と言われるのに対して、私には組織と個人ですと申し上げてきた。その組織と個人は、さらに昇華されて日本の巨大上場企業が実は幹部従業員の協同組合であるとこの小説では解き明かされる。石原さんが私に説いてやまなかった世界とは別の世界である。私が弁護士として、若いころから大企業のトップたちへアドバイスする立場にあった経験が背景にある。組織は人の集まりであって、個人を超えるものである。しかし、その内部はどろどろとしたものである。顧問弁護士として、トップたちの本音を聞く機会がたくさんあった。貴重な体験である。弁護士としても稀有な体験だと思う。さらに私の場合は、最近になってその巨大企業に噛みつく仕事にも携わる機会を得ることができた。一身にして二生を経たといった趣であろうか。
例えばニデックである。私は2007年に雑誌プレジデントの依頼で永守さんと対談している。未だ日本電産という会社名であったときであり、年商6000億円くらいの会社であった。
今回、ニデックの第三者委員会の調査報告書を読んで、私はやはりと感じた。「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」は、それを徹底的に貫徹すれば無理が生じる。無理の結果を隠せば犯罪になることがある。
永守さんは最大の責任者である旨記載されているのだ。さらに、A氏という、いわば永守さんの御庭番的な立場の方ともみえる方についても言及がある。第三者委員会の調査に応じなかったということのようだが、私にはこの方がニデックの件の鍵を握っている気がしてならない。
ニデックが重要なのは、時価総額約10兆円だった巨大企業が5年ほどの間に三分の二から四分の三が失われてしまっているからである。被害者は株主、海外の投資家を含む株主である。事態は解明されなければならない。日本の証券市場を支える諸々の関連機関が正常に機能し得ることを世界に示す必要があるだろう。第一に来るのは金融庁である。裁判所ももちろんである。
戦後80年。国破れて山河あり。小説には、横の線に戦後すぐに生まれた団塊の世代の女と男がいる。縦の線に財閥解体以来の戦後の日本経済史が展開する。
そして、上場企業でありながら幹部従業員協同組合として歪な、しかし目覚ましい発展を遂げた日本の大企業が、日本がアメリカの支配下にあるという事実のもとで必然性をもって生じたバブルに巻き込まれ、あげくそれが当然にも崩壊し、結局失われた30年となったという歴史認識があっての小説であるつもりである。第三の敗戦。第一が1945年、第二が1985年のプラザ合意、そして2025年で第三の敗戦が始まったばかりである。
その失われた30年となってしまった元凶こそが協同組合性、すなわち現トップによる後継者指名の伝統であり、そのゆえに、いま、米国資本に買収されてしまうに至ることの必然性と、その後の日本の復活の希望を語ったつもりだ。日本とは日本人はそれをなし遂げるに違いないと思っているからである。
ちなみに、この小説の主人公二人、三津野慎一と西野礼子が最後の場面で歌っているのは、『青年の樹』というテレビドラマの主題歌である。
作詞は石原慎太郎。歌ったのは三浦洸一で石原さんの小説による昭和36年のテレビドラマのテーマソングとしてである。13歳だった私はそのテレビ番組を夢中になって観ていた。
私は礼子と同年齢である。だから、77歳の三津野と75歳の礼子はそれを声に出してそろって歌うことができる。もっとも、その歌詞のなかに「国を興せ 青年の樹よ」とあるのは、つい最近まで忘れていたようだ。石原さんは、29歳にして「国を興せ 青年の樹よ」と考えていたということなのである。
私は?
国、日本ということを石原さんのように考えていたわけではない。私は昭和24年生まれで、日本は愚かな侵略戦争をしたと教えられて青年になった。高校生のころ、日本ではなく、国際公務員になることを夢見ていた。いままったく違う考えを持つに到っているのは、自らの力で夢から醒めることに成功したからだと思っている。現実の世の中での弁護士としての経験が、私を夢物語から実際的な人間に変えたのだと感じている。これもまた独学であった。
トップ写真:街の景色を眺める窓辺で抱き合うカップルの写真素材




























