陰謀説の読み方① 「ロシア疑惑」は事実か?
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・米「ロシア疑惑」、決定的証拠はまだ出ていない。
・CNNがトランプ陣営の疑惑報道を間違いと認め謝罪、編集者ら辞任。
・国際情勢では時として「陰謀説」が流布されることがある。
アメリカではトランプ政権に関する「ロシア疑惑」が注視を集める。日本でも主要ニュースメディアがその「疑惑」を大々的に報じる。疑惑の核心は、「2016年のアメリカ大統領選挙でトランプ陣営がロシア政府機関と共謀して選挙の投票結果を不当に動かした」のかどうか、である。
その疑惑がどうも事実だろうと思わせる状況証拠は多数ある。その一方、その疑惑がどうみても事実だと断じさせる決定的証拠や具体的証拠はまだなにひとつ、出ていない。FBI(アメリカ連邦捜査局)の捜査が昨年7月から始まったのに、まだ確実な証拠は出ていないのだ。捜査が終わらないのだから当然ではあろう。その一方、反トランプ側の主要メディアはトランプ政権を黒とみて、必死の「調査報道」を続ける。だがそれでも証拠は出てこない。
それどころかこの「調査報道」の先頭の一翼を担ってきたCNNが6月23日、「トランプ陣営の有力者がロシア政府関連基金の代表とひそかに会い、共謀を図った」という自社の報道がまちがいだったと認め、撤回した。しかもその誤報を流したCNNの記者と編集者合計3人がさっそく責任をとって辞任したことも発表された。
こうなると、この「ロシア疑惑」が単にトランプ政権への攻撃とその打倒のための政治的な工作である可能性も完全には否定できなくなる。
民主党とニューヨーク・タイムズやCNNテレビなどの側が広げる陰謀説かもしれないのだ。現にトランプ政権側はそうした見解を明言している。トランプ大統領自身が「いわゆるロシア疑惑というのは民主党側の『魔女狩り』だ」と断言しているのだ。
もちろん「ロシア疑惑」がまったくの事実であり、トランプ陣営の不正行為が裏づけられて、トランプ大統領自身の弾劾へと発展する可能性も否定できない。真相はこの時点で闇の中なのだ。
さてその真相への探索はひとまずおいて、この「ロシア疑惑」を契機に国際情勢での陰謀説という現象について考えてみよう。私自身の国際報道での長年の実体験に基づく考察である。
私は新聞記者としてもう半世紀以上も働いてきた。最初は毎日新聞、現在は産経新聞の記者としてそのうちの三十数年を海外で過ごした。国際報道にあたったのだ。
ベトナム、アメリカ、イギリス、中国、またアメリカと、任地となった外国に住み、その国で起きたことを日本の読者に向けて報道する。そんな活動である。
報道だから当然ながら情報との格闘である。この情報が正しいのか。事実なのか。それともウワサであって事実ではないのか。虚偽の情報なのか。点検が日常必須の作業となる。世間で認知された公的機関や当事者が情報を発信すれば、まあそのまま報道してもよい。
発信したという事実は動かないから、とくにその情報の真実性を確認しなくても、報じてよいだろう。その場合に情報発信の主体となる機関や個人の信頼性がカギとなる。
アメリカのホワイトハウスが新しい政策を公表すれば、その政策内容は正確な情報として報じてよいのは当然だろう。だがホワイトハウスであっても、事実ではないことを事実だとして発表することもありうる。事実ではないことが確認されれば、それ自体が大きなニュースとなる。
特定の団体や個人が自分たちの直接の活動についての情報を伝えてくれば、まあその内容は事実とみてもよいだろう。だが当事者でもなく、公的機関とも関係なく、という人物が述べる情報はそのまま使うわけにはいかない。確認の作業が欠かせなくなる。
一方、その情報が示す出来事にかかわる立場にない人がなにげなくもらす言葉がもしその通りなら大ニュースだという場合もある。そんなときは他の情報源や関係筋を探して問いただし、情報の真偽を確かめることに努める。最初に聞いた情報は事実ではないウワサだと判明することもある。逆に事実であり、重大な出来事だとなることもある。
ここで、ふっと思い出すのは2000年5月の北朝鮮の金正日総書記(当時)の中国初訪問である。私は産経新聞中国総局長として北京に在勤していた。その5月のある日、「金正日がすでに中国を訪問しているらしい」というウワサを聞いた。中国政府に関係のあるような、ないような、いわゆる消息通とされる人物がささやくように語ったのだ。だがどこもそんな情報は発表も報道もしていない。
事実とすれば大ニュースである。中国外交部など関係当局にあたっても、北京の北朝鮮大使館に質問しても、「そんなことは知らない」という返事だった。
産経新聞総局の中国経験豊かな後輩記者がさらに取材しても、なんの確認も得られない。総局の中国人助手たちに北朝鮮に近い中国の北東部の鉄道の駅などに電話をして調べてもらっても、わからない。そのウワサは飛行機嫌いの金正日は列車で中国領内に入ってきたらしい、というのだった。
そのうちウワサだけはどんどん広がっていく。いわゆる未確認情報である。どんなにその情報が広がっても未確認のまま報道するわけにはいかない。そのうち2日ほどすると、中国政府外交部があっさりと金正日訪問を認めてしまった。まさかと思うウワサが実は真実の大ニュースだったわけだ。
この種の未確認情報に振り回されるという経験は新聞記者ならだれでもあるだろう。とくに日本人ジャーナリストにとって言葉の壁や政治や文化の壁のある外国での報道活動のプロセスでよく起きる。
未確認のまま報じて、事実でないと判明すれば、大誤報となる。報じないままでいれば、競争相手の記者たちに報道されてしまうという恐れがある。この種の情報が不透明のままというのは当局がそれを隠そうと、少なくとも当面、必死で報道管制を実行していたから、というケースも多い。
それとはまたまったく異なる形で記者たちを振り回し、いらいらさせる未確認情報の一種として陰謀説というのがある。私自身もずいぶんと悩まされてきた。ときにはその被害者や犠牲者になったこともある。
陰謀説とは平たくいえば、なにか大きな出来事が起きた場合、その原因は表明に出た状況とは異なり、実は秘密裡に特定の複数の組織がからみ、共謀してその出来事を起こしたのだ、と断じる「説」である。「説」という名の未確認情報だともいえる。秘密裡の動きであり、「説」だから、その真偽の証明は難しい。
「説」ではなくて、実際の陰謀というのももちろん実在する。陰謀とは一般には「ひそかにたくらむはかりごと」という意味である。二人以上の人間や二つ以上の集団、組織がなにかの行為を働こうとする、つまり謀議する、ということだろう。こうした意味での陰謀は現実にいくらでも存在する。
だが陰謀説となると、存在するのか、しないのかわからない陰謀があるのだと断じたり、ほのめかしたりすることになる。陰謀が実在するのかどうかわからない。だが実在するかもしれない。だからその段階では単に「説」であり、意味や実態は実際の陰謀よりもずっと濃い霧のなか、ということになる。
(「②陰謀はいつもそこにあった」に続く。全4回。この連載は雑誌『歴史通』2017年1月号に掲載された古森義久の論文「歴史陰謀説は永遠に消えない」に新たに加筆した記事です。)
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。