スパイ小説大御所の新作話題沸騰!
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・スパイ小説の大御所、ジョン・ル・カレの新作「スパイたちの遺産」が話題を呼んでいる。
・トランプ政権がロシアンゲートで揺れている今、タイムリーな作品だ、などと米メディア評価。
・アメリカが今や好ましくない存在として描かれている点も興味深いとの書評も。
スパイ小説といえば、ジョン・ル・カレ(John le Carré)である。(写真1)スパイの世界を迫真に描く作家としては全世界のトップともいえるだろう。なにしろこの半世紀も数えきれないほどの名作で全世界の無数の読者を魅了してきた大家なのだ。その大作家が85歳の現在、またまた新作を世に出すというのだ。
▲写真1 ジョン・ル・カレ(John le Carré) Photo by Krimidoedel
ル・カレの名を全世界に響かせたのはなんと1963年の「寒い国から帰ってきたスパイ(The Spy who came in from the Cold)」(写真2:書名は以下、いずれも日本語版のタイトル)という作品だった。イギリス人のこの作家は以来、確実なペースで国際的な話題を呼ぶ名作を世に出してきた。
▲写真2 「寒い国から来たスパイ(The Spy who came in from the Cold)」ジョン・ル・カレ著 出典: flicker by Mat Hampson
「鏡の国の戦争」(1965年刊)、「ドイツの小さな町」(1968年),「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(1974年)、「リトル・ドラマー・ガール」(1983年) 、「パーフェクト・スパイ」(1986年)、「ロシア・ハウス」(1989年)・・・など、ソ連共産党が1991年に崩壊して、東西冷戦が終わるまでは、ほとんどがソ連とイギリス・アメリカのスパイの戦いが主題だった。
ル・カレ自身がイギリス政府の外交官、さらにはかの有名な諜報機関のMI6(注1:写真3)に勤務し、ベルリンなど東西冷戦の最前線で活動した際の体験や知識に基づくスリルとサスペンスの小説ばかりだった。
▲写真3 ヴォクソール橋からテムズ川越しに見たSIS本部ビル Photo by Tagishsimon
私自身も1980年代の後半、ロンドンに勤務した時期、「パーフェト・スパイ」という大作を夢中で読んだものだった。二重スパイたちの複雑な心理や行動が危険きわまる国際情勢のなかで生き生きと描かれるさまは文字どおり手に汗を握る展開だった。
だがソ連共産党政権が倒れ、東西冷戦が終わると、ル・カレも従来のスパイの戦いの材料がなくなるのではないかと懸念された。だが彼はテーマを中南米の独裁者や麻薬組織、イスラム・テロリストなどに変えて、さらに名作を世に出し続けた。
「ナイト・マネジャー」(1993年)、「われらのゲーム」(1996年)、「パナマの仕立屋」(1997年)、「シングル&シングル」(1999年)、「ナイロビの蜂」(2001年)、「サラマンダーは炎のなかに 」(2003年)、「ミッション・ソング」(2006年)、「誰よりも狙われた男」(2008年)、「われらが背きし者」(2010年)、「繊細な真実」(2013年)・・・・・など冷戦後のヒット作も数多い。
ル・カレのこうした作品は多数が映画化もされた。テレビの連続ドラマもイギリス、アメリカ両国で人気を集めた。
彼の作品の多くには、ジョージ・スマイリーという名の主人公が登場する。中年のさえない諜報員である。これらの小説は「スマイリー・シリーズ」とも呼ばれる。(写真4)
▲写真4 英BBCテレビドラマ「スマイリーの人々(Smiley’s People)」(1982年)のDVD(表紙:主人公のジョージ・スマイリー(George Smiley) 主演:アレック・ギネス(Alec Guinness)
そのル・カレ24冊目の小説として「スパイたちの遺産」(写真5)と題する作品を9月はじめにイギリス、アメリカ両国で発売することになった。内容は再び主人公をスマイリーとその元部下にして、スパイの世界での過去と現在のしがらみを描くという。
▲写真5 「スパイたちの遺産(A legacy of Spies)」2017年9月5日発売 amazon
アメリカでもすでに大手メディアがこのル・カレの最新作の刊行を大きく報道している。「トランプ政権のロシアの諜報機関とのつながりが疑われるいま、タイムリーな作品だ」(ウォールストリート・ジャーナル8月24日の記事)などという書評記事も出たほどだ。
ニューヨーク・タイムズも8月27日付の長文の書評記事で「スパイたちの遺産」を大きく紹介し、「東西冷戦時代のスパイの子供たちが政府の諜報機関に対して訴訟を起こすという本書の中心テーマが斬新だ」とほめる一方、「ル・カレの冷戦終結後の最近の作品と同様に本書でもアメリカがいまや好ましくない存在として描かれる点も興味深い」と皮肉な政治メッセージをも盛り込んでいた。
アメリカの大手総合雑誌「アトランティック」9月号もベテラン国際ジャーナリストのデービッド・イグネーシアス氏による本書の紹介記事を掲載した。同氏は「この本は東西冷戦で西側のスパイたちが自由のためにどう戦ったかを明示するが、その献身や犠牲がいまの世界にどう寄与しているかという点でも深く考えさせる」と含蓄のある評価を書いていた。
(注1)MI6
英国秘密諜報部(Secret Intelligence Service:SIS)の一部門の呼称。公式に使用していないが、小説や映画などで一般的に広く知られている。
(本記事には複数の写真が含まれています。サイトによってはすべて表示されないことがあります。その場合は、http://japan-indepth.jp/?p=35813の記事をお読みください)
トップ画像:ジョン・ル・カレ(John le Carré)出典/theguardian photo by Jane Bown
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。