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.国際  投稿日:2019/11/8

チリ、APEC開催断念のわけ


山崎真二(時事通信社元外信部長)

【まとめ】

・APEC首脳会議中止の裏に、新興国の複雑な事情。

・チリは新自由主義の下、国際的に高い評価を受けていた。

・チリの政治混乱の原因は「中間層の台頭と経済格差の拡大」。

 

南米チリの首都サンティアゴで11月に予定されていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が国内の政治混乱から開催中止となった。同首脳会議を機に予定されていた米中首脳会談も宙に浮くなど、開催中止は関係各国に大きな波紋を広げた。一体なぜ、こんな事態が起きたのか。その背景を探ると、新自由主義の下で発展を遂げた新興国に共通する経済格差の拡大と中間層の台頭という複雑な事情が浮かび上がる。

 

■ 「中南米の優等生」だったが・・・

チリといえば、史上初めて自由選挙で誕生したアジェンデ社会主義政権をクーデターで転覆したピノチェト軍事独裁政権を思い起こす人も多かろう。しかし、チリは1970年代半ばから長らく続いた軍政の後、1990年に民政移管が実現してからは今日まで一貫して民主的選挙による政権交代が行われ、政情は安定。経済面では他の中南米諸国に先駆けて新自由主義の下、民間主導の開放経済路線を推進し持続的成長を達成、中南米地域で最も安定した民主主義国家と国際的に高い評価を得ていた国。「中南米の優等生」と呼ばれるゆえんだ。

2010年には経済協力開発機構(OECD)の仲間入りを果たす。経済外交にも積極的に取り組み、米国、カナダ、欧州連合(EU)、韓国、中国などと自由貿易協定(FTA)を締結、アジア太平洋地域との関係も重視し、APECには1994年に加盟。対日関係では2007年にわが国との間で経済連携協定(EPA)を結んだ。環太平洋パートナーシップ(TPP)協定の署名国でもある。

▲写真 アウグスト・ピノチェト元チリ大統領出典:Biblioteca del Congreso Nacional de Chile

 

■ 内政混乱収拾できず、「苦渋の決断」

APECに関しても2004年に首脳会議を開催しており、今回も開催国としての役割が期待されていただけに、開催中止は各国に大きな驚きと衝撃を与えた。チリのピニェラ大統領は開催中止の理由について、内政の混乱拡大を挙げ、苦渋の判断だったことを強調した。12月に予定されていた第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)のサンティアゴ開催中止も同時発表され、チリの国際的信用は大きく傷ついた。

▲写真 ピニェラチリ大統領出典:チリ政府ポータル

チリ内政混乱の直接のきっかけは、10月初めの地下鉄運賃値上げ。値上げに反対する学生らの過激なデモが暴動に発展。ピニェラ大統領は非常事態宣言を発令し、鎮圧を図ったものの、全土に反政府行動が拡大。大統領は地下鉄運賃の値上げ撤回のほか、新たな社会保障政策を提案、大幅内閣改造を行って事態収拾を試みたが、反政府抗議活動は収まらず、APECなどの開催断念に追い込まれた。

▲写真 10月サンディエゴのデモ出典:Wikimedia Commons; Carlos Figueroa

 

■ 貧困減少も、富の集中が顕著に

注目すべきは、今度の混乱の背景には中間層の台頭と経済格差の拡大という政治・社会的変化があることだ。チリ経済は新自由主義に基づく経済政策によって確かに高度成長を遂げ、マクロ的には成功したと言っていいい。チリは中南米で唯一、貧困率を30年前の40%から今日の10%台にまで削減した国である。新自由主義政策の推進によって貧困層が減り、中間所得層が増加。新自由主義政策下で軽んじられがちだった教育、社会福祉向上などを中間層が強く要求するようになったのが、最近の傾向である。チリの新たな中間層の矛先は富裕層に向かう。「新自由主義政策の結果、貧困は減少したとはいえ、富が極端に偏っている」(ラゴス元チリ大統領)という問題が表面化する。

国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)が今年1月公表した報告書でも、チリに関しては最も裕福な層に属する1%の人が社会全体の富の26.5%を所有、下位50%の富を合計しても、社会の富全体の2.1%にしかならないとされている。こうしたチリの「富の集中」の象徴として批判の矢面に立たされたのが、ピニェラ大統領本人である。

ピニェラ氏は航空会社や信用会社など多数の会社を経営するチリきっての大富豪で、かつて米経済誌「フォーブス」が世界の500人の富豪の一人に挙げたこともある。チリ・カトリカ大の政治学者の一人は「チリの中間層は政治的意識が高く、富の集中と経済格差拡大への不満が長年鬱積しており、今回それが爆発した」と指摘、今回の混乱が一時的なものではなく、今日のチリ社会の抱える構造的な問題に根差していると分析する。

実際、サンティアゴのメディアの報道によれば、貧富の格差を表すジニ係数でチリは0.454で、社会不安が発生する警戒ラインの0.4を上回っているという。

▲写真 セバスティアン・ピニェラ チリ大統領(右)出典:Flickr;Sebastián Piñera

チリの政治混乱について、中南米報道で知られる著名ジャーナリスト、アンドレス・オッペンハイマー氏は、チリはベネズエラなど他の中南米諸国とは全く異なり、現在の事態は経済的成功の結果起きたことであり、危機は克服されるだろうと比較的楽観的な見通しを述べている。しかし、中南米の専門家の間では「富の集中と社会的不平等拡大という新自由主義のひずみともいうべき問題を解消しない限り、チリが“優等生”から“落第生”に転落する恐れは否定できない」(ECLACの専門家)といった見方が広まりつつあるようだ。

 

トップ写真:チリ、サンディエゴ 出典:Flickr; C64-92


この記事を書いた人
山崎真二時事通信社元外信部長

 

南米特派員(ペルー駐在)、ニューデリー特派員、ニューヨーク支局長などを歴任。2008年2月から2017年3月まで山形大教授、現在は山形大客員教授。

山崎真二

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