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.国際  投稿日:2020/6/22

警察の暴力、日仏で違う意見


Ulala(ライター・ブロガー)

フランス Ulala の視点」

【まとめ】

・米同様、仏でも「警官の暴力」に対するデモ発生。

・米の警官発砲に対し、日仏で意見に違い。

・各国の文化・歴史ベースに即した判断基準の尊重を。

 

米国で起きた白人警官による黒人男性暴行死事件を受けて、デモがアメリカ、フランスを中心に起きているが、アメリカは歴史的背景もあり、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」がメインのスローガンにかかげられることが多い。

それに対して、フランスは、黒人以外の人種に対する差別も多く「人種差別」全体が対象になっており多少の違いがあるものの、両国で共通していることがある。それは、「警官の暴力」に対してもデモが行われていることだ。それほどまでに、アメリカやフランスでは、警官の暴力が多く問題になっているのだ。

そんな中、アメリカ南部ジョージア州アトランタ市で12日夜、黒人男性のレイシャード・ブルックスさんが警官ともみ合いになった末に背後から撃たれて死亡する事件が起こった。抗議の発端になったジョージ・フロイドさんの事件から3週間もたたないうちに起きたこの事件は、全米で続く騒乱と警察の暴力に対する抗議の嵐をさらに増幅させる結果になったのだ。そして、アトランタのニュースはそのままフランスにも伝えられ、フランスでもさらに警察官の在りに対して考えさせられることになった。

▲写真 ジョージフロイド氏を悼んで 出典:Flickr; Lorie Shaull

しかし、そんな中、ふと、日本のいくつかのSNSを見たところ、なんと日本では、「犯人が射殺されるのが当然だろう」との意見が大半を占めていて、そのことに大きな衝撃を受けた。SNS内では過激な論調が目立つためフランス語圏のSNSでもそういった意見はもちろん出ているのだが、ここまで大半が「警官が被害者を射殺」したことを肯定している現象はおきてない。

フランスの最初のニュースでは、「車の中で寝ていただけなのに、最後は射殺で終わった」と伝られていたが、こういった内容を見ていたフランス人は警官が悪かったと認識している人が多い。実際、何人かに感想を聞いてみたところ、誰しもが「悪いのは警察だろう」という口々にいうのだ。

なぜ、同じ動画を見ているはずなのに、日本のSNSではここまで意見が違うのだろうか?「環境の差」や「文化の差」などの違いがあるのだろうか?アメリカの意見も細かい点ではフランスとは違うと思うが、フランスと日本を比べたほどの差はないように感じる。そこで、今回、ツイッターでいろいろな人の意見を聞いてこの違いがどこからくるのかを考察してみることにした。

なぜここまで意見が変わってくるかの考察。

 

1.フランスと、日本での報じ方が違った

まず、コメントを読んでいると気が付くのが、フランスと日本での報じ方が違っていたという点だ。

フランスでのニュースでは、起こっている事件を、事実のみを語っているニュースが多い。まず、事件の始まりも、「車の中で寝ている人」がいて進路をじゃましていると警察に連絡が入ったという話から始まる。警察の記録に登録されている内容はそこから始まっているからだろう。確かに、その寝ている時点以前の内容、例えばそこまでたどりつくまでに飲酒運転しているかもしれない、などはその状況から得られる想像でしかない。そういった想像と思われることはニュースとして紹介されてないのだ。そして、他には、ジョージア州捜査局(GBI)の報告の内容と、家族の主張、現在の状況が紹介されている。(LCI)(BFMTV)(FranceInfo

一方、日本では、例えばNHKでは、「飲酒運転」の疑いで拘束しようとしたと報じられており、飲酒運転であったようなことが印象付けられている。また、朝日新聞の記事では、最初の文ですでに、「警察に対する批判の声が一層高まりそうだ」と、警察の非難に対して焦点を当てている。そして両記事とも、事件概要の詳細は語られてはいない。FNNでは、「ブルックスさんがテーザー銃を警察官に向けて撃ったため、発砲した」ことを強調し、警察への同情、人種差別の境界線あいまいさについてのコメンテーターの独自意見による解説が付けられている。

フランスで見ているニュースに比べると、日本のニュースは内容がそこまで正確に、詳細には伝えられていないうえに、各社の考えがニュースに反映される傾向があるようだ。

そして、その後、SNSではそういった情報を元に、射殺が正しいことであるとしていくアカウントも複数現れて、拡散されていった。

 

2.日本では、ニュースや専門家への信頼が低い

「なぜフランスのニュースを信じるのですか。ニュースが言っていることを信じてはいけない。」という意見をいう人がいた。

1. を踏まえると、こういった意見がもたらされることにも納得がいく。これは、日本のニュースでは事実が正確に流されているのではなく、書き手のなんらかの「意図」が含まれているのだ。「ニュースを信じるな」というのは、その意図にだまされてはいけないという意味も含まれているのだろう。

反対に、フランスの一般に向けられているニュースは、基本は知り得ている事実のみが語られている。意見は、ニュースとは別枠で討論などで述べられるのだ。しかし、そうは言っても落とし穴はある。フランスのニュースは知り得た事実を言ってはいるものの、海外のニュースの場合、その情報源は現地のメディアだ。現地のメディアが流している情報がそのままフランスのニュースになることになる。アトランタのニュースも、ほぼアメリカでのニュースと同じ内容であった。それは日本のニュースが流されるときも同じで、日本のメディアが流す、「意図が含まれている」ニュースがそのまま流れるのだ。そうなると、「何かおかしい?」と思われる内容が流れている場合も出てくる。また特定のフランス新聞では、個人の思想も含める新聞もあるが、昔からその特定メディアの記事のみが日本に紹介されることが多く、そこから「フランスのニュースを信じるな」という考えに傾いていくケースもある。

また、今回は特に新型コロナウイルス関連のニュースで、「結果的に見ても、言っていることが正確ではなかった専門家」が、テレビや一部の記事などに登場し、それが日本では大きな批判の的になっていたが、フランスにも日本のそのメディアの情報がそのまま流れていたことの影響もあるかもしれない。

 

3.日本では逃げることへの受け取り方が違う

いただいた意見の中には、日本人の分析としてこのようなのがあった。

「日本では、警察に職務質問される場合、やましいところがない限り抵抗することはまずありません。我々は、抵抗するということはやましいところがある人と認識します。ましてや、武器まで奪って逃走となれば、逃げた人に同情的にはなりません。」

日本人は公権力最強ってのが根底にあるからあそこまでお上に逆らったら撃たれて当然と考える」

まさにこの通りなのじゃないだろうか。そのため、他の方が書かれていた

「過失の判定基準がおかしい」

という意見が出てくるのであろう。

フランスの場合を考えてみると、逆らうことは正しいとはとられはしないが、逆らうことも当然のことでもあり、ある意味考えには幅がある。そのため逆らっただけで撃たれるのは通常規則ではアウトだ。警察で決められているプロトコルに従っていなければいけない。その視点から見た時、今回は、アトランタのボトムズ市長も事件後、すぐに、市警本部長の引責辞任を発表するとともに、「武器の正当な使用とは思えない」として、発砲した警官の懲戒免職を要求したことから、プロトコルに従った行動ではなかったと解釈できる。日本でも、もちろん決められた規則があり、アメリカにもあるが、それとは別に、日本の一般人としての感覚として、「抵抗し逃げることは悪事の肯定である」と絶対的に判断されることが大きい。

▲写真 アトランタ・ボトムズ市長 出典:Flickr; Netherlands Embassy

そして興味深いのが、アメリカに在住の日本人も、「警察に抵抗しないのは鉄則だ」という。多分、私も、フランスで同じ状態になったときに、同じことを言うだろう。移民としてできる最大の防御だと日本人として考えるからだ。しかし、他の国の人を見ていると、その考えは常識ではない。育ってきた環境、受けてきた扱いで、その人の常識も変わる。日本人から見て最悪な方法だと思えることをわりと普通にしている人がいて、それが正しい場もある。日本の常識だけでは断定できないこともあることを、頭の片隅に入れておくことは大切だ。

 

5.日本では平等が普通

「人種によって特権があるのが許せない」

という意見があった。これは、人種によって差別が行われる現実を、よく理解していないがゆえの言葉だろうと考えられる。

よくフランスなどの西洋と日本の違いを説明するときに、考え方の違いから説明するのだが、私はその違いを、「2分離世界観」と「共存世界観」と名付けている。聖書が元になった価値観が広がった世界では、神は人とはまったく別物であり、神と人は別の世界に住んでおり、エデンと今人間が住んでる土地は別という「2分離世界観」だ。そのように常に分離されていることが普通の世界として成り立ってきた。その結果、「労働」と「バカンス」、「警官」と「犯罪者」、「白人」と「黒人」など、常に分けて考えられる。労働を強いられる世界にいながら、いつも夢見るのは神によって追放された幸福の世界エデンの園。そのため苦しみの世界で働かされていることから逃れ、そのエデンを疑似的に体感させてくれるバカンスを最高とする。そのように日常的に世界が分離している。大抵なんでも対立で考られて「2項対立」で話がすすむ。西洋から来たディベートも「2項対立」が基本だ。分けられたり、対立した状態から物事を考え始めるのが普通のことなのだ。

しかし古事記や日本書紀が元になった価値観では、人々は神々と一緒に同じ土地に住み、結婚までして子供まで作って一緒に働き、同じ世界で共存している「共存世界観」だ。現在住んでいる場所そのものが、神々が住む世界である。だからこそ昔の人は、身近なこと、労働する中に価値があるとし、ちゃんとそこに喜びを見出してきた。そのため、議論も、きっぱりと二つに分けては考えない。世界は白黒きっぱりわけられているわけではない、グレーもあると、最初から混沌としたものをそのままとらえて考えはじめる。頭が良い人が多いせいか、それでも最終的にはちゃんと結果にたどり着く。だがその複雑さゆえに過程がわかりにくく感じる人もでてくる。また仕事を選ぶことも平等であるから、どんな仕事にもつくこともできる。生まれた家庭によって就ける職業がきまるということもない。警官も、みんな自分と同じように働いている一人にすぎなく、同様な立場の人間、世界は同じという前提で普通に考え始めるのだ。そんな中で一部のみが優遇されたと感じれば、特権と考えられるようになる。

しかし日本のように平等ならば誰かを優遇することは特権かもしれないが、区別され明らかに分離された上、差別がある世界では違ってくる。平等ではないから平等になるように努力してきた結果にできたことは、特権とはいいきれない。例えばフランスではよくあったことだが、学校の成績が同じでも、就職時には同じスタート地点に立てない。なぜか公的書類にかかされる出生地や、履歴書の写真を見て判断される。それを同じスタート地点に立てるように是正していく努力がなされているのだ。

そもそも日本とは違うベース話に、日本の感覚を持ち出してくるのは無理がある。反対にいうと、アメリカやフランスでおきていることに対応するためできた施策や考え方は、そのまま日本にはもってくるのも無理がある。なぜなら、ベースが根本的に違うからだ。それは、お互いが認識すべき重要な点である。

 

6.デモをした人たちへの非難

出された意見の中には、アトランタで起きた事件の話をしているのにもかかわらず、黒人に対する人種差別反対のデモをしたことに対して反感をもっているコメントもあった。新型コロナウィルスが拡大しないようにと、日本国民ががんばってきているなかで、その努力を無駄にするかのように行われたデモだったからだ。他国の事情を知ってもらうためにデモをしたいことは理解できるが、日本に自分たちの価値観を無理やり押し付ける前に、開催地である日本のことを理解すべきであったのは間違いない。

自分の要求だけの押し付けはただの迷惑行為であり、理解されるよりは反感を買うことの方が多いだろう。その結果、デモだけではなく、デモが行われたその理由に対しても反感が生まれてくる。また、事件後に起こった抗議デモで、最初に車の中で寝ている人がいると通報したファストフード店が燃やされたことに怒りを感じている人もいる。店に被害を与える迷惑行為は許しがたい行為なのだ。日本でデモをすることにより、そういった暴力行為が起こることも懸念されている。

他人に迷惑をかけることへの激しい嫌悪は、とくに日本では強い傾向があるのだ。

 

7.テーザー銃に対する考え方の違い

今回、射殺されたブルックスさんはテーザー銃を奪い逃走したが、あまり銃を構えた人がその辺りにいない日本では、そのテーザー銃に対して武器は武器という感覚がある。そこで、レイシャード・ブルックスさんの弁護士が、「テーザー銃はジョージア州では殺傷能力のある武器として登録されていない」と語ることに大きく反発する意見が多かった。アメリカでは、もともと容疑者を死亡させないために、実弾の入った銃の代わりに使われるようになった経緯があるが、もともと銃もあまり使われない国では、たとえそうであっても、人に危害を与えるものは、一般人の感覚では全て武器なのだろう。

この点に関しては、フランスでもテーザー銃は殺傷するための武器ではないとアメリカのニュースをそのまま伝えているものの、討論ではテーザー銃は危険だとする意見も多い。BMFTVに出演していた警官によると、逮捕時にはフランスでは使用しないとのことだ。先日、抵抗するラッパーのモハ・ラ・スクアーレ氏が逮捕されるシーンを映した動画が拡散されたが、それを見ても、柔道やラグビーのような体技を駆使して手錠をかけている。アメリカでブルックスさんに行われたように、すぐさまテーザー銃が使用されることはないのだ。

▲写真 モハ・ラ・スクアーレ氏 出典:Moha La Squale Facebook

実際のところ、テーザー銃については意見もわかれるところなので、あくまでも殺傷能力がないというのは今のところアメリカの事情をベースにした弁護士の主張ととらえることができる。使い方によって危険性が変わってくることは事実なので、状況や使用方法など総合的に判断すべきではないだろうか。そのあたりは、今後の裁判で議論され、判断される部分となるのかもしれない。

 

この事件の現在までの動き

このように、これだけ日本のSNSで警察側が擁護され、話題になった事件であるが、一方、ジョージア州の州都アトランタの検察当局は17日、この警官を殺人罪で訴追する方針を発表した。項目は重罪謀殺を含む11に及ぶ。

地元検察当局のポール・ハワード検事は、ロルフ容疑者の発砲には正当な理由がなかったと指摘。血を流して地面に倒れたブルックスさんの体を蹴ったことも、罪を重くしたと説明している。また、ハワード氏は「ブルックスさんは撃たれたとき、警官たちに死や深刻な身体的傷害をもたらす直接的な脅威を及ぼしていなかったと、われわれは結論付けた」としたのだ。

重罪謀殺は重罪を犯した際に殺意の有無に関係なく人を死亡させた場合に適用される。有罪になると、最高で死刑あるいは終身刑となる可能性もある。今後、この事件がどのようになるかは裁判で判断されていくことになるだろうが、いうまでもなく、公正な裁判になることを願うばかりだ。

アメリカもフランスも日本も、先進国とひとくくりにされた国であるが、各国の考え方は大きく違う。その結果、同じ事件の同じ動画を見ても、同じ意見になることがないのは今回のことでも理解できると思う。同様に、各国の文化・歴史ベースに即した判断基準を尊重することが重要だということもよくわかる。今後も、各国の事件を見るときには両者が気を付けるべき点といえるだろう。そして、気を付けるためにも、何かあったときに適切に対応するためにも、機会があるたびに各国の考え方が違うこととその理由を知っておくことは、とても大切であることを付け加えておく。

最後に、協力していただいた皆様にお礼を申し上げたいと思います。掘り下げていくことでいろいろなことが理解できたのも、コメントしてくださった方々のおかげです。ありがとうございました。

トップ写真:フランス・警察官(イメージ) 出典:piqsels


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