資本主義「行き詰まり」論台頭
石井正(時事総合研究所客員研究員)
「石井正の経済掘り下げ」
【まとめ】
・資本主義の行き詰まりや限界を指摘した本が人気.
・資本主義の劣化は1990年代から始まっていた。
・資本主義懐疑論を決定づけたのは猛烈な格差の拡大。
難解そうな書籍の売れ行きが好調だという。とりわけ、資本主義の行き詰まりや限界を指摘した本が人気を集めている。
背景には、コロナ禍の影響もあるが、世界的に低所得層が急増して中流階級が消滅、富がごくわずかの人々に集中する格差の拡大がある。多くの人々の間にある将来への不安感が一段と強まっているため、「資本主義はもう機能しなくなっているのではないか」との思いが醸成されていった。
こうした思いは、ここ一両年内に立ち上がってきたため、コロナ禍がきっかけとも見られている。だが、資本主義の劣化は1990年代から始まっていた。
バブル消滅以降、消費者の間には「買いたいものがなくなったな」との思いが広がり始めた。日本でかつて沸き起こった「三種の神器」(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)や、「3C」(カラーテレビ、カー、クーラー)をご近所同士で競い合うように買った熱気は失われたままだ。
資本主義経済では、資本家が売れる製品をつくるために資本を集め、そのお金を元手に設備投資に励んで生産に注力。消費者は新たな製品を購入して豊かな生活を享受するサイクルが加速し、このサイクルは無限に続くと思われていた。しかし、そのサイクルにも終わりがあるかもしれないといった印象が広がり始めたのだ。
現在もアジアをはじめとする開発途上国・地域では消費者の購買意欲は失われていないと言われている。だが、そのサイクルも時間の問題で早晩途切れるものだ、ということに先進各国の資本家、消費者は気づいてしまった。資本主義の限界を薄々ながら感づき始めたのだ。
これがオーケストラの重低音のように響き始め、徐々に音量を高め続けつつある。資本主義「たそがれ」の必要条件が整ってきたことになる。
資本主義は機能不全に陥ったのではないかと思わせたのはゼロ金利だ。20世紀末に始まったゼロ金利は、資本主義の存在意義を根っこから揺さぶる大事件。だが、市場関係者はもとより学者もその問題の大きさに気づくまで時間が掛かった。
金利をゼロにすればお金の借り手は銀行の前に列をなし、市中にあふれ返ったお金は住宅ローンや設備投資に回って経済は急回復すると識者は考えたのだろう。だが、思惑は外れる。ここ20年間、待てども借り手は現れず、経済は冷え込んだままとなった。
ゼロ金利を始めたのは日本。1999年2月に開始し、2000年8月にいったん休止したもののデメリットの大きさに仰天して翌2001年3月に再開し、今日に至っている。諸外国は当初、経済政策に失敗した日本がつけを払わされているだけのことと「上から目線」で見ていた。しかし、欧米諸国も苦境からの脱出のためにはゼロ金利は不可欠として日本の後を追った。
マネーの供給はあり余っているのに、工場や住宅を作ったりするためにお金を借りようとする資金需要が引っ込んでしまった。市中に出回るおカネが借り入れ意欲より多くなる「カネ余り」となり、資本は利益・利息・利子を生むものとする資本主義の大原則にもとる動きが現出してしまった。
これが資本主義「たそがれ」の十分条件ともなった。
社会では、「資本主義は不滅の原理ではなかったのか」との疑念が広がり、ポスト資本主義への関心を呼び覚ます中で「資本論ブーム」が加速することになった。
必要条件、十分条件がそろう中で、資本主義懐疑論を決定づけたのは猛烈な格差の拡大。
格差は、18世紀後半に始まる産業革命で顕著になった。これに触発されるようにカール・マルクスが19世紀後半に資本論を上梓。資本家と労働者の対立が先鋭化する中で、マルクス主義は行動社会学としても相当の影響力を及ぼすことになり、国際社会をも二分する勢いを呈した。
この流れに対して自由主義諸国は社会保障政策で格差是正に注力。英国は「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに徹底した社会福祉政策を推進。社会の安定を実現させた。日本も昭和20年代の労働争議の多発で社会が混乱したことを受けて、保守合同後の自民党は国民皆保険や生活保護政策などで労働者階級の不満を吸収。「三種の神器」や「3C」を行き渡らせることで社会の安定に成功。日本国民の大半が中流意識を持つ「一億総中流」社会を実現させた。
英国や日本の事例は、拡大再生産を続ける資本主義が機能していればこそ実現した結果だった。一方で、経済学者らの研究により、労働者の賃金の伸びよりも資本家がもつマネーの運用益の伸びの方がはるかに大きいことがはっきりしてきた。これにより、以前から存在した格差は、政策対応でも修復し難いほどに拡大してしまった。
こうした傾向に、新型コロナウイルスの世界的流行が拍車を掛けたため、資本主義への懐疑的な見方が広がり、新たな将来像を求める人々が「解説本」に殺到し始めたわけだ。
お金は相次ぐ金融緩和策で市中にあふれ返り、行き場を失ったお金はマネーゲームに投じられていった。労働者の賃金は上がらない一方で、マネーの保有・運用者の手元では倍々ゲームでお金が増えていき、格差は目に見えて広がっていった。これらの動きを眺めて、資本主義は行き詰ったとか、資本主義は限界に来たとする思いが一般庶民にも広がって行ったのだ。
「解説本」はいずれも、資本主義はその役割を終え、新しい社会を形成する考え方の必要性を訴えている。それぞれの「解説本」の妥当性は置くとしても、庶民の間に生まれた「なんか世の中ヘンだよね」といったもやもや感を晴らすか、ある種の方向性を示す手掛かりとして注目されているのは事実だ。このため、資本論などの「解説本」への関心は今後なお高まる可能性は捨て切れない。
トップ写真:資本主義に反対するデモ(ドイツ ベルリン、2020年5月1日) 出典:Sean Gallup/Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
石井正時事総合研究所客員研究員
1949年生まれ、1971年中大法科卒。
時事通信社入社後は浦和支局で警察を担当した以外は一貫して経済畑。
1987年から1992年までNY特派員。編集局総務、解説委員などを歴任。
時事総合研究所客員研究員。