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.政治  投稿日:2023/7/20

「セメント王」浅野総一郎物語⑤ 渋沢栄一との出会いは


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

浅野総一郎、最大の支援者は「日本の資本主義の父」渋沢栄一

・自分と会うより仕事が大事という浅野に渋沢は興味を持った。

・渋沢は浅野に「上に立っても、自ら行動することが大事」と話した。

 

富山県氷見市出身の浅野総一郎は、日本の近代化の礎を築いた人物です。セメントを始め、石炭、海運、造船など幅広く手掛け、一代で浅野財閥を築きました。

奔放で、突進する男、浅野総一郎。エネルギッシュに仕事しますが、歴史上の重要な人物が浅野の後ろ盾になりました。

最大の支援者は、渋沢栄一でした。「日本の資本主義の父」とも言われた渋沢は、浅野に対して、日本が近代国家に向かう際のエンジン役として期待をかけました。総一郎の道を次々切り開いてくれました。その「友情」は生涯、続きました。

2人はいつ、どのように知り合ったのか。明治9年春でした。浅野は29歳、渋沢は37歳でした。

当時、浅野は大塚屋という石炭商でした。富山県氷見市出身ですが、夜逃げで上京したため、偽名で生活していました。一方、渋沢は王子製紙を経営していました。浅野は、王子製紙に石炭を納入していたのです。

王子製紙は東京の王子村にあり、荒川に面していました。石炭を積んだ船は、荒川を航行し、製紙会社の近くの船着き場に到着。

「船が着いたぞ」。そんな声がすると、半裸の作業員は次々に船に乗りこみます。石炭が入った袋を肩に担ぎ、荷揚げします。荒々しい風景の中、ひときわ大きな声で、真っ黒になって汗を流す男がいました。大声で指示を出しているので、リーダーらしい。誰よりも動きは機敏で目立っていた。太い眉が印象的です。

その姿を事務所の窓越しに見ていたのは、渋沢栄一です。ある日、部下に「首に手拭いを蒔き、シャツ一枚で荷を運んでいる男は誰だ」と聞きました。

「大塚屋です」。「店主自ら、汗を流しているようだな。大塚屋に会ってゆっくり話をしたい」。渋沢はつぶやいた。

その部下は船着き場にまで下り、渋沢の意向を総一郎に伝えました。

「大塚屋さん。渋沢がお話したいと言っています」思いもよらない返事が返ってきた。

「私は昼間、一分一秒も惜しんで働いています。暇な時間は全くありません。昼に会うのは勘弁してほしいのです」。

「あの、渋沢栄一ですよ。あなた知らないのですか」

「知っていますよ。渋沢さんでしょう。王子製紙の社長さんらしいが、どんな偉い人でも、私にとっては仕事が第一です。こっちは忙しいのです。邪魔、邪魔。空いているのは夜だけです」。総一郎は終始、ぶっきらぼうでした。

渋沢栄一は既に経済御所。その部下は、その誘いを断る男にとまどいながら新鮮に感じました。「わかりました。大塚屋さん、渋沢にはその旨お伝えします」。

「無愛想な言い方でしたが、私は好感が持てました」。部下が報告すると、渋沢はますます総一郎に興味を持ちました

「俺と会うより、仕事をするのが大事というのは面白い男じゃ。日本を近代国家にするには、志を持った勤勉な商売人が重要だ。夜でもいいから仕事の悩みなんかあれば、来るように伝えてくれ」。

それから数日後の午後10時。総一郎は渋沢邸の前に立ち、門を叩きました。出てきたのは家政婦です。「大塚屋です。渋沢さんに会いに参りました」。

「旦那様はお休みになられました。今日は勘弁していただけないでしょうか」。戸惑う中。

「夜に来いと言ったから来たんです。それでは約束が違うじゃないですか。私にとって夜は11時過ぎからです。10時は宵の口ですと、渋沢さんに伝えてください。天下の渋沢栄一が嘘をついたのですか」。

総一郎が夜中に大きな声を張り上げ、家政婦は困っていました。玄関が何やら騒がしい。寝床についたばかりの渋沢は起き上がり、着替えして玄関にまで出てきました。

「どうも失礼しました。それにしてもこの時間の訪問。あなたは、噂以上に行動力がありますね。結構なことですな」と笑い飛ばした。そして総一郎を洋風の応接間に招き入れた。2人はお茶を飲みながら話し込んだ。

「きみにとっては、今はまだ宵の口なのかい。いったいいつ寝るのですか」

「午前零時に寝て、4時には起きます」

「4時間しか寝ないのか」

「それで十分です。人間は4時間以上寝ると、バカになります」。

渋沢は別れ際に「あなたは腕で飯を食べるように仕事をなさっていますが、それをこれからも続けてください。偉くなると、自分が動かずに部下に指示ばかりしている人が多いのですが、上に立っても、自ら行動することが大事です」と言いました。

総一郎は感心しました。「腕で飯を食べる」いい言葉だ。どんなに偉くなっても、自分で働こう。汗をかいて働くことこそ、俺の生き甲斐だ。その後、渋沢は総一郎にとって事業拡大の後ろ盾となりました。

(⑥につづく。

トップ写真:渋沢栄一(右)1915年ごろ

出典:Photo by Buyenlarge/Getty Images




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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