「惻隠の情」を高岡に 「高岡発ニッポン再興」その53
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・日本経団連会長、奥田碩さんの言葉が強く印象に残っている。
・「惻隠の情」とは、他人に同情する気持ち、人をあわれむ心。
・ネット社会に暮らす日本人一人ひとりがこういう時代だからこそ、惻隠の情をもって他人と接しなければならない。
トヨタ自動車の社長交代は大きなニュースとなりました。日本最強企業の14年ぶりのトップ交代。長年、トヨタ自動車を率いてきた豊田章男さんが社長の座を譲るだけに、話題性たっぷりです。新社長のかじ取りで、トヨタがどうなるのか。それは、日本経済を左右します。
そんなニュースが流れる数日前、私は東京で、経団連関係者に会いました。私が2005年に経団連担当記者だったころ、親しくさせていただいた方です。
その経団連関係者と話題になったのは、日本経団連会長、奥田碩さんのことでした。奥田さんはトヨタ会長。「何も変えないことが最も悪いことだ」といい、大企業病に陥っていたトヨタ自動車を改革しました。ハイブリッドカーの「プリウス」をトップダウンの判断で発売しました。
日本経団連会長は当時、経団連と日経連が統合してできたばかりでした。奥田さんは初代会長として辣腕を発揮していました。経済財政諮問会議のメンバーで、小泉総理の時代、構造改革を推進する一方で、歯に衣着せぬ発言をしていました。小泉総理の靖国神社参拝については、控えるよう求め、当時、極秘で訪中。胡錦濤・中国国家主席と面談しました。政界にも、大きな影響力を持っていたのです。また、月刊誌に「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」という論文を投稿。経営者に社員をリストラするなと呼びかけ、話題になりました。
その経団連関係者は「奥田さんの時代は、経団連が最も存在感があった」と振り返りました。事務方が記者会見の想定問答をつくっても、奥田さんは読まず、自分の考えを素直に話していました。その発言は一面トップになったのは、数知れず。私も担当記者として、刺激的な毎日を送らせていただきました。
その奥田氏は現在、90歳。表舞台から遠ざかっています。今は、奥さんと一緒に施設に入っていると言われていますが、経団連関係者が「奥田さんがインタビューに答えた最後の雑誌だと思います」と言って、私に2017年6月の「月刊経団連」という雑誌をくれました。
この雑誌には、当時の経団連会長の榊原定征さんのほか、名誉会長の豊田章一郎さんなどのインタビューも載せています。奥田さんはそこに印象的な言葉を残しています。
「弱者のことを全く考えないような日本社会の風潮に危機感を覚える」
「ネット社会に暮らす日本人一人ひとりがこういう時代だからこそ、惻隠の情をもって他人と接しなければならない」
惻隠の情とは、他人に同情する気持ち、人をあわれむ心のことです。奥田さんはこのままでは殺伐として社会になるとして、「武士道精神を忘れるな」という強烈なメッセージを残しているのです。「惻隠の情」こそが日本人の美徳。立ち返って、社会全体で難題を克服していこうというのです。
奥田さんは私が担当記者時代にも、「弱いものをいじめてはいけない」「自分が強いからといっていばるな」「負けた者に対して惻隠の情や憐れみの心を持て」などの発言をしていました。
私は政治家になって、改めて奥田さんの言葉に共感を抱いています。政治家に最も大事なのは「惻隠の情」ではないでしょうか。スポットライトを浴びない人は、高岡にも確実にいるのです。
物価高で悲鳴を上げている家庭。何人もの子供のいるシングルマザー。一人暮らしで、外にも出ない高齢者。挑戦したくても挑戦できない人。さまざまな災難に見舞われている人。どうしようもない壁にぶち当たることはあるのです。
私は今こそ、武士道精神、「惻隠の情」の理念をもつべきだと思います。こうした人たちをどうすれば救えるのか。これこそが政治の役割です。
トップ写真:フランスで工場建設予定地を訪れる奥田碩氏 1997年12月9日 仏バランシエンヌ
出典:Photo by Bernard Bisson/Sygma via Getty Images