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.政治  投稿日:2023/10/11

土光敏夫に学ぶ「利他の心」④ 土光さんに恥をかかせられない


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・ウシオ電機の牛尾次朗、土光の言葉で臨調の委員辞任の意向が変わった。

・「土光さんを恥かかせちゃいかんという情熱の方が増えてくる」。

・土光の側近瀬島龍三も、土光の率先垂範のリーダーシップに感銘を受けた。

 

ウシオ電機牛尾次朗は、臨調の委員となりましたが、本業に支障をきたすほどの忙しさでした。そこで、臨調の委員辞任の意向を伝えようと、土光の部屋を訪れました。

牛尾は振り返りました。「部屋に入ると、土光さんはよぼよぼと自分で立って、牛尾君、よくやってくれてありがとうと、迎えに来るんです。そして君の出した案は、政府との交渉で三割くらい却下されてすまなかった。これだけ君が熱心にやっているのに、自分が無力のために、一番大事なところがまだペンディングになっている。一生懸命やるからもう少し我慢して待ってくれ」

すると、牛尾は心が変わってきました。「自分の手にあまるとか、相談など切り出せなくなってしまう。土光さんをわずらわせてはいかん、なんとか自分でやろうと思ってしまうんです。ほかの人たちも、みんなそうだったんじゃないでしょうか」

牛尾は「土光臨調」を総括しました。「最初は国のためという使命感で始めたのだが、次第に土光さんがこれだけ献身的だからね。土光さんを恥かかせちゃいかんという情熱の方が増えてくるんです。土光さんは命がけだった」。

さらにこんな印象深いエピソードを教えてくれた。

牛尾はある日、土光から官尊民卑という言葉についてこう言われたという。

「官尊民卑というのは、官僚が国民に尊大になっているという単純な話ではなく、官僚にぶら下がって少しでも得をしようという国民の卑しい心こそ、行政を肥大化させる。民間は自分のやるべきことをしっかりやって、政府依存をしてはいけない」。

土光は83年3月に臨調会長を終えたものの、まだ現役生活は終わりません。86歳。再び表舞台に立ったのです。臨調が最終答申を出した後、その4カ月後の7月に臨時行政改革推進審議会(行革審)が発足したのです。行革審は、臨調の答申が実行されているかどうかをチェックする組織ですが、その会長に土光が就任するになったのです。

土光の側近として行革に取り組んだ瀬島龍三はこんな“土光論”を示す。瀬島は土光臨調の委員で、政界との交渉を一手に引き受けました。瀬島は伊藤忠商事の相談役。シベリアに拘留されていましたが、富山県出身です。

「土光さんは心の底からわが国を愛し、そして国の行末を案じておられた。このままで日本の二一世紀は大丈夫だろうかと。この種の言葉は、数少ない土光さんの言葉の中でたびたび聞いた。だからこそ、臨調・行革審の5年間、会長として強い責任感をもってその任を全うされた。お体が不自由になってからも、手押し車で必ず出てこられた。この5年間に改革に関する答申、意見は、13本であった。そのためか土光さん主催の正式会議は、313回、必ず出席されていた。委員に配布された資料件数は2446件であり、土光さんは誰よりも熱心にこの膨大な資料を読んでおられた。私は会議の折はいつも土光さんの左側に座っていたが、傍にいて頭の下がる思いであった」。

 牛尾と同じように、瀬島もまた、土光の率先垂範のリーダーシップに感銘を受け、仕事に全精力を尽くしたのです。

トップ写真:1980年代の東京(本文とは関係ありません)

出典:Robert Holmes/Getty Images




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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