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.経済  投稿日:2014/7/18

<幸せは「国内総生産(GDP)」では計れない>高齢化社会での「幸せ度」は国民総所得(GNI)で。


神津多可思(リコー経済社会研究所 主席研究員)

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なぜ日本は「失われた20年」と言われるのか。それはこの間の経済成長率が低かったからだろう。なぜそれではダメなのか。それは経済成長率が高ければ、それだけ国民も、少なくとも平均的には幸せになると考えるからだ。

その経済成長率を計算する元となっているのは経済規模だが、それは、国連が定める「国民経済計算」という万国共通ルールで計測する。そうでないと、国際比較ができないからだ。

その「国民経済計算」によると、経済規模は生産、支出、分配の3つの面から把握でき、いずれによって計測しても結果は同じになる。これを「三面等価」と呼ぶ。つまり、誰かが生産したモノあるいは提供したサービスは、必ず誰かがお金を払って買っていて、したがってそれは必ず誰かの所得になり、さらにその所得は必ず何かに使われるとして計算するということだ。

その中で、生産面から経済規模を測ったのが国内総生産(GDP)だ。働く者であれば、自分が行うモノの生産あるいはサービスの提供は、結局は自分の所得となり、その所得が増えれば、生活が豊かになり、幸せ度も上がると考えることができる。ところが、現役を引退した人の場合には所得はゼロになる。つまりGDPの考え方だと、その世代の幸せ度はまったく捕捉できないことになる。

そこで、GDPをみていたのでは、高齢化社会の経済政策の目安としては不十分ではないかという議論になる。そもそも、日本に暮らす人の所得は何も国内で生産されるモノや提供されるサービスだけから発生しているわけではない。日本経済が海外に持っている資産からのリターン、あるいはその取り崩しも経済全体でみれば所得の源泉の1つだ。

この部分も含めた概念として国民総所得(GNI)がある。年金生活者が増えても、たとえばその年金の運用が海外で収益を上げる日本企業の株式や外国政府・企業の発行する債券で行われている場合、その配当や利払いはこのGNIでとらえることができる。実はこれは、今はもう統計としては使われなくなったが、かつてGNP(国民総生産)と呼ばれていたものと同じだ。

高齢化が進む経済では、GDPよりはGNIの方がより広く幸せ度を捕捉できると考えられる。ただし個人個人の幸せ度は全員の所得の合計とは関係なく、あくまでも1人当たりがどうなるかが重要だ。その面からは、平均的に国民の幸せ度をみる上では、総所得よりは1人当たり所得がよりふさわしいという話になる。

それでも、国民の幸せ度を、長い目でみた所得の増加率で測るという方法が、これからの日本の高齢化・人口減少社会にもうまくフィットするかという問題は残っている。確かに、金銭で測れないものには、どうしても主観が入るので、なかなかコンセンサス形成が難しい。

国民の幸せ度を直接聞き取り調査するなどして数値化し、国民総幸福量(GNH)を直接みようという試みもあるが、そうした指標が近い将来、完全にGDPやGNIに取って代わるとも考えにくい。 結局、国民の幸せ度をみる窓を「全体のGDP」から「1人当たりGNI」へと変えつつ、さらに、単に数字が高ければいいというのではなく、国民生活の質的な側面も勘案することになるのだろう。

19世紀の終わりから20世紀前半にかけて、ヒルティ、アラン、ラッセルの三大幸福論が書かれた。それから100年、私たちは幸せとは何かについて分かるようになっただろうか。そして、より幸福になったと言えるだろうか。

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