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.国際  投稿日:2024/7/16

英国で政権交代が起きた理由(上) 「選挙の夏」も多種多様 その1


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・英国で最大野党であった労働党が単独過半数で、14年ぶりの政権交代を実現した。

・保守党の大敗はスキャンダル続きであったことに加え、新型コロナ禍が一応収まってからも国民生活は一向に楽にならないことに起因する。

・英国において単純小選挙区制については、前々から賛否両論があり、未だ議論の決着を見ていない。

 

 今までにも色々な場所で述べてきたことだが、英国には本当に、おかしな伝統が多い。

 総選挙(下院議員選挙)の投開票が木曜日に行われる、というのもそのひとつである。

 4日深夜(現地時間)までには大勢が判明し、最大野党であった労働党が、定数650のうち412議席を獲得。もちろん単独過半数で、14年ぶりの政権交代を実現した。

 7日には、わが国の地方選挙ではもっとも注目度の高い、東京都知事選挙の投開票が行われ、小池百合子・現知事が3選を果たしている。総選挙とは色々な点で持つ意味が違うが、世上しばしば取り沙汰されていた、次なる総選挙では自公が大敗し、下野(=政権交代)をも視野に入れた大政局になるのではないか、という情勢には、ひとまず「待った」がかかったと見る向きが多い。

 ただ、同日に行われた都議会議員の補欠選挙(議員の辞職や死去に伴い、9選挙区で行われた)では、自民党は8選挙区に候補者を擁立したが、結果は2勝6敗。小池都知事3選で潮目が変わったとまでは言えないようだ。

 今回のシリーズでは、どうして英国では割と頻繁に政権交代が起きるのに、日本ではそうならないのか、というテーマに取り組んでみたいが、やはり話の順序として、英国ではどうして政権交代が起きやすいのか、という点について見ることにしよう。

 と言っても、これまたわが国でも多くのメディアが指摘しているが、要は単純小選挙区制のなせるわざだということになる。

 英国議会は、13世紀にまでその歴史を遡ることが出来るが、当初は爵位を持つ者だけの貴族院(ハウス・オブ・ローズ)と、持たざる者の庶民院(ハウス・オブ・コモン)から成る、身分制議会であった。

 ちなみに21世紀の今、英国は世界で唯一、貴族院が現存している国で、貴族院・庶民院という呼称も「現役」なのだが、煩雑を避けるため、本稿では以下「上院・下院」で統一させていただく。

 話を戻して、15世紀からは下院議員は選挙で選ばれるようになったが、選挙権を付与されたのは、一定額以上の試算を持つ地主階級の男性だけであった。彼らは、ジェントリーと呼ばれて、官僚や軍人の供給源となり、英国社会を支えてきたし、多くが高額納税者でもあった。読者ご賢察の通り、このジェントリーこそがジェントルマンの語源である。いずれにせよ、この時点では国政に関わる選挙権を持つ者は、総人口の3%に過ぎず、当然の結果として、国民の不満は高まる一方であった。

 とりわけ18世紀の終わり頃から産業革命が進行し、新興ブルジョア階級が台頭する一方、都市部の労働者人口が爆発的に増えると、選挙権の拡大を求める声が高まり、当時の政治家たちも無視できなくなった。

 その後、紆余曲折を経て、1884年までには、一定額以上の納税をしておれば、身分に関わりなく投票できる「戸主選挙法」が成立する。その際、有権者3万5000人について一人の議員を選出できるよう、選挙区の区割りも改められた。この区割りの策定に際しては、それまで買収が横行していた「腐敗選挙区」を一掃する意図もあったということは、指摘しておきたい。

 要するに、二院制と単純小選挙区制もまた、今やれっきとした英国の伝統と呼ぶことができるのだ。

 それは、その通りかも知れないが……との疑問を抱かれた読者もおられるだろうか。単純小選挙区制が、どうして政権交代が起きやすい理由と考えられるのか、と。

 英国の総人口は、約6697万人(2022年のデータ)。日本の半分くらいである。

 そして有権者数は、4470万人ほど。

 18歳以上の英国民と、英連邦諸国およびアイルランド共和国の国籍を持つ英国居住者には選挙権が与えられる。ただ、日本と違って、居住地において「有権者登録」という手続きをしなければならない。登録してはじめて投票に参加できるのである。

 いずれにせよ、4500万人にも満たない有権者が、ほぼ均等に650の選挙区に分けられているわけで、1選挙区当たりで争われる得票数は、7万2000ほどでしかない。

 しかも今回は、投票60%と史上2番目に低かった。単純計算で言うと、1選挙区当たり4万3000票ほどを奪い合ったことになる。

 つまりは2万票に満たない得票数でも当選することがあり得るわけで、拮抗した選挙戦では、ごくわずかな票差が明暗を分けてしまう。

  たとえば今次の総選挙でリズ・トラス元首相が労働党の新人に議席を奪われたが、得票差はわずか630。「批判票」だけで元首相の首をあげることが可能なのである。

 実際に、選挙区によっては投票総数の6%が動いただけで当落が入れ替わり、全国レベルで12%の票が動けば政権交代が十分あり得る、と前々から言われている。

 たしかに、労働党は412議席(前回=2019年から211増)と地滑り的勝利。対する保守党は121議席(同251減)と、史上最低を記録してしまった。トラス元首相以外に、現職の閣僚ら党の重鎮が10人以上も落選している。

 ただ、得票率を見ると、労働党は33.7%を得たに過ぎず、惨敗した前回から1.6ポイントしか上乗せしていない。一方、保守党の得票率は23.7%と、実に20ポイント減。

 これを「労働党の勝利と言うよりは保守党の自滅」と決めつけると、話はそこで終わってしまいそうだが、この見方に根拠があることも、また事実である。

 今次の保守党の大敗について、英国のメディアはほぼ一致した見方をしているが、煎じ詰めて言うと、保守党がスキャンダル続きであったことに加え、新型コロナ禍が一応収まってからも(ロシアによるウクライナ侵攻という要因はあったにせよ)国民生活は一向に楽にならない。これで有権者が保守党を見放した、というものだ。

 前回の総選挙では、国民投票ですでに可決されていたブレグジット(EUからの離脱)を断固実現する、としたジョンソン首相(当時)に対し、ブリティッシュ・ガスの国営化など、古典的どころか時代遅れと言われても仕方のない、社会主義的政策を掲げたコーブン党首(以下、同じ)率いる労働党を大差で破り、単独過半数を得て公約を実現した。

 ところがそのジョンソン首相が、新型コロナ禍によるロックダウン(都市封鎖)の最中に、首相官邸において飲酒を伴うパーティーを複数回開いていたことが発覚。最終的に辞任に追い込まれた。

 後を受けたのが、前述のリズ・トラス首相だが、財源の裏付けのない大型減税を発表し、結果として金融市場を大混乱に陥れた。彼女は英国の憲政史上二人目の女性首相であったが、在任わずか49日と、史上最も短命な政権となってしまう。

 そして、アジア系(インド移民の3世)として初のスナク前首相が登場するが、経済とりわけ国民の生活を好転させることができず、有権者に見放されたのだというわけだ。

 ……このように述べると、日本でも選挙制度を改革することで、政権交代が起きやすい国にすることが可能なのではないか、と考える読者もおられようか。

 私なりの答えは、イエスでもありノーでもある。

 なぜそうなのか、という点については、英国において単純小選挙区制については、前々から賛否両論があり、未だ議論の決着を見ていない、という点を、まずは見る必要がある。

 具体的にどういうことかは、次回。

(その2につづく)

トップ写真:英国総選挙で、ホルボーン・アンド・セント・パンクラス選挙区で勝利した後会見に臨む、労働党キーア・スターマー党首。2024年7月5日。

出典:Photo by Leon Neal/Getty Images

 




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