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.経済  投稿日:2022/12/31

「21世紀の税制」を望む(上)【2023年を占う】経済1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・イギリスの、トラス前政権は安易な減税政策が原因で、短命に終わった。

・英国は、税制論議・格差問題の行方次第で、首相の首も簡単にすぐかわる。

・日本も防衛費のために増税するのであれば、総選挙で国民の信を問うべきだろう

 

2022年は本当に大変な年であった。

国際的にはロシアによるウクライナ侵攻があり、国内では、安倍元首相が射殺されるという事態が起きている(7月8日。享年67)。

英国でも、エリザベス2世女王が逝去され(9月8日。享年96)、両国でともに国葬が営まれたが、元首相の国葬には賛否両論があり、女王のそれについて「#本物の国葬」などという言葉まで流布した。これについては本連載でも取り上げたので、繰り返さないが。

その後英国では、政権交代もあった。厳密にはリズ・トラス前首相の辞任を受けて行われた保守党党首選でリシ・スナク氏が当選を果たしたものだが、初のアジア系で移民3世(1960年代に、祖父と幼かった父らの一家が東アフリカから移住。このため2世とする資料も多い)が英国の首相になったにも関わらず、日本での注目度はいまひとつであったように思う。

色々なことが言い得るのだが、やはり国内的には国葬を巡っての議論が続き、国際的にはウクライナの戦争が泥沼化の様相を見せていたことが大きな理由であったのではないか。

まずはエリザベス2世女王について見るが、英国王室筋は、

「逝去される数日前まで、お元気に公務をこなしておられた」

と発表している。その、最後の公務となったのが、トラス首相を指名するセレモニーであった。英国では首相も臣下であり、国王の指名によって就任する。

一般的には、総選挙で第一党となった政党の党首が、自動的に首相に指名されることになっており、言い換えれば英国の総選挙は、間接的な首相公選制の機能を持つ。

ただし、任期途中で辞任した場合には、与党の党首選で選ばれた新党首が、やはり自動的に首相に指名される。タテマエとしては、国王には指名を拒否して解散総選挙を求める権限があるが、現実には、議会の同意なくしての解散総選挙はほとんど例がない。

今次は、ジョンソン元首相が不祥事により辞任した後、保守党の党首選が行われ、リズ・トラス女史が選ばれたもの。この時の党首選には、くだんのリシ・スナク氏も立候補していたが、下院議員による投票で1位になったが単独過半数には届かず、党員による決選投票でトラス女史に逆転を許したという経緯があった。

かくして9月6日に船出したトラス政権であったが、わずか49日後、前述のように辞任の沙汰となる。英国憲政史上3人目の女性首相は、史上最も短命に終わってしまった。

トラス政権のどこがそれほどよくなかったのかと言うと、安易な減税政策で人気を集めようとしたことにある。主として大企業や富裕層に課す税金を減免し、企業活動を活性化させることを通じて景気の回復を図るという政策は、1970年代末、英国憲政史上初の女性首相となったマーガレット・サッチャーが実施したそれを彷彿させるものであった。実際にトラス首相自身が「サッチャーの再来」を演出すべく、元首相が好んで着たブルーの服を愛用したりしていた。

しかしながらこの政策は、保守党議員の多数派が受け容れるところとはならなかったのだ。前述の党首選に際しても、スナク元蔵相(当時)はこの政策を、「ファンタジーにすぎない」と批判していた。煎じ詰めて言うなら、サッチャー政権はマネタリズム(通貨供給量をコントロールする政策)でインフレ抑制を先に行ったが、トラス政権はインフレ対策よりも先に減税を実施しようとしている。これでは、福祉予算などの財源確保に大いなる困難が生じ、結局は格差の拡大再生産にしかならない、というわけだ。「金持ちの総取り」になるとの批判も聞かれた。

ここで再びスナク首相に目を転じよう。

1980年5月、英国南部の街サウザンプトン生まれ。父親は医師、母親は薬剤師であるという。代々敬虔なヒンドゥー教徒だが、本人によれば、

「たしかに毎週末、寺院に参拝しているが、同時にサウザンプトンFCの応援も欠かしたことはない。二つの文化の中で育てられたし、私は両方(の文化を)受け容れている」

ということになる。サウザンプトンFCは言うまでもなく彼の地元を本拠地とするサッカークラブで、余談ながら日本代表主将の吉田麻也が所属したこともある。

スナク氏は私学の名門ウィンチェスター校を経てオックスフォード大学を卒業し、さらには米国スタンフォード大学でMBA(経営管理学修士号)を取得。米国の大手投資銀行ゴールドマン・サックスなどを経て政界入りした。

弁護士資格を持つ議員は少なくないが、金融工学のエキスパートでMBAとなると、さほど大勢はいない。ジョンソン政権下で経済政策の上級アドバイザーに指名され、さらには蔵相に抜擢された。前述のように、ジョンソン首相は不祥事によって辞任に追い込まれたが、具体的には、新型コロナ禍で国民が会食もままならない生活を強いられている中、2021年のクリスマスシーズンに、首相官邸で飲酒を伴うパーティーを複数回開いたというもの。実はスナク氏自身も参加していたことが明るみに出て、罰金を納めている。

しかしその後、ジョンソン政権とは経済政策の方向性が違うとして、時の保健相とともに辞表を提出した。これがジョンソン政権崩壊の直接の原因になったことから、彼のことを「裏切り者」と呼んではばからない保守党政治家もいると聞く。事の当否はともかくとして、泥船に乗り続ける気はない、というに近い判断は、おそらくあったのだろう。もうひとつ、彼に対する根強い批判が聞かれる。「金持ちすぎる」というものだ。

2022年5月に発表された英国の長者番付によると、スナク夫妻は222位。総資産額は7億3000万ポンド(1200億円弱)に達するそうで、新国王チャールズ3世の個人資産のおよそ2倍。英国の歴代首相の中でも突出している。なにしろ配偶者であるアクシャタ・ムルティ夫人は、インド屈指の多国籍IT企業インフォシスの創業者にして初代CEOで「インドのビル・ゲイツ」と称される大富豪なのだ。二人はスタンフォード大学で出会い、読者ご賢察の通り、彼女自身もMBAを持つ著名な投資家でもある。

こうした背景から、トラス前首相がフリーマーケットで買った3ポンド50(600円弱)のブローチを愛用しているなどと「庶民派アピール」をしていたのに対し、彼はおよそ70万円というオーダーメイドのスーツにプラダの靴という出で立ちで就任会見に臨んだ。

カレー料理屋でウェイターとして働いた経験はあるが、あくまで学生アルバイトで、「労働者階級の友人はいない」と明言したこともある。庶民の苦労が分かるのか、と言われても仕方ない面はあるが、「この国では人間の価値は預金残高ではなく、人柄や仕事ぶりで判断されるはず。私は今の身上を有り難く思ってはいるが、生まれつきのものではない」というのが本人の弁である。

このようなスナク新首相が、どのように英国経済を本当に立て直せるのかは、2023年以降お手並み拝見、といったところだが、半年足らずの間に2度も首相が交代するという、英国にあっては極めて珍しい事態の中に、日本の政治を考えるに際して大いに参考にすべきものがある、と私は思う。

まず、総選挙で圧勝、懸案だったブレグジット(EUからの離脱)を実現させ、強いリーダーシップを印象づけたジョンソン首相でさえ「一強」にもならなければ、もちろん「忖度」もなく、国民感情を逆なでするような不祥事を起こせば、あっけなく辞職の沙汰になった、ということ。

さらには、このような政権の「たらい回し」は国民からまったく歓迎されず、最大野党の労働党は解散総選挙を強硬に要求し続けている。前世紀よりかの国では「景気が悪い時には労働党が強い」というジンクスがあるが、実際問題として、各種世論調査では労働党の支持率が軒並み保守党を上回っている。

野党がまったくの準備不足で、防衛費増額のために増税すべきか否か、自民党内部でのゴタゴタが続くばかり、というわが国と引き比べると、ため息しか出ない。

繰り返し述べるが、英国では42歳の移民3世が首相になった。この背景として見逃してはならないのは、英国中産階級の伝統的な合理主義で、「国家財政と国民生活を少しでもよくしてくれるなら、肌の色や宗旨が自分たちと異なる人が首相になっても構わない」と割り切ることができるのである。

そして最も重要な点は、税制論議・格差問題の行方次第で、首相の首も簡単にすぐかわる、ということだ。最近、自民党の重鎮の中から、「防衛費のために増税するというのであれば、先に総選挙で国民の信を問うべき」という発言も聞かれるようになってきたが、これなど今の野党に政権担当能力などないことを見越しての発言だと言うことは、誰の目にも明らかなのではあるまいか。

そうではあるのだけれど、税制の在り方をめぐっての総選挙は、是非とも行って欲しいと思う。この議論は、次回あらためて掘り下げよう。

(続く)

トップ写真:リシ・スナク首相(2022年8月3日、イギリス・ウェールズ) 出典:Photo by Matthew Horwood/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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