英国の副首相と米国の副大統「選挙の夏」も多種多様 最終回
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・英国の総選挙で労働党が大勝、スターマー党首が首相に就任。閣僚25人中過去最多の11人が女性という顔ぶれ。
・米国では、バイデン氏に代わる新たな候補として、カマラ・ハリス副大統領が指名された。
・多様なバックグラウンドを持つ女性が若くしてトップの座を狙うこともできる英米の政治体制は日本も見習いたい。
シリーズの冒頭で紹介させていただいた通り、4日(木曜日)に投開票が行われた英国の総選挙において、労働党が大勝を博し、キア・スターマー党首が首相に就任した。
そのスターマー内閣だが、閣僚25人のうち、過去最多となる11人が女性という顔ぶれとなり、注目された。
とりわけ副首相と、内閣において首相に次ぐ地位とされる財務大臣に、かなりタイプの異なる女性が起用され、話題を呼んでいる。
まず財務大臣だが、史上初めて女性が起用された。
1979年、ロンドン生まれ。父親は教師で、当人は小学校から女子高で教育を受けたが、在学中「全英U14チェス選手権」でチャンピオンになったという経歴を持つ。
オックスフォード大学からロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(ロンドン大学政治経済校)に進み、経済学の修士号を得ている。
卒業に際して、米国の大手投資銀行からオファーがあったと聞くが、断ってイングランド中央銀行に就職。エコノミストとして、日本のバブル崩壊後の不況=いわゆる「失われた10年」を研究していたという。
労働党に入党した経緯について、詳細までは情報がないが、私個人の想像を交えて語ることをお許しいただけるのであれば、前述の研究の結果として、保守党が(具体的には1980年代の〈サッチャー革命〉以降)推し進めてきた、新自由主義的な経済政策は、ろくな結果を招くまい、と考え至ったのかも知れない。
もともと英国では、下級公務員に労働党の支持者が多いが、イングランド銀行の研究職出身の党員というのは珍しい。彼女が起用された理由についは、
「労働党は財界を敵視する社会主義政党であり、増税の党である」
という、保守党からの攻撃の矛先をかわす狙いもあったのでは、と見る向きがあるようだ。彼女自身、財界とは良好な関係を保ちつつ英国経済を再生させる、と語っている。
そして、彼女以上に経歴が一注目されているのが新たな副首相、その名をアンジェラ・レイナーという。
1980年、マンチェスターのストックボードという街で生まれた。
母親が躁鬱病を患い、父親が家に寄りつかなくなってしまったため、10歳の時から母親の面倒を見なければならなくなった。日本でも時折話題となる、ヤング・ケアラーである。
母親はまた、ほとんど字が読めない人で、ドッグフードを牛肉の缶詰だと勘違いして、子供たち(3人きょうだいで彼女は2番目)に食べさせたこともあるそうだ。
義務教育終了後、地元の総合学校に入学。
日本では耳慣れない学校名だが、それまでの公立校が、大学進学を目指す生徒も多いグラマー・スクールと、職業訓練公的な性格の強い学校とに分かれていたため、労働党政権時代に両者の統合が進められ、誕生したものだ。
ただ、英国では地方自治体の権限が非常に強いため、保守党の勢力が強い地域では、グラマー・スクールが生き残った例もある。
ところが彼女は、16歳の時に妊娠し、総合学校を中退。今度は子育てをしながら社会に出ることとなった。
そんな彼女に転機が訪れたのは、これも以前に紹介した、1997年の総選挙で労働党が勝利し、ブレア内閣が誕生したことである。
シングルマザーや低所得層の母親を支援する政策がとられ、その一環として、働きながらキャリア・アップを目指せる公立の専門学校が相次いで開校。彼女も介護士の資格を得ることができたのだ。
このように「人生を変えてくれた労働党」への感謝の念から、彼女は集会に参加するようになり、やがて介護職の労働組合員となって入党した。足首に、労働党のシンボルである赤い薔薇のタトゥーを入れているそうだ。その後、組合の専従活動家、労組代表を経て2015年の総選挙で初当選を果たす。
事実上の母子家庭で、カウンシル・フラット(主として低所得層向けの公営住宅)で暮らしていたことから、
「なにかと人から見下されることが多かった」
というバックグラウンドを持つ彼女だが、労働党入党後はエリートコースを歩み、44歳にして英国政府のナンバー2にまで上り詰めたのである。
余談ながら2010年に労組の幹部であったマーク・レイナー氏と結婚。20年に離婚した後もレイナー姓を名乗っている。37歳の時には孫も授かった。
自身の経験から、
「医療や介護の現場で働く人たちが、正当な給与を受け取れるように闘い続ける」
ことを信条としているが、一方で、
「私は社会主義者だが、同時に現実主義者」
と常々語っている。
当然ながら大衆的な人気は高いが、その分、保守党からは執拗な攻撃を受けても来た。これに対して彼女は、
「英国議会には、今もって女性蔑視の風潮が残っている」
などと反撃し、保守党の女性議員までが拍手を送る一幕もあった。
今年4月には、離婚した元夫と暮らしていたのとは別の家を、自宅と称して売却したとの疑惑が浮上して、今度は労働党内部からも追求の声が上がった。日本と同様、英国でも自宅を売却した所得に対しては、税金の減免処置が受けられるのだ。現時点では、本人が疑惑を否定したまま、うやむやにされてしまった感があるが。
このあたりで米国に目を向けると、今月ついにバイデン大統領が11月に予定されている次期大統領選挙からの撤退を表明。民主党の新たな大統領候補に、カマラ・ハリス副大統領が指名された。
バイデン氏の撤退については、とりたてて驚かなかった、という読者も多いのではないだろうか。本誌でもすでに幾度か報じているように、81歳と高齢で認知機能にも疑問符がつき、共和党の候補者となったトランプ前大統領との公開討論では、言い間違いや言葉に詰まる場面が幾度もあった。その後ABCのインタビューも受けたが、取材した記者は、
「あと4年間、職責を果たすのは無理だろう」
と断言した。
後任に指名されたハリス副大統領は、1964年、カリフォルニア州生まれ。
ジャマイカ系の経済学者を父、インド系の生理学者を母として生まれ、本人も褐色の肌を持つ女性だ。
カリフォルニア大学の法科大学院を出て、サンフランシスコ地方検事、カリフォルニア州司法長官、そして2016年に上院議員となるが、いずれもジャマイカ系、アジア系の女性としては初めてのことである。有色人種の女性が上院議員になったのも、彼女で二人目なのだとか。
舌鋒鋭い前出のレイナー副首相と違って、穏やかな人柄で、口の悪い向きからは「プリウス」という渾名を授かったこともある。トヨタのハイブリッド車にひっかけ、静かすぎて近くに来ても気づかない、という意味なのだとか。
しかし一方、トランプ政権時代に、妊娠の理由如何に関わらず(つまり、性暴力や近親相姦の結果であったとしても)人工中絶を禁止する法案が上程された際には、強硬に反対の論陣を張った。
最新の世論調査では、トランプ氏を上回る支持率を得たりもしているが、米大統領選挙も、英国労働党政権も、先行きはまだまだ予断を許すものではない。
ただ、生来の環境が「人から見下される」ようなものであったり、マイノリティと位置づけられる出自であったりする女性に対しても、チャンスが与えられ、若くしてトップの座を狙うこともできる英米の政治が持つダイナミズムは、日本人も見習いたいものだ、と思うのである。
トップ写真:アメリカ教職員連盟第88回全国大会でスピーチするカマラ・ハリス副大統領(2024年7月25日 テキサス州・ヒュートン)
出典: Montinique Monroe/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。