政党は扇動すれども統治せず? EU離脱・英国の未来像その6
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
英国の新首相が決まり、政治的混乱はひとまず収束の方向に向かいつつあるようなので、本シリーズも今回で一区切りつけさせていただこう。もちろん、大きな動きがあればただちに速報するが。
EUからの離脱を決定した今、次の国民投票は、英国とEU、それぞれの問題点を浮き彫りにしたと言えるが、英国内で際立っていたのは、かの国の伝統的な政治スタイルである二大政党制が、もはや機能不全に陥ったのではないか、と見る向きが多いことだ。実はこれは、昨今急に言われはじめたことではない。
1979年にサッチャー内閣が誕生して以降、後継者のメージャーと合わせて、保守党は18年の長きにわたって政権の座にあった。1997年、ブレア率いる労働党が政権を奪還したが、今度は後継者のブラウンと合わせて、2010年まで13年に及ぶ長期政権となった。
そして保守党キャメロン内閣は、次の国民投票の結果を受けて辞任するまで6年近く政権の座にあった。第二次安倍内閣成立まで、毎年のように首相が替わっていたわが国とは、政治状況がまったく違うと言えるだろう。ただ、それが必ずしもよいことばかりではない。端的に言うと、政権担当能力のある強い野党が常にあり、日々緊張感を持っての政権運営が求められるという、二大政党制の長所が失われつつあるわけだ。
実際問題として、今の保守党の若手議員には野党経験が、労働党の若手には与党経験がない人が多い。それがEU離脱問題とどういう関係があるのか、と思われるかも知れないが、実は、今次の国民投票の結果を考えるに、既成の政党政治への不満という要素も見逃してはならないのである。
たとえば、離脱派の旗振り役となった英国独立党だが、1993年に旗揚げした当初、かの国のマスコミから「存在自体がジョーク」だなどと言われていた。
それが今や、上院、下院、そして欧州議会にまで議席を有し、地方議会では侮りがたい勢力となった。議員がいずれも、保守党からの鞍替え組であることから、いずれは従前の保守党右派(サッチャー信者の大部分を擁する)が雪崩をうって合流するのでは、などとまで言われている。EUとの妥協を繰り返す保守党への批判票の受け皿となったことは間違いない。
注目すべきは、保守党の党員数の推移で、1950年代には300万人を擁していたものが、キャメロン政権が成立した2010年には17万人(170万人の誤りではない。念のため)にまで落ち込み、現在は13万人を下回っていると見られる。見られる、というのは、保守党側が公式発表をしていないからで、これは、キャメロン首相自身が求心力の低下と受け取られるのを嫌ったからであると、衆目が一致している。
しかも、日常的に政治活動に参加している自覚的な党員の平均年齢は、今や64歳になったという報道もあった。
一方の労働党だが、こちらはもともと、労働組合運動の政治部門として組織されたという歴史を持つほどなので、単純な比較はできないのだが、労組のメンバーを除いた個人党員に話を限ると、やはり1950年代には100万人を超えていたものが、現在は19万4000名ほどと激減している。こちらの現象の理由は、ブレア政権時代に、あまりに中道寄りの政策をとりすぎて、社会主義の旗を降ろしてしまったことにあるとされる。
その見方を裏付けるかのように、 2015年の党首選を制してその座に就いたジェームス・コービン氏は、反核・反原発を掲げる、今の日本で言えばサヨクみたいな人物だ。こういう人が一般党員および労組の支持を受けているということは、労働党の現状に対する不満が、それだけ強いということであろう。
もっとも、そのコービン党首は今、議会労働党(=国会議員)から、猛烈な突き上げを受けている。彼自身はEU残留派であることを公言していたが、その実は「大きな政府による福祉国家の再建」という政治理念を隠そうともしない人物であって、EUが加盟国に求める財政規律の強化には反対していた。とどのつまり、残留キャンペーンにあまり熱心でなかったとして、戦犯扱いされているというわけだ。保守党・労働党ともに、責任政党としての役割を果たそうとすればするほど、下部党員からの反発を招く、というジレンマを抱えているのである。
英国王室のあり方について、「君臨すれども統治せず」という言葉があまりにも有名だが、今や英国の二大政党は、統治能力を喪失して、単に政治的スローガンを連呼するだけの組織になり果てようとしていることが、今次の国民投票によって露呈してしまったと言えるだろう。
そもそも、かくも大事な問題を国民投票に委ねるという決定自体、議会政治家の責任放棄ではなかったか。この離脱問題が今後どうなるか、まだまだ余談を許さない要素が多いが、それだけに、迷走と無縁でいられる政治家はいない、ということだけは言えるだろう。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。