アスリートとGPL1受容体薬
20240824米国ボストン在住内科医師
トップ写真:パリ五輪のオープンセレモニーに参加するリリアン・テュラム氏とカール・ルイス氏 出典:Photo by Karwai Tang/WireImage
アスリートとGLP1受容体薬
【まとめ】
・パリ五輪、パラリンピックに先立ちイーライ・リリー氏が「ワン・ボディ」動画で体の多様性を紹介する。
・デビッド・エプスタイン氏の研究によれば、アスリートの体型の違いは遺伝子によるもので、健康問題も避けられない。
・カール・ルイス氏の減量法やGLP-1受容体薬の需要急増が紹介され、偽造薬のリスクにも注意が必要だ。
パリ2024夏季オリンピック、そしてもう直ぐ始まるパラリンピック。世界トップのアスリートが極限に挑戦する姿は、世界中の人を魅了します。
そうした中、米国のオリンピックチームとパラリンピックチームの健康の公平性における公式パートナー米製薬大手イーライ・リリー(1)は、オリンピック開幕に合わせて「ワン・ボディ」動画 (2)を公開しました。同社は、体操選手のシモーン・バイルスやスニサ・リーといった有名選手など20人以上のオリンピック選手とパートナー関係を結んでいます。「ワン・ボディ」ではオリンピック選手の体の形や大きさの多様性を紹介しています。
●生まれつきの体は人それぞれ、ただし誰もが病気になる可能性がある
体の多様性といえば、2013 年にベストセラー『スポーツ遺伝子: 並外れた運動能力の科学』を出版したデビッド・エプスタイン氏の「Scientific American」(2016年)の記事が心に残っています。
エプスタイン氏は以下のように述べます。
1920年代までは、走り高跳びも砲丸投げの選手も同じ体型で、平均的な体型が優秀と考えられていました。ところがその後、科学者やコーチたちは、高度に専門家された体型が好ましいことに気づきました。米プロバスケットボール選手の10%が身長2.1mであり、2.1mに達しない選手も腕が異常に長い。女性体操の選手は過去30年間で、平均身長が160cmから145cmに低下しました。水泳選手の理想的な体型は長い胴と短い脚です。このような体型の違いは、個人の環境や教育よりも、遺伝子の影響が大きくなります。例えば、ケニアのカレンジン族のように、細くて長い脚をもった選手はマラソンに有利です。また、短距離走のトップアスリートは西アフリカ系黒人で独占されています。
ただし、そんな超人的なアスリートも健康の問題は避けられません。
「ワン・ボディ」では、「いつか、あなたの身体は病気になるかもしれません。なぜなら、あなたがどんなに強い身体を作っても、その健康はあなたの手に負えないかもしれないから」「でも、それを受け入れる必要はありません。結局のところ、あなたが生まれてくるまでに約10億ものことが起こりました。たった一つの体しか手に入らないのだから、そのために全力で戦おう」とナレーションが流れます。
現実には、多くがトップレベルのパフォーマンスを発揮するための課題に取り組む中で、メンタルヘルスの問題に直面しています。調査によると、エリートアスリートの5%から35%がメンタルヘルス不調を訴えています (4)。メンタルヘルスについての問題は、米国では最近、偏見が打破されつつあり、オープンに話し合うようになってきました。さらに引退したアスリートは、不安症状や睡眠障害だけではなく、体重が増えたり、食生活が乱れたり、身体活動が減ったりする可能性もあります。
ところで、引退したアスリートといえば、最近、カール・ルイス氏(元陸上競技選手で、オリンピックで金メダル9個、銀メダル1個、世界選手権で金メダル8個を含む10個のメダルを獲得)のニュースを目にしました。
●ルイス兄弟、減量のためにセマグルチドの注射を利用
私のような凡人にとっても、トップアスリートのパフォーマンスは人生を左右するほどの力があります。忘れられないパフォーマンスの一つは、1991年の世界陸上東京大会です。大学生だった私は、必死で入手したチケットを握り締めて会場で陸上競技を観戦していました。そこではカール・ルイス氏が、男子100メートルで9秒86の世界新記録で優勝しました。
私は朝、起き上がるだけでもウダウダしながら数分以上かかるのに・・・。それ以来、時間を大事にして自分なり頑張ろうと誓いました。
さて、それから時間が流れ、昨年のFOX26ニュース(5)。現在、ヒューストン大学で陸上競技のヘッドコーチを務めているカール・ルイス氏が、1980年代にプロのサッカー選手として活躍した67歳の兄クリーブ・ルイス氏と一緒に取材を受けていました。
ニュースでは、彼らが「自分の体を追い込み、体型を維持する方法を知っているからこそ、60代になるとそれが難しくなることを経験している」「オゼンピックやウィーゴビーとして販売されているセマグルチドの注射を利用している」ことを紹介しています。また、適切な食事と運動、そして脂肪の分解と皮膚の引き締めのためのマイクロ波を組み合わせているそうです。
カール氏は「年齢を重ねると、自分ひとりではできないことが出てくる。健康を維持してきたけど、この歳になると、やはり少しは助けてもらわないとね」と、クリーブ氏は「とても気分がいいです。よく眠れます。鏡で自分の姿を見たり、プールに入ったりしているときなど、本当に気分がいいです」「全体的に体調が良くなった」と笑顔で語ります。
ただし、現役アスリートは使用について注意が必要です。
●体重調整のためにGLP1受容体薬を利用するアスリートへの注意
GLP-1は、運動の持久力、骨格筋リモデリング、食欲に影響を与えるホルモンです。習慣的な運動でGLP-1の反応が高まり、空腹感が減ることが報告されています(6)。さらに運動とGLP-1受容体作動薬を合わせると、インスリン感受性と膵臓のβ細胞の機能が改善します。
また、急激な運動や短期持久力トレーニングによって GLP-1 の分泌が増加し、骨格筋のリモデリングを通じて身体持久力が向上します(7)。ただし空腹を感じなくなることで、ランニングの前後に十分なエネルギーを摂取していないと、脱水になる可能性があります。アスリートでこの薬を検討している人は、医師に確認すべきです。
●米、約100万人がGLP1受容体薬の新規ユーザーに
さて、GLP1受容体薬を始めたのはルイス兄弟だけではありません。7月22日Annals of Internal Medicine誌(8)によると、2011年から2023年までの約4500万人のアメリカ人の医療データを分析したところ、その期間中に約100万人がGLP1受容体薬の新規ユーザーになったそうです。
研究者らは、肥満だが糖尿病ではない人々の間で、これらの薬の新規処方が2倍に増加していることを発見しました。ただし、米国ではセマグルチドが、女性、白人、BMIが30以上の肥満を示す人に不釣り合いに処方されていることも明らかになりました。
ちなみに、イーライ・リリーはデンマーク製薬大手ノボノルディスクとともに肥満治療薬を販売していますが、両社とも前例のない需要に供給量が不足しています。そんな中、米国ではフェイク痩せ薬が氾濫しています。
●フェイク痩せ薬に注意
2024年3月、イーライリリーは、FDA認可の本物の医薬品であると偽る偽製品に「深い懸念」を表明しました (9)。全米薬剤師会は、偽造品を含むオゼンピックのような薬を違法に販売しているウェブサイトを数千件特定したと述べています(10)。高価格と品薄により、このようなサイトは消費者にとって魅力的です。多くの患者さんは、これらの製品に何が含まれているかを確認する方法がありません。
また、4月には、サイバーセキュリティ企業ブランドシールドは、GLP1受容体薬のような人気の減量薬や糖尿病薬の偽造品を販売する250以上のウェブサイトを閉鎖したと報告しています(11)。
さらに、若年成人の減量薬使用が600%近く増加する中、WHOは偽造オゼンピックについて「米国、ブラジル、英国で偽造減量薬が見つかった」「偽造薬には未検証の原料化合物や成分が含まれている可能性がある」と世界的に警告しています(12)。
ニューヨークタイムズ紙は「偽造医薬品は、規制のない無許可のオンライン業者から販売されることが多い。オゼンピックの偽造品が蔓延しているというデータはほとんどないが、医師や研究者は患者へのリスクを強く懸念している」と指摘します。
同紙にニューヨーク大学ランゴーン校の肥満に関する包括的プログラムの責任者であるメラニー・ジェイ博士は、「オゼンピックのような薬を服用しようとしている人は、包括的なケアを受けるために、必ず免許を持った医療従事者の診察を受けるべきです」「医師は、これらの薬を服用している患者の経過を観察し、重篤な副作用の可能性を管理するために、頻繁にチェックする必要があります」と強調します(13)。
GLP1受容体薬が気になる人は、まず専門家に相談しましょう。
(1) https://www.lilly.com/team-usa-2024
(2) https://www.youtube.com/watch?v=2paOxynX7aQ
(3) https://www.scientificamerican.com/podcast/episode/big-bang-of-body-types-sports-science-at-the-olympics-and-beyond/
(4) https://bjsm.bmj.com/content/bjsports/53/11/667.full.pdf
(5) https://www.fox26houston.com/news/getting-fit-with-one-of-the-most-decorated-athletes-of-all-time
(6) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6933827/
(7) https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0167488922000921
(8) https://www.acpjournals.org/doi/10.7326/M24-0019
(9) https://investor.lilly.com/news-releases/news-release-details/open-letter-regarding-use-mounjaror-tirzepatide-and-zepboundr
(10) https://nabp.pharmacy/wp-content/uploads/2024/04/RogueRx-Activity-Report-Injectable-Weight-Loss-Drugs-2024.pdf
(11) https://www.reuters.com/business/healthcare-pharmaceuticals/more-than-250-websites-selling-fake-weight-loss-drugs-reported-by-anti-2024-04-15/
(12) https://jamanetwork.com/journals/jama/article-abstract/2821502
(13) https://www.nytimes.com/2024/07/12/well/ozempic-fake-counterfeit-drugs.html
トップ写真:パリ五輪のオープンセレモニーに参加するリリアン・テュラム氏とカール・ルイス氏 出典:Photo by Karwai Tang/WireImage
この記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会「 Vol.24158 アスリートとGLP1受容体薬」の転載です。
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この記事を書いた人
大西睦子米国ボストン在住内科医師
内科医師、米国ボストン在住、医学博士。
東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部付属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年から2013年まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。ハーバード大学学部長賞を2度受賞。現在、医療ガバナンス研究所研究員。