ワシントン・ポストの保守化?

古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
【まとめ】
・ワシントン・ポストのオーナー、ジェフ・ベソス氏は保守寄りの新方針を打ち出した。
・これに反対であるオピニオン面の編集長は辞任を発表。
・べゾス氏が経営への計算から軌道修正を図り始めた、との論評も。
アメリカの有力新聞ワシントン・ポストは長年、民主党リベラル支持が顕著だったが、ここへきてオーナーのジェフ・ベソス氏が保守志向の思想をオピニオン面では明確にして、その否定を認めないという方針を打ち出した。「個人の自由」と「自由な市場」という標語の新方針だが、両方ともアメリカの政治潮流ではリベラリズムとやや距離をおき、保守主義に傾く思想だとされる。だから同紙ではこの新方針に反対するオピニオン面の編集長がすぐに抗議の辞任を発表した。
この騒ぎはトランプ支持層が推進する保守志向の流れの勢いや、オールド・メディアとも評されるリベラル傾斜の大手新聞の微妙な変化を象徴する展開として注視される。
ワシントン・ポストのオーナーでアマゾンの創業者としても知られるベソス氏は2月26日、この新編集方針をX(旧ツイッター)で発表した。骨子は以下のようだった。
「私は以下の覚え書きを今朝、ワシントン・ポストの仲間たちとシェアした。私たちの新聞のオピニオン(意見)ページに関する変化についてだ。私たちはこれからは『個人の自由』と『自由な市場』という二つの支柱の支援と防衛を毎日、述べていく。もちろん他のトピックについても報じるが、この二つの支柱に反対する見解は他のメディアが報道するのに任せる」
以上がワシントン・ポストのオピニオン・ページについての新方針だった。同紙はアメリカの他の主要新聞と同じように、紙面では報道と評論(意見)とを区別している。報道面ではそのときに起きたニュースを事実に沿って、客観的に報じる。評論つまりオピニオン面ではその多様な出来事についての主観的な意見を評論として掲載する。意見は多様にわたるのが建前だが、その新聞自体の意見はこのオピニオン面で社説として掲載されることが多い。しかも外部の専門家や評論家によるオピニオンもワシントン・ポストの場合、伝統的に民主党リベラル派の見解が圧倒的に多かった。
では「個人の自由」と「自由な市場」がなぜ保守寄りなのか。
アメリカでは自由民主主義が国政の基盤であり、その延長ともみなされる個人の自由は民主党、共和党いずれも最重視に近い。ただし民主党、リベラル派は「大きな政府」を主唱し、個人の言動にもある程度の政府の規制や介入を認める場合が多い。
一方、共和党、保守派は「小さな政府」の政策標語の下で個人の言動への政府の関与は最小限にすることを一貫して主張してきた。だから「個人の自由」というと、政府の介入の度合いを少なくすべきだとする示唆がにじみ、保守側の意見に近くなるわけだ。
「自由な市場」はさらに明確に、保守寄りの主張である。リベラル派は自由な市場経済自体にも政府のある程度の規制を求める。政府が需要や供給の自由な動きに介入する計画経済的な傾向があるわけだ。社会主義の統制経済は市場経済の否定だといえるから、経済政策で「市場」を強調すること自体が保守主義の信奉で反リベラルと認識される。
だからこのベゾス社主の新方針はワシントン・ポストのこれまでの実際の編集方針とは異なるわけである。同紙は国内政治に関しては長年、一貫して民主党リベラル派を支持し、とくに大統領選挙の報道や評論では共和党側、保守陣営に反対する基調が続いてきた。
その長年の基調に反するような今回のべゾス氏の新方針は社内では反対が多く、まず最重要の当事者となるオピニオン面の編集長デービッド・シップリー氏は即座に辞任の意向を表明した。この点についてはべゾス氏も覚え書きのなかで「シップリー編集長に相談し、ともにその新方針で続けていくことを要請したが、同編集長は辞退した」と述べ、いまやオピニオン面の新しい編集長を募集中だとも言明した。
べゾス氏はX上で発表したこの覚え書きで新方針の打ち出しの理由について以下のように述べていた。
「かつてはワシントン・ポストのような地域的に市場をほぼ独占するような新聞は毎日、オピニオン面ですべての種類の意見や見解を紹介する幅広い提供をしていたが、いまではその役割はインターネットが果たすようになった」
「私はアメリカに帰属し、アメリカのためを考えることを誇りに思っている。アメリカの史上でも稀な成功の原因は経済面、その他での自由だった。自由は倫理的であり、強制を最少限にして、創造性、発明、繁栄を招く」
べゾス氏は以上のように経済の自由を美徳として賞賛し、保守主義に近い意見を連想させるのだった。
べゾス氏は経営不振だったワシントン・ポストを2013年に買収し、編集方針に介入することはこれまで少なかった。同氏自身もときおり連邦政府や議会の動きを論評する際は共和党政権を批判するような傾向の意見が多かった。
しかしべゾス氏は2024年の大統領選挙では投票日の直前の10月にワシントン・ポストは同紙として社説で民主党、共和党、いずれの候補への支持をも表明しない、という方針を打ち出した。ワシントン・ポストはそれまでの大統領選挙では数十年にわたり、一貫して民主党候補への支持を社としての「承認」(Endorsement)という形で公式に支持してきた。
その際、同社内部ではすでに民主党のカマラ・ハリス候補への支持表明を打ち出す方針を決め、その準備までしていたため、編集陣からはべゾス社主への激しい反発が起きた。その結果、編集幹部の数人が退社した。同紙の部数も数万単位で減ったとされる。
こうした動きの背景としてはべゾス氏が最近はトランプ陣営に微妙な形で接近し始めたとも指摘される。同紙の紙面でトランプ大統領に対してあまりに露骨で過激な反対をを続けると、べゾス氏の本業であるアマゾンなどの営業活動にも悪影響が出るという計算が働いているとの指摘もある。
しかし世界でも先頭を走るとされてきたアメリカのジャーナリズム業界でも、民主党びいきに傾く主要新聞などが「オールド・メディア」として国民多数派からの距離を広げ、その危険を察知したビジネス界出身のオーナーのべゾス氏が経営への計算から軌道修正を図り始めた、と論評する向きもある。
トップ写真)ジェフ・ベゾス氏 – 2024年12月4日、ニューヨーク・タイムズの年次ディールブック・サミットに登壇。
出典)Michael M. Santiago/Getty Images