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.国際  投稿日:2025/7/30

アワー氏の葬礼に日米同盟の歴史を想う


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

故ジェームズ・アワー氏の舞鶴沖での水葬に参列し、日米同盟の歴史を回顧。

・45年前のカーター政権下と現在の状況には、日米防衛努力の類似点が多い。

・アワー氏の貢献は現代にも生きており、日米協力の重要性を再認識させる。

 

「歴史は繰り返す」――平板で平凡な言葉だろう。陳腐な表現だと感じる人もいるかも知れない。だが私はつい最近、この歴史に関する道理を実感させられた。アメリカ国防総省の元日本部長ジェームズ・アワー氏の舞鶴沖での水葬に参列した際だった。この7月12日の朝である。45年前、アワー氏が同日本部長として日米同盟の堅持のために献身的に活動した際の状況と2025年夏のいまの状況と、あまりに類似点が多いからである。詳しく報告しよう。

私はアワー氏の古い友人の一人として彼の遺骨を日本の海に葬る儀式に加わり、彼の日米同盟への貢献を改めて想起した。と同時に、彼との関与の歴史を想うと、つい歴史の繰り返し、という事象をも考えさせられたのだった。

日米共同のこの葬礼は舞鶴沖の海上自衛隊掃海母艦「ぶんご」艦上で催された。本人の遺志に沿っての日本の海での葬礼だった。その葬礼の模様は7月28日付のこのコラムで詳述した。

さて私がアワー氏を最初に知った1979年、彼はカーター政権下での国防総省日本部長だった。この年が明けてすぐアメリカ政府は長年の日本の防衛努力への政策を激変させた。日本の防衛費の大幅増額を正面から求めるようになったのだ。その強硬な要請はいまのトランプ政権下でのわりに穏やかな期待よりも何倍も激しかった。だが日本の防衛費が米側の国政の場での重要関心事になるという点では共通していた。同時にアメリカ側に日本の防衛努力を強化を求める要因となった国際的な安全保障の険悪さも今日と似ていた。

民主党リベラル派のカーター大統領はベトナム戦争の挫折の影響もあり、きわめて穏健で融和にも近い対外姿勢をとった。とくにグローバルな膨張を続けるソ連に対して協調と友好とさえ呼べる態度を示した。だがソ連は逆にそれを米側の消極性とみて、多くの国で共産主義勢力の拡大を図った。その究極が79年末のアフガニスタンへの全面軍事侵攻だった。

カーター大統領は自分のソ連への認識が誤っていたと公式の場で謝罪し、西側陣営の防衛強化へと転じた。その結果、アメリカ政府として主要同盟国の日本にも「防衛費の着実で顕著な増加を求める」という公式声明を発表した。カーター大統領自身がつい数ヵ月前まで日本の防衛費のGDP(国内総生産)以下への抑制は米側にも支障なしと明言していたのだから、まさに大逆転の政策変化だった。

だが当時の日本政府はこの防衛費大幅増額の求めには応じなかった。「防衛増強は戦争を招く」とする無抵抗パシフィズムの根強い時代だった。

1980年度の日本の防衛費に対してカーター政権のブラウン国防長官は「どうにも正当化できない自己満足」と断ずる辛辣な対日抗議声明を発表した。超党派の上下両院議員たちや主要メディアの社説も日本の防衛姿勢を「ただ乗り」とまで非難した。

このアメリカ側の状況は1981年に共和党保守派のレーガン政権が登場し、さらに厳しくなった。米側の軍備増強の基本思考はカーター政権でも「防衛増強により戦争を防ぐ」という基調だった。

日米間の当時のこの種のギャップを埋める作業をアメリカ政府内で進めた中心人物がアワー氏だった。レーガン政権での直属の上司キャスパー・ワインバーガー国防長官の絶大な信頼を得て、アワー氏は年来の日本の官僚や政治家、メディアとのつながりを活用し、アメリカの戦略思考やソ連の軍事脅威の実態を説いた。同時に米側での粗雑な日本非難の論者たちへの説明も精力的に進めた。アワー氏はカーター政権からレーガン政権へ、通算8年間も国防総省の日本部長を務めていたのだ。

▲写真 ジェームズアワー氏の遺影(2025年7月12日)出典:海上自衛隊 X

その成果がレーガン・中曽根両政権間の日米防衛協力の緊密な時代へとつながっていった。さらにその先にはソ連共産党政権の崩壊という歴史的な展開があった。当時はソ連の脅威、現代は中国やロシアや北朝鮮の脅威という日本にとっての厳しさをきわめる安全保障環境はよく似ている。その国際環境のなかでアメリカがインド太平洋では最も依存する同盟国の日本に防衛努力の増強を期待する点も、1980年ごろと現在とは同様なのだ。

だからアワー氏が貢献した日米防衛協力の国際的な意義は現代にも活き続けているといえよう。こんな経緯をみると、「日本の防衛予算は日本が決める」とか「アメリカよ、なめるな」という最近の日本側の言辞はどうしても不適切に思えてくる。

トップ写真:海上自衛隊掃海母艦「ぶんご」艦上で催されジェームズアワー氏の葬礼の模様(2025年7月12日舞鶴沖)出典:海上自衛隊 X




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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