無料会員募集中
.国際  投稿日:2025/8/18

核兵器に対する日本の矛盾


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」997回

【まとめ】

・日本の核論議は「核兵器廃絶」の理想論に偏り、核兵器が持つ戦争や侵略の抑止効果については語られない。

・アメリカでは広島と長崎への原爆投下の是非をめぐる議論が続く一方、今後の核兵器使用の可能性が論じられている。

・現実の国際安全保障では、米露間で核兵器による威嚇と抑止が実際に機能しており、日本の理想論とは大きな乖離がある。

 

 毎年8月には日本国内では核兵器についての議論が高まる。ただしこの議論は核兵器はとにかく悪だから、この世界からなくせ、という廃絶の方向だけである。核兵器が戦争や侵略を防ぐという抑止の効果は語られない。8月は広島と長崎に原爆が投下され、犠牲となった多数の民間人への追悼の時期だから、核の危険性や邪悪性だけを非難するのも自然ではあろう。

 

 アメリカの首都ワシントンでも日本への原爆投下からちょうど80年を迎えるにあたり核兵器の意味についての議論が展開された。その主体は核兵器の廃絶を唱える日本の理想論とは対照的に、核により戦争の抑止を目指すという現実論だった。

 

 アメリカ側でのこの種の核論議はまず広島と長崎への原爆投下の是非をめぐる点から始まる。米軍による広島への原爆投下の8月6日が近づくにつれ、目立ったのは保守系の政治評論家の重鎮ジョージ・ウィル氏による論評だった。ワシントン・ポストに掲載された同論評はまず広島、長崎への核爆弾投下で民間人の死者が異様に多かったことがそれまでの戦争での戦闘員よりも民間人の殺戮がずっと大きいという「道義の退歩」への警告になったと指摘した。そしてその退歩の一例として原爆投下の5ヵ月前の東京大空襲で10万人もの民間人が殺されたことをあげていた。被害を受けた日本側としては、反対も賛成もできない議論だといえよう。

 

 ただし原爆投下の是非についてウィル氏は、広島への原爆投下機のポール・ティベッツ機長の「最後まで日本側の降伏を願っていた」という言葉を引用し、日本との戦争を早く終わらせるためにこそ原爆を使ったのだ、というアメリカ側のコンセンサスに近い認識を提示した。

 

 ウィル氏はこの点、イギリスの著名な歴史学者アンソニー・ビーボア氏が80年の節目である今年夏にアメリカの主要外交誌に載せた論文の見解に依拠していた。同論文では「当時の日本の軍部は数百万人の自国の民間人を犠牲にしても連合軍に徹底抗戦する構えだった」と指摘し、その犠牲を防ぐための原爆投下だった、という。

 

 ウィル氏の論評でさらに注目されるのは現実の世界では今後も広島、長崎に次ぐ第三の核兵器使用があるかもしれない、という予測だった。その理由の一つとして現代の世界では非核の国家でも、一旦、核兵器開発を決意すれば、その目標達成はそれほど難しくないという点を挙げた。アメリカの同盟諸国に対する「核の傘」の保証への信頼性が低くなったことも同様の動機になるという。

 

 一方、こうした核兵器を巡る根幹からの論議が起きたこの時期に、現実の国際安全保障の次元で注視すべき動きがあった。トランプ大統領が8月1日、アメリカ海軍の原子力潜水艦2隻をロシアへの攻撃を想定して「より適切な海域への移動」を命令したと発表したのだ。ただしこの動きはロシア側からの核の挑発に対応するトランプ政権の「力による平和」の発露だともいえた。これらの潜水艦は当然、ロシア本土を直撃できる核ミサイルを搭載している。

 

 ウクライナ停戦の交渉に応じないとしてロシアへのさらなる経済制裁措置を示唆したアメリカに対し、ロシアの前大統領で現国家安全保障会議の副議長のメドベージェフ氏が「トランプ大統領は『デッド・ハンド』についても考えるべきだ」と発信した。「デッド・ハンド」というのは核戦力で自動的に報復するロシア軍のシステムの略称である。

 

 トランプ氏はこの言葉をアメリカに対する核攻撃の脅しとみて、対抗措置として原潜2隻の移動を命じたというのだ。同大統領は「メドベージェフ氏の愚かで扇情的なコメントが単なる言葉以上かもしれない場合に備えての措置だ。言葉は重要であり、ときには不用意な言葉が意図しない事態をも招く」と説明した。

 

 アメリカとロシアのこのやりとりは核兵器が両国の対外戦略や国際的な安全保障で威嚇とともに抑止の役割を果たすという実態を示すといえよう。すべての核兵器をなくそうという日本の一部の理想論とは断層のように離れた現実でもあるだろう。

 

 

トップ写真:原爆投下後の広島商工会議所 1945年8月6日 日本・広島

出典:Photo by John van Hasselt/Sygma via Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."