【何故、大手メディアは戦場に行かないのか?】~戦場カメラマンが投げかける問い~
久保田弘信(フォトジャーナリスト)
この数週間、夜寝る直前と朝起きてすぐにネット上のニュースを確認するのが習慣になっていた。人質解放の吉報が入っていない事に落胆し、訃報が入っていない事に安堵する毎日だった。
戦場に向かう以上、負傷したり最悪の状態になったりする事を覚悟はしていたが、2006年のイラク取材から誘拐される危険性を強く意識するようになった。僕自身もいつ誘拐されるか分からない。
現場に向かう時、流れ弾にあたるより誘拐される事への恐怖が多かった。邦人誘拐事件は同じ日本人が誘拐されたと言うレベルを越えて、僕にとって明日は我が身の身近な事件だった。
ジャーナリスト仲間が人質の解放を願う声明を発表したり、世界中の人々が後藤さんの解放を願うデモを行ったり。すべての事がもし誘拐されたのが自分だったら。と思ってしまう。安眠できない毎日が続いた。
そしてついにこの日が来てしまった。この数日、進展がなかった。後藤さんとサジダ・リシャウィ死刑囚の人質交換から、ヨルダン軍のパイロットの解放へと、双方の要求が交錯した状態になってしまい。ヨルダン政府はパイロットを殺害すれば、サジダ・リシャウィ死刑囚と収監中のISメンバーを処刑すると発言し、対立姿勢を見せた。
そしてついにこの日が来てしまった。2月1日、この事件が起きる前から企画されていた和歌山での写真展と講演。朝起きると、訃報が入っていた。講演の担当者からは「新聞社とテレビ局が取材に来たいと言っていますが、良いですか」と聞かれる。
テレビでは後藤さん殺害を受け特集が組まれている。「後藤さんは売れる映像ではなく、伝いたい事を優先して取材していた」と。同年代の後藤さんがどれほど長きに渡って地道に様々な国を取材してきたことか。
僕は後藤さんの名前を知っていたが、リアルタイムで後藤さんが取材した映像をテレビで見た事が一度もない。後藤さんが戦場の戦闘シーンだけじゃなく、戦争の被害者にフォーカスして取材していたという事実を日本人の何パーセントが知っていただろう。
後藤さんが亡くなって初めてテレビが後藤さんをフォーカスする。シリアのアレッポでジャーナリスト仲間の山本美香さんが殺害された時、日本のメディアはしばらくシリアの特集を組んだ。
そんな時期はあっという間に終わり、日本人誘拐事件をきっかけに突然IS(イスラム国)の報道が増えた。そして、中東、イスラム国、邦人殺害のニュースは消えて行く。
後藤さんが殺害された事で突然多くのメディアが取材にやってきた。新聞社の記者が僕にインタビューを申込み、聞く。「殺害された後藤さんもそうですが、何故、危険を覚悟で取材に向かうのですか?」今まで何度も同様の質問をされた。逆に質問し返してみた。「新聞社に就職してジャーナリストとして、現場に取材に行きたいと思わないんですか?」と。
日本の大手既存のメディアは何が伝えたいのだろうか。僕たちは今世紀に入って多くの仲間を失った。橋田信介さん、長井健司さん、山本美香さん、そして後藤健二さん。訃報が入ったその時だけでなく、フリージャーナリストがハイリスク、ローリターンでも現場に赴き、伝えたかったニュースに目を向けて欲しいと思う。その事が亡くなったジャーナリストへの一番の手向けだ。