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.国際  投稿日:2015/3/9

[岡部伸] 【銃撃された反プーチン指導者の秘話】~エリツィン大統領の「島を返す」発言、翻意させた~


 

岡部伸(産経新聞編集委員)

岡部伸(のぶる)の地球読解」

執筆記事

ロシアのモスクワ中心部、クレムリン近くで銃撃された野党指導者で元第1副首相のボリス・ネムツォフ氏(55)は、北方領土が最も日本に近づいたといわれる90年代後半、エリツィン大統領の事実上の「後継者」として日露交渉に関わり、大統領が当時の橋本龍太郎首相に唐突に北方四島の即時返還を提案した際、体を張って翻意させたことがあった。

シベリアのクラスノヤルスクのエニセイ川の船上で非公式会談が行われたのは1997年11月1日。ネムツォフ氏は大統領の最側近として乗船していた。冬季五輪が行われたソチに生まれたネムツォフ氏はソ連崩壊後の90年代初め、ニジニ・ノブゴロド州知事として経済改革を成功させ、38歳でエリツィン大統領から、いきなり第一副首相に登用された。

「2000年までに平和条約締結に全力を尽くす」ことで合意したクラスノヤルスク会談に立ち会ったのは、この当時、エリツィン氏がネムツォフ氏を後継者と目をかけたためだ。エリツィン氏がプーチン大統領に権力を〝禅譲〟する2年前になる。そこで「大統領が釣りの最中、友人のリュウ(橋本首相)に係争の島々をプレゼントすると約束した」とインタファクス通信は訃報で報じた。エリツィン氏が独断で領土返還の意思を表明し、ネムツォフ氏が翻意させたというのだ。

確かにネムツォフ氏は2008年、北海道新聞にエリツィン氏が「平和条約を締結し、われわれが領土問題をきょう解決すべきだ」と四島の返還を提案したと告白している。

「エリツィン氏は(中略)『平和条約を締結し、われわれが領土問題をきょう解決すべきだ』と提案した。四島返還による即時決着と察知したネムツォフ氏らが大統領に翻意を懇願。大統領は最終的に『2000年までになんとか締結するよう、考えさせてもらう』と表明し直した」(2008年9月17日付)

当時、クレムリン(大統領府)を担当し、英国に亡命したロシア人女性ジャーナリスト、エレーナ・トレグボワ氏も大統領発言について言及している。2008年、産経新聞に、側近の情報としてエリツィン氏が橋本氏に、「あなたの求める島をすべて返そう」と全島返還を約束したと語ったという。側近とはネムツォフ氏だろう。

では日本側はどうだろうか。外務審議官として橋本首相をサポートした丹波實元駐露大使は産経新聞に、エリツィン氏は「今日を1855年の日露通好条約(日露両国は国境を択捉島とウルップ島との間に定める)と比べることができる歴史的な一日にしたい。前進が必要だ。自分の任期中にこの問題を解決したい。そのための行動計画をつくろう」と語ったと証言している。

丹波氏は大統領から四島返還の提案があったことは言及していない。しかしエリツィン氏が(会談した日に領土問題を解決して)歴史的な一日にする意欲を示したことは明言した。国境が画定された1858年と対比する日となれば、新たな国境画定を意味する。船上でエリツィン氏が領土問題で重大発言を行ったことは間違いない。

エリツィン氏の「歴史的発言」にネムツォフ氏が待ったをかけた北方領土問題はいまだ解決していない。ただしネムツォフ氏が「民主主義」「新自由主義」を掲げ、北方領土問題を解決し、日露の和解に意欲を持っていた「親日家」だったことは間違いない。「歴史的発言」に同席した「民主派」の死は日本にとっても残念なことに違いない。

 

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