[林信吾]【実は高福祉・高負担な英国】~高度福祉国家の真実 3~
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
今回、国民に無償の医療を提供している英国のNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)が、1980年代にサッチャー政権下で危機に瀕した理由について述べようと思っていたのだが、その前に、読者の多くが抱くに違いない疑問について見ておこう。「そもそも英国では、どうして医療費を無料にすることが可能になったのか?」
これはやはり、そもそも論から答えねばならないだろう。1945年の総選挙で、「過去の植民地主義は清算し、英国を福祉国家として再スタートさせる」とのマニフェストを掲げた労働党が勝利し、社会主義手政策が次々と実行されていったところまでは、前回述べた。
ここで見ておかねばならないのは、英国労働党がこの時に打ち出した社会主義手政策とは、戦時統制経済をうまく平和目的に切り替えた、という性質のものであった、ということである。たとえば基幹産業の国有化だが、これらはすでに戦時経済を支えるべく、事実上、国有化されていたし、高度の累進課税や配給制度、物資の統制などもそうであった。
医療に関しても、実は戦時体制下にあっては、実質無償化されていたのである。戦場で傷を負った兵士や、空襲などで傷ついた市民から医療費を取り立てる、などということはあり得まい。そんなことをしたら、戦時体制など維持できなくなる。
こうした下地があったからこそ、NHSの創立も可能になったことは事実だ。
とは言うものの、医療をひとつの産業と見なした場合、これを国有化するというのは、なかなか思い切った政策であったことも、また事実である。
現在、NHSが雇用している医療関係者ならびに事務方などの職員は、全部で120万人。一口に120万人と言うが、これは、単一の組織が雇用している人数としては、中国人民解放軍、ウォルマート(世界一のスーパーマーケット・チェーン。米国資本)、インド国有鉄道に続く4番目の規模だと聞く。
これを維持するだけでも、国庫にとって大変な負担になることは、容易に想像がつくであろう。主たる財源として、日本の消費税に相当するVAT(付加価値税)が充当されているが、その税率が実に20%に達している。
また、英国は北海油田を有する産油国であるにも関わらず、ガソリン価格が(時期や為替にもよるが)日本より割高だ。これも英国民は「見えない税金」だと受け止めている。
さらに、病院で料金を請求されることはないが、ナショナル・インシュアランス(国民保険)が、所得のおよそ7%天引きされる。これは医療費だけではなく、年金などにも拠出されるのだが、納付額が多いからと言って年金が比例して増えるわけではないので、どちらかと言うと税金のようなものだ。所得税と併せて、平均29%が俸給から差し引かれるという。
とどのつまり英国の医療は、厳密に言えば無料ではない。お金がないから医者にかかれない、という人はいないが、その医療費は納税者が皆で負担しているという、高福祉・高負担の制度なのだと言える。
ここで計算の速い読者は、「ちょっと待って、ちょっと待って、お兄さん」
などとは、まさか言わないだろうが、待てよ、と疑問に思われたのではないだろうか。
わが国でも、正社員なら所得の3割前後の税負担は普通のことであるし、消費税にせよ、ヨーロッパの多くの国と違って、食料品などの減免措置もない。実際、税収の中に消費税などの間接税が占める比率は、日本もヨーロッパ諸国も、そう変わらないのだ。
ではなぜ、英国では医療が無料で、わが国では医療費の負担が高齢者を苦しめるのか。次回、この問題をあらためて見よう。
(この記事は、
【最後は国が本当になんとかしてくれる、のか?】~福祉先進国の真実 1~
【英、無償の医療は当然の権利】~福祉先進国の真実 2~
の続きです。あわせてお読みください)