安倍晋三氏の国際的実績とは(上)なにを切望したのか
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・安倍元首相の暗殺から2年が経過した。
・彼は、安全保障面での正常化を図るためには憲法改正が欠かせないと考えていた。
・国内では、拉致問題への対応で称賛の声があった一方、アメリカでは慰安婦問題に起因する安倍批判が広がった。
安倍晋三元首相が無惨に暗殺されてからまる2年が過ぎた。だが安倍氏の実績、足跡はアメリカでも欧州でも現在形であるかのように語られる。
安倍氏はこの日本に、そして世界になにを残したのか。この稀有の政治リーダーの意味を再度、語りたい。私は安倍氏の3周忌の直前の7月5日、安倍氏の政治のふるさとの山口県に招かれ、「安倍晋三とアメリカ」という題の講演をした。安倍氏の実績を単なる日本での検証だけでなく、超大国、そして同盟国のアメリカとの折衝という視点からも詳述した。産経新聞関連の山口県の長州正論懇話会という組織の主催だった。
その講演の骨子を紹介したい。
【講演概略】
《いまなぜ安倍晋三論なのか》
安倍晋三さんの暗殺からまる2年が経つこの時点で彼の実績について話したい。安倍さんを語ることは、日本のあり方を語ることである。なぜなら彼は一貫して、日本という国家のゆがみを正し、普通の国にしようと努めたからだ。その努力の大きな部分はアメリカとの折衝に向けられた。なぜなら日本の戦後の枠組みは、憲法の起草などアメリカ占領軍によって作られたからだ。そのうえに現在の日本の国家安全保障の根幹も米国との同盟に依存しているからである。
《私がなぜ安倍さんを語るのか
では私がなぜ安倍晋三氏についてアメリカを背景にして語ることができるのか。それは政治家の安倍さんに言論人として40年も接触を続け、とくに彼のアメリカとの交流を私自身もワシントン駐在の新聞記者として長年、近い距離で考察してきたからだ。
私が1982年にアメリカでの6年ほどの勤務を終えて、東京に戻った時、安倍さんもアメリカでの数年の企業駐在員や留学生の生活を終えて、東京に戻り、外務大臣の父親の安倍晋太郎氏の秘書官となった。私も当時、毎日新聞の政治記者として外務省の担当となり、そこで安倍晋三さんと初めて知り合った。当時の若手同士ということで少人数の勉強会にともに加わり、知己を深めた。
《青年・安倍晋三とは》
安倍さんはすらりと細身の若竹のような、さわやかな青年だった。表面は物静かで、寡黙とさえみえた。ときおり深い思索に入っていくような印象を与えた。だがその一方、大きな課題となると、明快で鋭利な意見をスパッと述べた。安倍さんは当時から人の話をよく聞き、その話に自分自身の思考をきちんと与えるという感じだった。
《国会議員へ》
安倍氏は私との外務省の勉強会での顔あわせから、ほぼ10年後の
1993年に初めて衆議院議員となった。この間は私は毎日新聞を辞めて、産経新聞記者となり、ロンドン、ワシントンなどに駐在した。その後は産経の中国総局長という職をも2年ほど務めた。この間、日本に戻るたびに必ず安倍さんとは語りあった。彼は国政の舞台で急上昇していった。国際情勢にはいつも真剣な関心を保ち、私とアメリカや欧州、そして中国の動向について熱心に話しあい、意見を述べた。
《安倍氏の切望》
このプロセスで明らかになったのは、安倍氏が日本の国としてのあり方に根本から批判を抱き、日本を国際基準での普通の国、正常な国にしたいと切望している事実だった。
「戦後の日本はアメリカから押しつけられた憲法により、主権国家に欠かせない自国の防衛を抑えられた。この自縄自縛を解き、他の諸国並みに、安全保障面での正常化を図る。そのためには憲法改正が欠かせない」。
安倍さんはこんな趣旨の思考を政見として内外に広く、かつ力強く展開していった。国家を国民を弾圧する権力機構と断じて、国民こそが国家を動かすという民主主義の基本を無視する左翼の政治宣伝を論破していった。
いわゆる「戦後レジーム」からの脱却だった。戦後の日本の「一国平和主義」に慣れ親しんだ国内勢力からの反発は激しかった。アメリカでも日本を弱い立場に保っておく「日本不信派」の間では安倍氏への批判が浮上した。
《アメリカでの安倍非難》
安倍晋三氏は2006年9月に52歳で首相となった。日本の戦後では最年少の首相だった。その背景には安倍氏が北朝鮮による日本人拉致問題に対して、当時の日本国内の多数派の流れに反抗して、毅然たる態度をとり、5人の拉致被害者の帰国を実現させて、国民的な人気を高めるという出来事もあった。
しかしその一方、アメリカでは慰安婦問題に起因する安倍批判が広がった。当時、日本国内でもアメリカでも戦時中の日本軍用の慰安婦は「日本の軍や政府により強制的、組織的に集団連行され、売春を強いられた性的奴隷」と断じる向きが多かった。事実ではなかった。
だがその種の強制連行や奴隷的な扱いはなかったと事実を述べた安倍首相への非難が高まった。アメリカの民主党政権下では中国や韓国の意図を反映する形のリベラル派の議員が慰安婦問題での日本糾弾の決議案を議会下院に出して、安倍非難の声を広めた。アメリカ学界の左派学者やメディアでもニューヨーク・タイムズなどが安倍氏を「歴史修正主義者」「軍国主義者」などというレッテルを貼って、叩いた。
(下につづく)
トップ写真:参議院選挙で当選した自由民主党候補の上にバラの花を沿える小泉氏と安倍氏(左:小泉進次郎氏、右:安倍晋三氏 2004年6月11日、東京)
出典:Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images
写真)「アメリカはなぜ安倍晋三を賞賛したのか」古森義久著 産経新聞出版
出典)産経新聞出版