[岩田太郎]【加害を続け己の存在証明試みる「元少年A」】~理不尽司法の限界 1~
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
1997年5月のある日、「おじいちゃんのとこ、行ってくるわ」と言い残して神戸の家を出た土師淳君(享年11)を誘拐して首を切断し、傷つけた生首の口に声明文を押し込み、自分の通う中学校の門に声明文とともに放置した、当時14歳の酒鬼薔薇聖斗こと元少年A(32)がホームページを開設し、淳君の父親で医師の土師守氏(59)に公然と挑戦した。この犯人は2004年に、医療少年院における6年5ヶ月の収容生活を終えて出所後、「あいつは酒鬼薔薇だ」と噂されながら各地で職を転々と変えながら10年余り過ごした後、今年6月に大田出版から手記の『絶歌』を出版した。
土師氏は、加害者が猟奇殺人の手記で25万部、4千万円超の印税を得るという理不尽に心を痛め、「心臓をえぐり取られるほどの苦痛を受け、その苦しみが軽減することはない」と、絶版と回収、法整備を求めた。その要望は無視され、傷が癒えないタイミングでのホームページ開設である。遺族の苦しみを知りながら、彼らの最も苦痛になる方法を選び、いたぶって快感を得ている。
この『存在の耐えられない透明さ』と題されたウェブサイトでは、遺族への配慮や謝罪は一切なく、逆に、いかに自己の存在が認められず、それが耐えられないかが綴られている。『絶歌』上梓で絶大な社会的注目を浴びても、足りないのである。彼の心の中は、すべてを吸い取って止まないブラックホールのようだ。
自らを「元少年A」と呼んで未成年の仮面をかぶり、30代になった今も、成人としての自己の責任を逃れる土師君殺人犯。自己の存在を思い通りの方法で社会にアピールし、自分の生き方とやり方をそのまま世間に認めさせようとする強靭な意志が感じられる。被害者や遺族は、彼に言論空間を奪われる。
土師君殺人犯は、冷静だ。自分の行動がいかに反社会的で残忍でも、現行法では規制できないことを知っている。ホームページのサーバーは海外のものを選び、日本の当局の力が及ばないようにしている。また、筋肉ムキムキの自分のヌードや、吐き気を催させる「ナメクジアート」で精神異常状態を強調し、非難を無力化するとともに、自己の刑事責任能力が問われないよう工作している。
緻密な計算ができる彼だが、根底では欠落・喪失感情に衝き動かされており、本やウェブで「俺を認めろ!」と絶叫している。ホームページ開設は、反社会的な行動をエスカレートさせるという宣言である。現在は遺族に精神的な加害をしているが、それでも自分が「耐えられない」ので、その感情が再び自分より弱い者への肉体的加害につながる可能性がある。公安による監視が必要だろう。
だが、どれだけ注目されても、幼少時に親に認められず、ぽっかり空いた心のブラックホールは埋められない。土師君殺人犯は小学3年生の作文で、「お母さんはえんまの大王でも手がだせない、まかいの大ま王です」と書いている。
今回のホームページでは、1981年6月にフランスでオランダ人女子大生のルネ・ハルテベルトさん(享年25)を殺害・死姦の上、性的部分を人肉食した佐川一政元容疑者(66)と、自己の犯罪の共通性に言及しながら、佐川に優しかった佐川の母親へのあこがれを綴り、「この本の中での佐川氏の母親についての記述には幾度も涙を誘われた」と述べている。
土師君殺人犯について、裁判所の判決文は「愛着障害」を疑い、「母は生後10か月で離乳を強行し、1歳までの母子一体の関係の時期が、少年に最低限の満足を与えていなかった」可能性を指摘。母が排尿、排便、食事、着替え、玩具の片付けに至るまで、躾には極めて厳しく、スパルタ教育を施していたことが、後に土師君殺人犯の心を歪ませた疑いがあるとしていた。
親に対する憎悪は、自分より弱い者の殺人などになって表われ、自己の存立危機の叫びは、加害の続行に形を変える。被害者にとっては理不尽だが、法では減らすことができない。法の外の親子関係の問題であるからだ。次回は、土師君殺人犯に類似する、親に存在の否定された殺人犯の家庭環境を分析し、どのように親への復讐感情が弱者の殺人に転じるパターンを防げるかを考える。
写真引用:everystockphoto「somebody save me」
(本シリーズ全3回。
【親の愛情に飢えた殺人者を生まぬ為に必要な信頼】~理不尽司法の限界 2~
【「公判が維持できないから軽い罪で起訴」は検察のウソ】~理不尽司法の限界 3~
に続く)