私が見たクラース(階級) ネオ階級社会と時代劇その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
ロンドンで10年ほど暮らしたが、結構早い段階から、この国ではクラース(階級)というものが、日本では考えられないほど重い意味を持っているのだな、と感じていた。
ロンドンの代表的な社交場と言えばパブだが、これはパブリック・ハウスの略で、日本で言えば赤提灯に当たる大衆的な飲み屋である。
そんなパブにさえ、入り口が2カ所ある。店内も仕切られていて、どちらもカウンターから飲み物が供されるのだが、一方は立ち飲み用のテーブルがいくつかと、あとは木製のスツールがいくつか置かれているだけ。もう一方は、ちゃんとソファがあったりする。このように紹介すると、それはおそらく料金が違うのだろう、と思われる読者が、日本ではおそらく多いのではないだろうか。そうではない。
実は、パブのもっとも一般的な姿がこれで、労働者階級向けのバーと、中産階級向けのサルーンとに分かれているのである。上流階級はどうなのかと言うと、彼らは会員制のクラブで、つまりは自分と非常によく似たバックグラウンドを持つ仲間と飲むのがもっぱらで、パブに行かないわけではないが、どちらかと言うと「おしのび」に近い感覚であるようだ。
もちろん今では、いや、私がロンドンで暮らした1980年代から、すでにその傾向は見られていたが、このような、一種の差別とも受け取られかねない階級間の分け隔ては、どんどんなくなってきていた。パブにしても、入り口は相変わらずふたつあっても、店内の仕切りが取り払われた店が多かったし、誰がどちら側に入ろうが、トラブルになるようなことはなかった。
しかし、完全になくなったわけではなかったようだ。ある日本企業の駐在員からは、地方都市に出張して、一仕事終えた後、せっかくだからパブで一杯、と思って足を踏み入れたのがバーの方で、店内にいた男が、
「あんたはあっちだ(サルーンの方へ行け)」
と言ってきたという話を聞かされた。日本人はどうだとか、そういったトラブルではなかったのだが、英国の労働者の感覚では、スーツにネクタイという身なりでは,バーで飲む資格はない、ということになるらしい。逆に、金融街として有名なシティのパブでは、「つなぎの作業服・安全靴での入店はお断り」という貼り紙を見たこともある。
日本人選手の活躍もあって、イングランドのサッカーは今やわが国でも注目の的だが、かの国では、サッカーに熱中するのは労働者階級で、中産階級はラグビーやクリケットを好むとされている。他にもこうした例は枚挙にいとまがないが、いずれもステレオタイプであって、現実には例外も多い。とは言え、「階級をひとつ上がるには3世代かかる」などと言われ続けていることも、また事実なのだ。
10年ほど前に、私は『しのびよるネオ階級社会 イギリス化する日本の格差』(「平凡社新書)という本を上梓した。かつての(と言っても昭和の時代くらいまでだが)日本では、学歴の差が年収の格差に直結するものと考えられてきた。そしてそのことは、「勉強すれば、親の職業などに関係なく出世の道が開かれる」などという美辞麗句で正当化されてきたのである。
いや、あながち美辞麗句だけでなく、真実が反映されていたと認めてもよいが、問題は、その格差が世代を超えて固定化されてきたのではないか。私は、そう考えた。
折から「ゆとり教育」が問題視されはじめた頃で、親の経済力次第でもって、子供の教育環境がまるで違うものになる。ちょうど、中産階級の英国人は、経済的に相当な無理をしてでも、子供を小学校から私立校に通わせるように。それが、時代劇の人気とどういう関係があるのか、と言われるかも知れない。本シリーズの締めくくりとして、その議論を展開する。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。