[為末大]【知らぬ経験】
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
ふと自分が記憶していない経験は経験したと言えるのだろうかと疑問に思って、友人に聞いてみたら、子供の時の記憶はないけれど確かに自分は経験しているはずだから、経験していると言っていいのではないかと言われた。
確かにそうだと思う。
人間が認識している情報は思ったより少ないけれど、認識していなくても見聞きしているものは多い。カクテルパーティー効果などを考えてみても、聞いたとも思わず、見たとも思わないものを、見聞きし経験していることはあるのではないか。
私達が認識しておらず、記憶にも残っていないけれども、確かに経験したもの、そしてそれらが蓄積されたものを一体なんと呼べばいいのか。
説明はできないけれども、確信に近い感覚でそうだと思えるものは認識されない経験の蓄積からくるものではないか。
コミュニケーションツールが無数に増えた。どこにいてもつながれるし、写真や動画なんでも共有できるように思う。共有しようと意図したものを私達は共有するけれど、意図されない情報は漏れてしまう。ありがとうと言いながらこわばる口元は伝わらない
記憶はそれそのままを覚えているのではなくて、それを見た時の自分の感情と見たものや聞いたものの関係を記憶しているのではないか。
石垣島の潮風の匂いがすると、オリンピックイヤーを棒に振った肉離れを思い出す。
記憶は潮風だけではなくて潮風の匂いがした時の自分も覚えている。
意図されたもの、認識されたもの。私達はそれを経験だと思いがちだけれど、覚えているほどに意味がなさそうで、それでも確かに経験した、自分で知りもしない蓄積されたものが案外自分を形成しているのではないかとふと思う。
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