<記憶を生きる私達>自分が「今」だと思っている事象も厳密に言えば「過去」のものではないか
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
考えてみれば、「今自分が感じた」と知覚するのは、神経を伝達して脳に辿り着いたものであるから、ほんの少し前のもので、自分が「今」だと思っている風景も、においも味も、厳密に言えば「過去」のものなのではないか。
「今という認識」は伝達されたほんのわずか前の「過去」。
「考える」という行為も、仮に脳の中にあるもので行われるとしたら、全ては記憶を元に行われている。じゃあ、記憶は本当に過去の体験そのままを記憶しているかというと、そうではなくて、過去に見たものはその時の自分の心の状態にも影響される。
中学校の時、先生が怒った事がある。同窓会でその話をすると、同級生はみな先生は怒ったんじゃなくて励ましていたという。人間は同じものを見ても、違う眼鏡をかけているから、実際には違うものが見えている。そしてその時の自分の心境も認識に影響を与える。
例えばある写真を見たときだけ思い出される記憶がある。
脳の中に記憶があり、それが写真で引き出されると考えるか、それとも写真との関係において存在する記憶と考えるか。ノートに書き残したものと、脳に記憶したものの違いはなにか。
過去の自分の決断が現在の行動に影響を及ぼす。「あの時、頑張りきれたから」という理由で、今も頑張れている人がいる。元々そういう性質があったとも言える。でも過去の経験で、自分は頑張りきれる側だという認識を自分に与えて、それを根拠に現在の行動を決めているという事は有り得ないか。
「いまここを生きる」という事は、そういう記憶を経た知覚や思考では成り立たない。今この瞬間は、外界と自分との境目に起きている風の「動き」や「におい」などしかない。そして今ここには外界との境目という意識すらないのかもしれない。
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