[千野境子]【リー・クアンユー後のシンガポールの懸念】~どうなる、権威主義体制から新統治形態への移行~
千野境子(ジャーナリスト)
3月29日、シンガポールの建国の父、リー・クアンユー初代首相の国葬で、棺を泣きながら見送るシンガポーリアンたちの姿は、90年代の終わりに新聞社のシンガポール特派員だった私にも感慨深いものがあった。仕事を支えてくれた助手も、あのスコールを思わせる激しい雨の中で立ち尽くし、追悼していたのだろうか。彼女は私が隣国インドネシアに出張するたびに「上級相(当時)には本当に感謝する。私たちは彼のおかげで幸せな生活ができる」と言っていた。
出張がアジア通貨・経済危機で混乱するインドネシアの取材だったからである。情勢は日増しに悪化し、遂にスハルト体制は32年で幕を閉じ、隣国マレーシアも通貨リンギットが売られて危機に陥る中、ひとりシンガポールは安定を保ち、ほぼ無傷であった。
1965年8月、マレーシアから追い出されるように分離独立し、シンガポールを率いたリーの建国の誓いの1つは「ニュースにならない国を造る」ことだった。確かに普通の大多数の国民にとってニュースなどない方が幸せなのだ。諺も言う。バッドニュース・イズ・グッドニュース。グッドニュース・イズ・ノーニュースと。
新聞記者には誠に不都合な国だったが、リーはぶれず、迷わず権威主義体制を貫き、『アジア四小龍』(エズラ・ボーゲル)の一角として繁栄を築き、1人当たりGDP(国内総生産)約5万5千ドルは日本を凌駕する。
しかし、リー亡き後のシンガポールは今後も豊かで安定したシンガポールであり続けられるのか。号泣する人々に過ったのは、悲しみとともに一抹の不安でもあったと思う。すでに事実上始まっているリー・クアンユー後のシンガポールの懸念は幾つかある。
第1は与党PAP(人民行動党)の一党支配体制が何時まで盤石なのかだ。2011年5月の総選挙でPAPは87議席中、史上最大の6議席を落とした。「政治の安定は変わらない」との解説は表向きで、現職閣僚まで落選した政府の衝撃は大きかったはずである。
私の時代の野党は2議席が定番で、一党独裁でないという言いわけにすぎず、付随して言論の自由も制限されていた。選挙結果はリーに敬意を払いつつも「肩身が狭く」普通の民主主義を望む有権者の登場を証明した。来年は総選挙。資金も頭脳もあるPAPは同じ失敗はしまいが、多党制により近づくのか、有権者の審判がかつてなく注目される。
第2は移民政策の行方だ。知的労働からブルーカラーまで移民に大きく依存し発展してきたシンガポールも今や岐路に立つ。不動産価格の高騰や交通渋滞、治安問題、自国労働者のレベル・アップなど課題は多い。リーも息子のリー・シェンロン首相も外国人労働者の受け入れ抑制をすでに言及している。繁栄を損なうことなく脱外国人労働者依存が出来るか、日本に劣らぬ少子高齢化社会だけに移民問題は国の命運をも握る。また経済がこのまま低成長なのかは日本にも気がかりだ。
リー・シェンロン以下PAPが、権威主義体制という古い殻を捨て、魅力ある新しい統治形態による都市国家シンガポールの再生を期待したい。