[渡辺 真由子]【「少年A」が語らなかったこと】~誰がなぜ、彼を「受け入れなかったのか」~
渡辺真由子(メディアジャーナリスト)
「答え」をずっと探していた。1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした元少年Aによる手記、『絶歌』(太田出版)を読みながらのことだ。当時14歳の中学3年生だったAは、なぜ犯罪の道へと足を踏み入れたのか。この世にオギャアと生まれ落ちた時から犯罪者だった者などいない。本手記をめぐっては、遺族への対応などの面で様々に批判が巻き起こっているが、犯罪者が「出来あがる」原因の究明につながるのであれば社会で共有する意義はある。そう思いながら読み進めた。
前半には、Aの生い立ちから事件を起こすまでが綴られている。子どもの頃から猟奇的な殺人に興味を持っていたAは、世界の猟奇犯罪事件の詳細を解説した雑誌や、異常犯罪心理に関する本を読みふけり、犯行の手口や逮捕されたきっかけなどを頭に詰め込んだ。「クラスの女子たちがジャニーズとのデートコースを何パターンも考えている間、僕は人を殺す方法を何パターンも考えた」という。あの「酒鬼薔薇聖斗」の犯行声明文も、アメリカの連続殺人鬼の声明文を真似たものだ。メディアと犯罪の関連性は「鶏が先か、卵が先か」という話ではあるが、この事件では少なくとも、メディアがAに犯行方法のヒントを与えた、ということは言えるだろう。
生い立ちに関しては他にも、「幼少の頃から周囲に馴染めず、絶えず自分を『異物』だと意識」し、小5で経験した最愛の祖母の死により、自分の異常性を押しとどめていた「錨(いかり)」を失ったこと、その後猫を次々に殺害するようになったこと、などが語られる。自分がいかに他の人と異なり、いかに残虐な行為をしたかが、繰り返し強調されている。だが肝心の、なぜ幼少時から異常性が育ち始めたのか、について理由は明確ではない。
端々から読み取れるのは、「自分は受け入れられていない」との思いだ。祖母のことを「この世で唯一、ありのままの僕を受け容れ守ってくれる存在だった」と振り返るA。自分のことを無条件に受け入れてくれる存在としては、まず両親を挙げるのが一般的かと考えられるが、Aにとっては違ったのだろうか。父親について「尊敬したことは一度もなかった」という。
母親については「僕を本当に愛して、大事にしてくれた」というが、一方で強い「胎内回帰願望」を持ち、「物心ついた頃から逮捕されるまで、布団の周囲を取り囲むようにぬいぐるみの山を築」いていたなどの記述からは、母性への飢えが伺える。学校生活でも中2の時に教師が、Aには近づくなと友人に忠告したことに強いショックを受けた経験などから、学校を「自分を排除し続けた世界の象徴」と捉えている。
家庭や学校でAが抱き続けてきた、自分が認められない感覚。それは男児を殺害し遺棄する過程で、「誰ひとりとして見向きもしなかった、醜くみすぼらしい透明な一匹の虫けらによって、これから世界がひっくり返される」ことへの愉悦に昇華した。
承認欲求が満たされなかったことが、Aを犯行に突き動かした一因であるとすれば、「誰がAを受け入れなかったのか」「なぜ受け入れなかったのか」がより詳細に明らかにされねばならない。これは先の「なぜ幼少時から異常性が育ち始めたのか」との問いとも、密接に関わってくると思われる。しかし、自分の核を形成した事柄についてAは掘り下げようとはしない。あるいは、見て見ぬふりをしているのか。「道化を演じる者にとって、それを見抜かれ指摘されることがどれほどの脅威かわかっていた」A。手記という場でも、道化を演じ切ったのかもしれない。