[瀬尾温知]【高校野球100年、選手たちそれぞれの夏】~東海大相模、45年ぶりの全国制覇~
瀬尾温知(スポーツライター)
「瀬尾温知のMais um・マイズゥン」(ポルトガル語でOne moreという意味)
高校野球100年の夏、決勝は、両校ともに好投手を擁し、実力通りに勝ち上がってきた仙台育英と東海大相模の対戦だった。同点で迎えた9回、エースがエースから決勝ホームランを放ち、東海大相模が45年ぶり2回目の夏の全国制覇を果たした。春夏通じて決勝で10回すべて敗れていた東北勢は、11回目の挑戦でも悲願の初優勝を成し遂げられなかった。「この100年、日本は激動と困難を乗り越えて本日の平和を成し遂げました。このような節目の年に、聖地「甲子園」で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいたすべての方々に感謝して、全力でプレーします」。広島に原爆が落とされてから70年の8月6日に、鳥羽の梅谷成悟主将の選手宣誓で開幕した全国高校野球。
1915年の夏に全国大会が始まってから節目の年。戦争による中断があったことで97回目となった今大会は、100年前の第1回大会に出場した10校のうち2校が出場してきた。京都代表として出場した鳥羽の前身が、その第1回の優勝校だった京都二中。もう1校が、注目に値する活躍をした1年生、清宮幸太郎のいる早稲田実業だった。
節目の年に巡り合わせて甲子園デビューを飾ったことを運命というのだろう。清宮は19打数で2本塁打を含む9安打4四死球8打点と堂々たる成績だった。堂々としていたのはグラウンド上だけでなく、「決まり切ったことを言うな」という父親の躾が行き届いたインタビューの受け答えも立派なものだった。ありふれた言葉を安易に使うのは一種の逃げ道、その場をごまかして逃げるような生き方はするな、という教育なのだろう。考えて発言し、その言葉に責任を持つことが、清宮の自信につながっているように見受けられた。
清宮の注目度には及ばないものの、抜群の身体能力で話題を集めたのは関東第一の3年生、オコエ瑠偉だった。ナイジェリア人の父の遺伝子を受け継いだ183㎝85㎏の恵まれた体格で、走攻守すべてに潜在能力のある選手。18打数で1本塁打を含む6安打6打点の成績を残し、すでにプロ志望を表明している。清宮とオコエはともに準決勝まで勝ち進み、記念すべき大会に彩りを添えた。
目立った活躍で脚光を浴びた選手とは対照的に、ミスに苛んでいる選手がいることも忘れてはならない。早稲田実業が0対7で敗れた準決勝の試合。3回に3点を先制された直後の攻撃で、2死満塁と反撃の好機をつくった。打席には3回戦でホームランを打っている4番打者。その場面で、投手のけん制でアウトになった山田選手のことが気になっている。チャンスを逸してしまい、悔しくて自分を責めていることだろう。
一瞬の判断で大切なものを失ってしまうのが野球であり、人生にもある。残酷だが、同じ場面をやり直すことは叶わない。でも、似たような状況に置かれることはこの先にきっとあるだろう。そのときに最良の判断で勝利をつかみ取ってほしい。悔しさを乗り越えようと耐え忍姿を見守っている人がいるはずだから。
故郷の誇りを胸に繰り広げた熱戦、郷土へ想いを馳せる夏の高校野球。活躍して脚光を浴びた選手、ミスして悔いを残した選手、それぞれの夏があった。仲間と汗を流した日々、肩を寄せ合って応援した日々が、夏の終わりとともに思い出に変わっていく。
※トップ画像:第97回全国高校野球選手権大会 決勝 東海大相模 対 仙台育英高校 試合終了の場面(2015年8月20日撮影 ⓒ安倍宏行)