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スポーツ  投稿日:2015/7/16

[神津伸子]【教え子の一言に「ふるえた」。】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 3~


神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)

執筆記事プロフィールFacebook

指導者冥利に尽きる瞬間というのは、そうあるものではない。名将と言われる江藤省三でさえ、そこまで多くはないのではないか。

全国高校選手権大会千葉県予選1回戦前日、7月中旬の日曜日。グラウンドが乾いているせいか、暑さはさらにヒートアップしていた。午前7時からの練習に備えて、川崎市に住む江藤が家を出たのは5時過ぎ。指導に出向いている高校の近くに住む、慶應義塾野球部時代の1期後輩の杉山敏隆の家のチャイムを押したのは6時半。待ち構えていた後輩の姿は凛々しかった。前日は、グラウンドを訪れながらも、着替えることなく見守るだけだった杉山が、この日は練習用ユニフォーム姿だった。

10年前に、脳出血で倒れた杉山が、練習着に袖を通したのは、実にそれ以来初めてのことだった。「あの日に死んでいた命。それからはおまけの命で、恩返しに使っていきたい。だから、私は江藤さんの“私設応援団長”」豪快に笑い飛ばす。

この日は、部員不足を補うための2人の助っ人も、グラウンドに姿を現した。さらには、校庭の片隅で前日と同じ光景が目に飛び込んで来て、江藤は目を細めた。江藤の教え子で慶大野球部の教え子、茅根徳人に前日教わった練習方法で、3年生捕手が黙々と同じ3年生投手を捕まえて練習しているではないか。その後も手を休めることはなく、次は女子マネジャーに投げてもらい始めた。

目の前に至近距離から、ワンバウンドでボールを右へ左へそらしながら、ワンバウンドで投げてもらい、キャッチする。基礎の基礎のこの練習を、とても必死にしかも楽しそうにこなすキャッチャーの姿は眩しかった。

「教わったことをグランドで早く試したかった」と話す最上級生の姿に、「本当に嬉しかった」(江藤)捕手は話を続けた。「このまま野球をやめるのがもったいない気がするから、進学も考えたいです」江藤は、この言葉を聞き、グラウンド上で「ふるえた」。武者震いとでも言うのだろうか。こんな瞬間のために、江藤は野球を教え続けているのかもしれない。練習を重ねて、自信がついたのか、自分がやれると思ったのだろう。野球をやめて、就職を決意していた一人の男の人生をも左右するほど、指導とは大きな影響力を持ち、かつ、難しい。

日曜日は10人の部員と助っ人、女子マネが黙々と練習をこなした。日差しはさらにきつくなっていた。助っ人の1人は軽音楽部、ちょっと伸ばしたロン毛がヘルメットの下にはみ出すのもご愛嬌だ。もう1人の助っ人は練習には来なかったので、少し心配にはなった。練習後には、やはり校歌を歌い、イメージトレーニングは完了。この日も、大きな声が、遠くの白い4階建ての校舎に反射して、戻って来てグラウンドにこだました。

いよいよ予選一回戦、当日の朝。江藤は久しぶりの公式戦に、しかも可愛い教え子たちの気持ちを思い、興奮して、早朝4時半に目覚めた。

午前8時45分試合開始なのに、江藤は家を5時半と、早めに出た「驚くほど近かった」と、アクアライン上の“うみほたる”で、コーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせてた。海面には数えきれないほどの小さな白波が立ち、風の強さを物語っていた。実際、アクアラインの橋の上の風速は10m。車高が高い車だとハンドルを取られそうなほど、車体が揺れた。

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緑に囲まれた袖ヶ浦球場。強風のためか、青空がやけに澄み切っていた。「フライが上がると、厄介だな。風が勝敗の決め手になるのでは」江藤はアドバイザーという立場上、チームの監督、部長がいるので立場上ベンチ入りは出来ない。白シャツにつばの広いテンガロンハットでバックネット裏に控えた。真夏のような日差しが肌を突き刺す。

試合が始まる前日までに、全て伝えてあった。例えば、「お前たちは性格が良くて、曲がったことが嫌いだから、打つ時は真っ直ぐだけ狙っていけ!」緊張感しているナインの気持ちをほぐしながらも、適切な言葉を送る。カーブなど変化球を打てない選手たちへの、精一杯の表現だった。

8時を過ぎても空っぽだった三塁側応援席が、白いシャツの制服姿で埋まり始めた。純朴な少年少女の笑顔が並ぶ。手には思い思いのメガホンを持ち、カラフルにスタンドを染めていく。かたや、相手方はスクールカラーのグリーン一色。応援も手慣れたもので、ベンチ外の選手たちも50人ほど見受けられた。

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江藤が指導するチームのユニフォームは紺のアンダーシャツに白いユニフォーム。胸に紺色のローマ字で校名が誇らしげに入っている。3年生捕手を中心にベンチ前で円陣を緩やかに組み、リラックスするためか、踊りのような体をほぐすような仕草を全員で取り、笑顔も見受けられた。

彼らと江藤は高く仕切られたネットで隔てられてはいるものの、心は一つに見えた。
「彼らは、打っている時はいいのだけど、守備がなあ・・・」ぽつり、ささやいた。
何よりも心配されるのは、主将の3年生エースが腰痛。この日は、痛み止めを打っての登板となった。「3回が限界だと思う」江藤は、今度はきっぱりと言った。

試合は時間通りプレーボール。強い風が1塁側から3塁方向に吹き、まだスコアが書き込まれない掲示板上方の3本の旗だけが、激しく揺れていた。1回の攻防は両チーム三者凡退。江藤の懸念が吹き飛び、笑顔が戻った。

江藤の言葉が、思い出される。「少年・学生の指導者は、勝利優先の指導ではなく、”野球の面白さ”を教える事を忘れてはいけない。野球は面白い→面白いから練習が楽しい→楽しいと練習して上手くなる→その結果、試合に勝つ。このサイクルが大切だ」彼らは、今、野球が面白くて仕方ない。試合を心から楽しんでいるように見えた。

( に続く。

【“24の瞳”少年・高校球児を指導する男】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 1~
【誰にでも甲子園はある】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 2〜

も合わせてお読みください)

 

<江藤省三プロフィール>

野球評論家。元プロ野球選手(巨人・中日)、元慶應義塾大学硬式野球部監督
熊本県山鹿市生まれ。
会社員(父は八幡製鐵勤務)の四人兄弟の三男として誕生。兄(長兄)は元プロ野球選手、野球殿堂入りした愼一氏。
中京商業高校(現中京大中京)で1961年、甲子園春夏連続出場。同年秋季国体優勝。
卒業後、慶應義塾大学文学部に進学、東京六大学野球リーグで3度優勝。4季連続ベストナイン。

63年、全日本選手権大会で日本一となる。
65年、ドラフト元年、読売巨人軍に指名される。
69年、中日に移籍。代打の切り札として活躍。76年引退。
81年、90年から2度巨人一軍内野守備コーチ。

以降、ロッテ、横浜でコーチ歴任。
解説者を経て、2009~13年、慶應義塾大学体育会硬式野球部監督。
10・11年春季連続優勝。
この間、伊藤隼太(阪神)、福谷浩司(中日)、白村明弘(日本ハム)のプロ野球選手を輩出。
14年春季リーグ、病床の竹内秀夫監督の助監督として、6季ぶりに優勝に導く。

 

※トップ画像:いよいよプレイボール!
※文中写真上:アドバイザーという立場ではベンチ入りできない。バックネット裏で教え子たちの頑張りを見守る江藤省三。
※文中写真下:仲間たちが応援に集まり始めた。

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