[岩田太郎]【ヌードでタイトル剥奪元ミス・アメリカ、32年後の名誉回復】~謝罪は必要だったのか?~
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
今から32年前の1984年、黒人として初のミス・アメリカに輝いたものの、10か月後に男性向けポルノ誌『ペントハウス』にヌード写真が掲載されたことを受け、タイトルを剥奪された歌手・女優のバネッサ・ウィリアムズ氏(52)に対し、主催団体は9月13日、「当時の執行部の判断は間違っていた」として謝罪した。さらに、同日開催された本年度のミス・アメリカ選出大会で、同氏は審査委員長を務め、全米で「謝罪は必要だったか」という議論を巻き起こしている。主催団体代表のサム・ハスケル氏は、審査委員長として大会のステージに戻って来たウィリアムズ氏に対し、「あなたは、人生を気品と尊厳を持って生き抜いてきた。それは、あなたが1984年にタイトルを自主返上したことに如実に表れていた。あなたと、お母様のヘレンさんに、貴女について言われたことや、仕打ちによって、ミス・アメリカでないように感じさせたことを謝罪したい。あなたは、永遠にミス・アメリカなのだから」と語りかけた。
ウィリアムズ氏は10歳の時に、女性からの性的虐待を受け、10代の時に中絶も経験している。タイトル剥奪を受けた彼女は、キャリア的に再起不能だと思われていたが、1980年代後半に歌手として、まがいものでない美声で全米ヒットチャート上位に食い込むヒットを次々に連発し、その美貌から女優業にも進出して、不死鳥の如く復活した。その実力と、シングルマザーとして4人の子供を育て上げた実績は、ヌード写真の過去を人々に忘れさせるに十分だった。
各州のミス代表や観客からの満場の拍手で感極まったウィリアムズ氏は、涙声で謝罪を受け入れ、「大会をあるべき姿に戻した」と関係者に感謝の言葉を述べた。ヌード写真は、同氏の同意を得ずに掲載されたものであり、主催団体は1984年のタイトル保持者を、ウィリアムズ氏と繰り上げでタイトル保持者になった2名としており、彼女は現在もれっきとした「元ミス・アメリカ」なのである。
だが、この主催団体の判断に疑問を呈する声もある。黒人ウェブメディア『ザ・ルート』の女性編集者であるディメトリア・ルーカス氏は、「タイトル剥奪が黒人差別だったから、それを正したとの声もあるが、繰り上げでタイトルを獲得した女性も黒人だったから、それは関係ない」と断言した。
さらに、「当時掲載された写真を御覧なさい。大会の主催者のミッションとは、相容れないものであることがわかる。ウィリアムズ氏は、やはり若い時の過ちの代償を、相当の方法で支払わなければならなかったのだ」との見解を表明した。ルーカス氏は、実際の写真を検索・閲覧した上で、「フツーのおっぱいとお尻の(芸術的)作品ではない」と説明した。
(注意:以下、写真の説明に具体的な性行為の描写あり)
検索してみると、2回分の撮影で撮られた、18歳になったばかりのウィリアムズ氏の写真が出てくる。1回目は単なる「芸術写真」であり、美しい。これだけなら、タイトル剥奪はなかったかもしれない。
問題は2回目の撮影で、相手役の白人女性と、レズビアン性行為のカラミを行っているシリーズだ。現代の、「局部も含め、すべて無修正で見せます」ではないにせよ、写真が伝える世界観は、濃厚なセックスだ。ウィリアムズ氏が相手役の女性に正面からオーラル・セックスを行い、相手役が彼女のアナルにオーラル・セックスをするなど、かなり過激だ。ミス大会の代表が、セックスをしていけないというのではない。ただ、性行為やあえぎ顔を撮影させたのは、公開されることを知らなかったにせよ軽率だ。
撮影後の彼女は、大会にエントリーすべきでなかった。国を代表するのだから、誹りを受け、名誉を汚すようなことが万が一にもあってはいけない。その意味で、ルーカス氏の「主催団体は謝罪する必要はない」という主張は、説得力がある。
要は、ミス代表が、子供にも胸をはって説明できる言動を行っているか、ということである。ミスのタイトルは、時にはセックス演技も必要な女優の大賞ではない。地元や国や博愛を体現し、そうした価値観を代表する役目だ。その存在は「私」ではなく、「公」なのである。
過去にそうした写真を撮らせた人たちは、ミス大会でなくても、まともな活躍のチャンスのきっかけが、別のところに多くあるのではないか。