ユネスコの特異性と分担金の停止~中国申請の「南京大虐殺」世界記憶遺産登録~
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界記憶遺産に中国申請の「南京大虐殺資料」を登録したことに対して、日本側ではその措置を一方的だとして抗議のためにユネスコへの分担金の支払いを停止すべきだとの意見が噴出した。だがその意見に対し「国連機関の軽視につながる」とか「国際世論の反発を受ける」という反論も出てきた。しかしユネスコへの抗議からの分担金支払い停止はアメリカやイスラエルが実施しており、ユネスコ側でもその抗議に敏感に反応し、分担金停止国の意向をくんだ措置をとる実例も目立っている。だから日本も分担金停止にためらう必要はないようだ。ユネスコは国連関連諸機関のなかでもとくに政治要因に左右されやすい特異な組織として知られてきた。神聖不可侵などとんでもない。きわめて粗雑な側面の多い機関なのだ。そしてなによりもその真の運営は国連への財政負担の大きいアメリカや日本という主権国家が主役であり、ユニセフの事務局長や諮問委員会は単なる事務職なのである。だから日本もユネスコの決定や動向が自国の利益に反するとなれば、容赦なくその不満の声をぶつけるべきなのだ。分担金の支払いを停止することも効果のある抗議方法である。
ユネスコは1980年代にはセネガル出身のムボウという人物が事務局長として組織全体を反欧米の政治方向へ引っ張り、内部でも縁故主義や公私混同を横行させた。それに抗議したアメリカはユネスコ自体を脱退した。イギリスやシンガポールも同様に脱退した。アメリカは復帰までの20年間、ユネスコとはなんの関係も持たず、なんの支障もなかったわけである。
2011年にはユネスコは国連全体としては加盟を認めていないパレスチナを普通の主権国家扱いしてフルメンバーとして迎え入れた。加盟国全体の多数決の結果だった。それでもアメリカ、カナダ、イスラエルなどはパレスチナを完全な主権国家と認めておらず、ユネスコに抗議をぶつけ、分担金の支払いを停止した。2013年10月にはアメリカとイスラエルはまる2年も分担金を払わなかったことになり、ユネスコでの投票権を失った。
ところが2015年2月にはユネスコはパレスチナが申請した「パレスチナの主張ポスター保存」の登録を拒否してしまった。イリナ・ボゴバ事務局長はその理由を「ポスター類の内容があまりにも反ユダヤ主義的で、その記憶遺産登録は新たな文化摩擦を招きかねない」と説明した。だがユネスコの記憶遺産登録を審議する国際諮問委員会はすでにこのパレスチナのポスターの登録を認める内定をしていた。ボゴバ女史が事務局長の権限でその内定を覆したのだ。
ボゴバ事務局長に対しては出身国のブルガリアの民族や社会の風土のためか、就任時から「反ユダヤ主義の傾向があるようだ」という批判が出ていた。だから今回のパレスチナのポスターの場合、ボゴバ事務局長に対しては事前から「パレスチナを支持してユダヤ民族やイスラエルに厳しい判断を下す危険がある」という警告が流れていた。その警告や抗議がボゴバ事務局長に重い圧力となって、過敏とも受け取れる対応をみせ、中立性や客観性を示そうとする判断を下した可能がワシントンでは語られた。
アメリカやイスラエルはユネスコには分担金も払わず、投票権を失っていたにもかかわらず、その意向をユネスコに実現させたということになる。やはり民主主義の主権国家が強い意思を明確にぶつけることこそ、ユネスコを正しい方向へ動かす方法なのだといえよう。
トップ画像:文部科学省HP ユネスコ記憶遺産 登録の手引(英語版)キャプチャ