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.社会  投稿日:2014/1/3

[安倍宏行]情報の洪水の中で「テレビが社会の羅針盤」になりえた時代は終わった〜テレビが出来ない事をインターネット・メディアは出来るのか?Japan In-Depthの挑戦


Japan In-Depth編集長

安倍宏行(ジャーナリスト)

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ずっと違和感があった。

それはテレビと言う世界で記者、特派員、キャスター、解説委員(コメンテーター)とやってきて、だ。その違和感は、自分が発信しているモノが、砂漠の砂に吸い込まれていくような感覚とでも言ったらいいのだろうか。

ずっとニュースを分かりやすく伝えたい、と思ってきた。それは視聴者にニュースの表面だけでなく、裏側、深層を分かってもらうためだ。だから、リポートも通り一遍のものではなく、出来るだけ分かりやすく見てもらう工夫を凝らした。リポートの命は顔出しだ、何処で顔を出すか、意味が無くてはならない、だからリポートする場所を徹底的に選ぶことが大事だ、とこれまで大学のメディアの講義で学生達に説いてきた。ニュースのリポートは長くて2〜3分、短ければ1分未満。その時間内で出来る限りニュースの全体像を伝えたい。そう考えて走り続けた21年だった。

しかし、本当に自分の伝えたいことは伝わっているのだろうか? という疑問はずっと拭い去ることが出来なかった。「お前の伝え方が稚拙だっただけだろう。」とか「そんな短い時間でニュースの深層なんて伝えきることは無理だろう。」などという突っ込みは甘受しよう。しかし、だ。最近も学生達と話していて、ふと考えさせられる事があった。

私はとある大学の学部生にボランティアで、英語でディスカッションの講義をしている。ある日のテーマは「憲法9条の改正」だった。1、2年生には難しいテーマではあったが、賛成、反対が分かれそうだし、テーマとして取り上げるには丁度いいと思ったのだ。その時、反対を表明した学生に聞いてみた。「もし敵国が攻めてきたらどうするのか?」と。日本語でも答えにくい質問ではあったが、その学生から明確な答えは返ってこなかった。そこまで想像力が働かないのだ。原発ゼロの問題も同様だ。そうした日本の方向性を決める重要な問題を普段から考えていない学生がほとんどだ。

長年報道に携わってきて、メディアはそうした重要な問題についてちゃんと伝える事が出来ているのか、社会に問題を喚起することが出来ているのか、と自問自答せずにはいられなかったのだ。また、ある時、総選挙の話になった。多くの学生が選挙に行ったことがない、もしくは行くつもりが無い、と言う。理由は、地元に住民票があるから、と言うものだった。そもそも選挙に興味が無いから、地元の選挙管理委員会から投票用紙を取り寄せることが出来る事も知らなくて当然だ。

政治は自分には縁遠い、関係ない、と思っている人は多い。特に20代の人は。しかし、政治ほど私達の社会=生活に影響力のあるものは無い。戦争を行う事を決めるのは政治である。それは私達個々人の選択では決してない。政治は私達が投票で選ぶ政治家によって行われる。国の政治家は法律を作り、官僚にその遂行を指示する。私達は法律によって秩序が保たれている社会に住み、生活を営んでいる。単純な事だ。その単純な事を無視することは出来ない。

個人で勝手にやればいいんだ、ということにはならない。人は1人では生きていけないからだ。社会という集団の中の一個人として人は生きている。その秩序を乱せば(=法を犯せば)逮捕され、投獄され、程度によっては死刑になるのである。

アナーキストとして生きる覚悟が無い限り、この国のあり様を考えることは、当然のように私には思える。何故ならそれは自分自身のQOL(Quality of Life)に直結する問題だからだ。社会はどうでもいい。国はどうなってもいい。自分さえよければ。ということにはならない。少子高齢化が進み今の20代〜30代の将来の税負担が上がると分かっている今。女性が働きやすい社会を、と掛け声は勇ましいがその実現に向けての政策のスピード感が感じられない今。若い世代がこの国のありようについて無関心であるのなら、彼らの為の政治は決して行われない。そのことに彼ら以上に危惧を抱かざるを得ない。

私がメディアで仕事をしてきたのは、少しでも社会がよくなればいい、と思ってきたからだ。安定して、安全で弱者にも優しい社会。一人一人が生き生きと働ける社会。多様性が認められる社会。世界の平和にも積極的に貢献できる国にしたい。そう思って58年生きてきた。私のしてきた事はそうした目的を達成しただろうか?

何故、テレビじゃなくて、インターネットなのか? そう聞かれたら答えに窮するかもしれない。自分でも何故かは明確ではない。しかし、一つだけ分かった事がある。それは、「テレビで数百万、時には数千万の人に一度に情報を流しても、それがそのまま人々に浸透するわけではない。」ということだ。社会が豊かになり、あらゆる情報がインターネットのお陰で容易に手に入るようになった現代。人々は情報の洪水の中、むしろ羅針盤を失っているようにも見える。テレビが社会の羅針盤になりえた時代は終わったのだ。

ならば、インターネットはどうなのか? こちらも暗中模索が続いている。しかし、少なくても可能性はある。まず、活字では、新聞のように紙面の制約がない。また、放送もテレビと違って時間の制約がない。

インターネットはテレビと違い、一度に伝播する、いわゆるPUSH型ディアではない。人が訪れてくれないと見てもらえない、PULL型メディアだ。訪問する人はテレビと比べると驚くほど少ない。でも、わざわざ来てくれる人はその情報を入手したいという意思を持って来る人だ。そういう人は、ただ漫然と情報の洪水に身を任せている人と比べて、情報の受け取り方が違うのではないか。

インターネット・メディアは、テレビが出来なかった”KIZUKI”を人々に与える事が出来るだろうか?そして人々は社会を、自分たちの生活を良くするために”ACTION”を起せるようになるだろうか?

そんな壮大な実験を今、Japan In-Depthはやっている。

 

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