[岩田太郎]【従わねば罰する「教育」と、傾聴し信頼する「教育」】~米国の「教育」内情 その2~
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
米サウスカロライナ州の高校で、白人保安官が退室命令に従わない黒人女子生徒を引きずり倒して拘束した事件は、米国の教育現場で「従わねば罰する」という監獄的アプローチが「教育」とされていることを、白日の下に晒した。子供を慈しんで信頼するのではなく、安易に警察に引き渡すことで社会的な「不適合者」を判別・決定し、犯罪者に仕立てて教育の場から排除し、将来の処遇を「前科者」として決定しまう権力として、教育者はふるまっている。教育は勝者と敗者をふるい分けるためにあり、敗者は暴力や司法を使って排除される。
そこには、問題児や落ちこぼれに対する愛情や、生徒を大人社会の厳しさから守り、立派な大人になってくれると信じる心や、教え導く者の責任感や誇りは微塵もない。子供への非寛容を是とする米ゼロ・トレランス方式は、ナチスの如く「不要で価値のない者」をでっち上げ、排除する犯罪的行為の言い訳に過ぎない。
今から40年ほど前、筆者が京都市で一番荒れた市立中学校に通っていた時の、京都市教育委員会の対応は違っていた。全国で1980年代に学校の荒廃が問題になるずっと前に、我が母校はそうした事象のすべてを先取りしており、「天下の○中」と呼ばれ、京都じゅうから怖れられていた。
筆者の学年の男子生徒十数名からなるグループは授業をサボり、ほうきの柄で校舎の窓ガラス数十枚を割り、中年男性教諭を殴ってケガをさせ、荒れに荒れた。それが、毎日のように数か月も続いた。今なら即、警察に通報されるだろう。だが、校長も教育委員会も通報はせず、内部で解決を図った。恥を外にさらさないという当時の考えだが、校内自治は守られ、目に見える効果があった。
まず、京都市教育委員会は4月の異動で、市全域から選りすぐった20代後半中心の屈強な男性教諭たちを、一学級二人担任制で送り込んだ。いくら不良中学生たちが強くても、若い男性教師の城壁のようなスクラムには勝てない。中年男性教師や女性教師では手に負えない連中が、次第に若い男性教諭たちに心を開き、暴力問題が完全解決とは言えないまでも、学校側の制御の下に置かれた。
最も印象的だったのは、これらの欠点はあるが愛すべき教師たちが、暴力的なぶつかりを受け止めただけでなく、荒れている生徒の言い分を真摯に聞く態度を持っていたことだ。事前に訓練を受け、相当な覚悟で着任したのであろう。
暴力を体で受け止めた後は、「お前、どうしたんや」「なんか、言いたいことあるんとちゃうか」「言うてみ」と、生徒たちが気の済むまで話を傾聴したのである。放課後も、部活動や家庭訪問で徹底的に付き合った。情熱に燃える教師たちは、生徒におもねらず、それでいて本当に一生懸命話を聞いていた。
彼らは真摯な人と人のぶつかり合いで生徒の心をつかみ、勝利した。自分たちが掛け値なしに信頼されていると悟った不良たちは、自己も他者も大切に扱うようになった。高校に進学しない者もいたが、後に法に触れるようなことをした人はいなかった。先生たちが、自分らを価値のある者と認めてくれたからだ。
これぞ更生である。筆者は小中高と市立校だったので、京都市教育委員会の闇の部分もよく知っている。悪い教師もいる。だが、この決意の対応は本当に立派だった。これが教育であり、あの先生たちこそが教育者だと、深く尊敬した。
警察への通報など誰の頭にも浮かばなかった時代、教師も生徒も真剣にお互いに向き合うしかなかった。だが、そうした困難こそが知恵や本当の解決へとつながり、筆者が親になった今、子供へのかかわり方の揺るがぬ指針となっている。
翻って、現在多くの米公立校で行われている「教育」では、生徒が「教育者」に盲従しなくてはならない。教師たちは些細なことでも生徒が思い通りにならないことが許せず、すぐ警察を呼ぶ。教育者としての責任を放棄しているのだ。
そして、生徒に「犯罪者」「前科者」のレッテルという背負いきれぬ重荷を負わせ、その重荷に指一本触れようとしない。あの時荒れていた筆者の同級生たちが警察に通報されていれば、彼らは今頃どうなっていただろうか。元不良らは、勇敢で心優しい教師たちに価値を認められ、救われた。そういう教育者にこそ親たちが全面的に協力し、地域社会全体が彼らを尊敬し、学校が安定した好待遇で報いる体制こそが、教育現場、ひいては社会全体の問題解決につながる。
(本シリーズ全3回。この記事は
【黒人女子高生が白人保安官に引き倒された本当の理由】~米国の「教育」内情 その1~ の続きです。
その3【見失われた教育がもたらす権力の暴走】に続く。)