[清谷信一]【仏同時テロ:無自覚な“文明的暴力”を批判せよ】~難民急増の深層 その2~
清谷信一(軍事ジャーナリスト)
だが現実はより悪い方向に向かった。60年代にアフリカで何があったかを思い起こせば、単純に独裁者を倒せばいいという、水戸黄門的な勧善懲悪は通じないことは明白であった。1960年は多くのアフリカ諸国の独立が行われ、「アフリカの年」と呼ばれた。ところがこれらの新興国では内乱や紛争、他国への戦争を含め多くの騒乱がおこり、極めて大きな数の民衆が命や手足、財産や住まいを奪われ、難民と化した。
その影にはかつての東側、ソ連や中国、キューバなどの介入があり、西側との代理戦争の形があったことも事実ではあるが、欧米諸国の旧植民地における利権の確保のための政治工作や介入もこれまた大きな原因であった。
ところが欧米諸国、特に西欧諸国の世論やメディアはこのような事実に目をつぶっていた。自分たちの中東やアフリカへの負の関与から目を背けて、自らを「善意の第三者」であるかのように振舞ってきた。そのような「善意」が現在の中東の悲劇や混乱、そして大量の難民やテロを生み出す原因となっている。正に「地獄への道は善意という敷石で舗装されている」という言葉そのものだ。
独裁が悪いのであれば、サウジアラビアやUAE湾岸諸国の人権(特に女性の人権)をないがしろにする「独裁国家」に対しても厳しい態度を取り、場合によって政権転覆の工作を行うべきだろう。ところが欧米諸国はこれら諸国と友好関係を結び、また自国兵器の優良顧客として遇していた。多くの武器を売り、利益をあげてきた。また自国に有利な投資なども行ってきた。その影には多くの収賄事件も起こっている。典型例はサウジアラビアに対する英国政府とBAEシステムズの収賄事件がその典型例だ。
本来「正義」を標榜するのであればこれら「独裁国家」も倒すべきだろう。また中国に対する姿勢も同様である。更にイランの核開発が核兵器の拡散であり、危険だと非難するならば、何故イスラエルが核兵器を保有していることを非難しないのか。イスラエルが核兵器を保有していることは公然の秘密である。
これらは俗にいう二重基準である。ところがそれに疑問を感じずに、無邪気に「西欧的主義こそが正義である」と信じて民主化を求めた結果が多くのテロを生む温床になっているではないだろうか。
筆者は長年ジャーナリストして、また自ら企業を経営するビジネスマンとして長く、欧米(そして中東やアフリカ諸国)の人間と付き合ってきたが、未だに欧米の人たちは無邪気に悪気なく、自分たちの価値観こそが、古今東西、世界の価値観の基準であると無意識の内に信じていることを実感する。彼ら多くがその根底には悪意がない。悪意がない分悪質であるとも言える。他人は自分とは同じには考えないというアタリマエのことが理解できない。できないと、「異質」であるとか「悪」であると断定する。
今では欧米でも寿司や刺し身は日常的に食されているが、かつて我々日本人も魚を生で食べる=料理をしない未開人、といった視点で見下されていた。自分たちも生牡蠣やタルタルステーキを食べるにもかかわらずだ。このことを思いだせば容易に、彼らのメンタリティが想像できるだろう。
かつて90年代米国は陸軍向けに新型自走砲を開発していたが、その名称が「クルセーダー」(十字軍)である。このプロジェクトは中止されたが、実現してればサウジアラビアなど中東駐留米軍にも配備されたはずだ。十字軍といえばアラブから見れば悪鬼のような存在である。米軍関係者には悪意はなかったのだろうが、歴史と現地の感情に対する配慮がかった。だが現地の人間にしてみれば喧嘩を売られているようなものである。このような無自覚な「文明的暴力」を起こしていることを欧米人は得てして鈍感である。
本稿の目的は欧米に対する非難でも、またテロの原因は欧州にあるというものでなはい。筆者も欧州には友人、知人も、また取引先も多い。またイスラエルも同様である。彼らのことを真剣に考え、友人としては言いにくいことも言うべきだ。日本政府も単に欧米の対テロや報復に賛同するのではなく、このような事件の深層と分析し、また友人として彼らの問題点を指摘すべきだ。それが本当の友人だろう。
(この記事は、【仏同時テロ:中東独裁国家への歴史的介入が原因】~難民急増の深層 その1~
の続き。本シリーズ全2回)