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.政治  投稿日:2016/5/26

オバマ広島訪問 被爆者や家族、遺族の声


Japan In-depth 編集部 (Emi)

「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた原爆死没者の慰霊碑に現職のアメリカ大統領が献花することになれば、それは核を巡る歴史的な瞬間となるだろう。

謝罪なのか、謝罪ではないのか、政治的パフォーマンスなのか、現職の大統領として初めてとなるオバマ大統領の広島訪問は様々な視点で語られるが、日米の間に横たわる長い「戦後」の歴史に刻まれる大きな出来事には違いない。就任当初の2009年のチェコ・プラハでの演説で「核なき世界」を提唱したオバマ大統領は、被爆地で何を語るのか。

「世界中の人々とりわけ為政者は、広島に来て被爆の実相に触れて欲しい。」

広島市などは、国内外にこの思いを発信してきた。「実相」というのはあまり聞きなれない表現だと思うが、広島では原爆の被害や実態の全容を指す表現として一般的に使われる。被爆の「影響」、「様子」、「現実」、そんな言葉では表現しきれない、原爆のあまりに残酷で深い苦しみを指した言葉だ。そして世界の「為政者」の中でも、最も強い思いで訪問を願っていたのが、言うまでもなく原爆を投下したアメリカの大統領だ。

「核兵器を使用した唯一の国として行動する道義的な責任がある。」

2009年、プラハ演説でこう述べ、「核なき世界」を提唱したオバマ大統領は、ノーベル平和賞を受賞した。具体的な実績がない中での受賞は異例とも言えたが、今後の行動への期待や、核兵器廃絶への機運の高まりを後押しする受賞との見方が広がった。

その期待感は、もちろん広島にも広がった。

当時の広島市の秋葉忠利市長は、オバマ大統領と「多数派」を意味するマジョリティーという言葉を合わせた「オバマジョリティー」なる造語を掲げ、オバマ大統領に賛同するキャンペーンを市の事業として展開したほどだ。被爆者団体からも「オバマさんに広島に来て欲しい。」という声を聞くようになった。

しかしその期待感は、徐々に薄らいでいくことになる。

「核なき世界」を掲げた翌年の2010年9月には、オバマ政権下で初めて核爆発を伴わない臨界前核実験を実施し、核戦力を維持する姿勢を示した。

更に近年では、「Zマシン」というエックス線発生装置を使い、プルトニウムの反応を調べる新しいタイプの実験を繰り返している。被爆者団体などは、これを「新型の核実験だ。」として、抗議の声をあげた。

「あのノーベル平和賞受賞は何だったのか?」

去年、被爆から70年の節目の年にニューヨークで開かれたNPT・核拡散防止条約再検討会議も、核軍縮の停滞を感じさせるものだった。アメリカは、今後の核軍縮の取り組みを示す最終文書に盛り込まれた中東の非核化を巡る内容に反対し、会議は「決裂」という最悪の結果に終わった。5年に一度開かれるNPT再検討会議が最終文書の採択に失敗したのは、2005年以来のことだった。

プラハ演説の中で、オバマ大統領は確かに「アメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求する。」と述べた。しかし「この目標は直ちに達成される訳ではない。私の生きているうちは無理であろう。」と続けている。

そして日本政府も核の問題に関しては、国際的に非常に複雑な立場だ。

オバマ大統領の広島訪問について、安倍総理は「日本は唯一の戦争被爆国として核兵器の廃絶を一貫して訴えてきました。」と発言していたが、本当にそう言い切れるか。

去年、国連総会で核軍縮に関する作業部会の設置が、国連加盟国のおよそ3分の2にあたる138か国の賛成で決まったが、アメリカの「核の傘」の下にいる日本は、採決を棄権した。核兵器の法的禁止を目指す動きがあることから、アメリカなどが反対したことに配慮した判断だ。

更に同じく去年の8月6日の広島の平和記念式典での安倍総理の挨拶も物議を醸した。1994年以降、式典に列席してきた歴代の総理が必ず触れてきた「非核三原則の堅持」という文言を盛り込まず、被爆者らから批判の声が上がった。

「今回の訪問を、すべての犠牲者を日米で共に追悼する機会としたいと思う。」

オバマ大統領とともに広島を訪れる安倍総理はこう述べた。

アメリカの大統領の訪問を日本政府としてどう捉え、今後、核を巡る問題においてどのような立場で行動していくのか、国際社会で「唯一の被爆国」と言うなら何をすべきなのか、今回の訪問は日本にとってもそれらを再考する重要な機会だ。

オバマ大統領の広島訪問の日が近づくにつれ、被爆者や家族、遺族らからは様々な反応が聞かれる。

被爆者である母親、叔父、叔母の遺影を持って当日広島入りしようと決めた奈良県の男性もいる。東京の男性も、原爆で父親を亡くした広島の母親に、今回初めてじっくり核についてどう思うのか、アメリカに対してどんな感情を持っているのかを聞いたという。原爆投下は、確かに71年も前の出来事だ。しかし、原爆に関わりを持つ広島、長崎の人々にとっては、まだ「過去」や「歴史」と簡単に割り切ることは難しい。肉親を無残に失った悲しみ、放射線障害という未知なる病との闘い、被爆者に向けられた壮絶な差別、どれもまだ終わった問題ではない。

「オバマ大統領の謝罪は必要ない。」

インタビューに答える広島の人々、被爆者の中にもこう話す人がいることに驚く人もいるかもしれない。しかし当然、「謝罪はいらない」=「許し」「未来志向」という単純な構造でもない。言葉の陰には、様々な思いが隠れている。

「憎しみだけでは生きてはいけなかった。」

「謝罪が広島訪問のハードルとなるなら、それを求めることは得策ではない。」

「これまでアメリカは広島の被害に目を向けなかった。ただ慰霊してくれるだけでも、大きな一歩だ。」

戦後71年、広島・長崎では、偏見や差別に晒されることをも恐れず、自らの体験を語り、核兵器廃絶を訴えてきた被爆者たちがいた。

「語り部」として子どもたちに証言を続けた人、被爆者運動の先頭に立った人、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念もない時代、自らの壮絶な体験を伝え続けることは、容易ではなかった筈だ。それでも語り続ける原動力を尋ねると、多くの人が「もう他の誰にも自分のような思いをさせてはならない。」と言った。

「広島で何があったのかを知れば、核兵器を使うことの愚かさは伝わるはずだ。」

その思いが被爆の記憶を繋いできた。

しかし、現在被爆者の平均年齢は80歳を超えており、活動に力を入れていた被爆者たちの中には、この数年で鬼籍に入った人も少なくない。

「いつかホワイトハウスに行って、自分の体験を伝えたい。」と言っていた被爆者の女性もいた。既にその女性はこの世にはいないが、もしアメリカの大統領が広島を訪れると伝えることが出来たら、どんな言葉が返ってくるだろうか。

アメリカの意図、これまでの歴史、アジア諸国との関係…。今回の訪問は、様々に批評されるだろう。しかし、より多くの日本人に核をめぐるこの歴史的な瞬間について、自分自身でその意味を考えてみてほしい。

 


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