潘基文氏は国連で何をしたのか その4 日本への敵意や反感
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
だからこそ米欧の主要ニュースメディアには潘基文氏自身を厳しく非難する次のような見出しの記事や論評が出たのも自然だといえよう。
「潘基文はどこにいるのか? 国連事務総長は透明人間か。お粗末なコミュニケーター」(ニューヨーク・タイムズ紙)
「潘基文のパフォーマンスに不安が高まる。戦後最悪の国連事務総長か。英語能力に欠陥」(ガーディアン紙)
「潘基文は国連で失敗した。森の中ですでに倒れた木。辞任すべきだ」(ニューズウィーク誌)
「指導力のない総長が国連を空洞にする」(ロイター通信)
「最も退屈、最も有害な国連事務総長」(エコノミスト誌)
こんなひどい描写なのである。ここまでみてくると、潘氏への国際的評価というのはもう悪い方向でこれ以上、揺らがないという地点まできたといえよう。
一方、対照的なのは韓国内部の反応である。そもそも潘氏の国連への登場自体が韓国の官民あげての国威発揚運動の結果だった。だから潘氏が国連事務総長に選ばれたこと自体を韓国代表の国際舞台での画期的な活躍とみる。潘氏を評して「世界大統領」などと呼ぶ人たちもいるという。
また潘氏の故郷の忠清北道では彼の生まれ育った環境での風水とか運勢占いを調べ、自分たちの子供にあやからせようという住民たちの動きも後を絶たないという。なにしろ韓国での潘基文氏は次期の大統領選候補でもあるのだ。「韓国が生んだ最も偉大な国際リーダー」とか「世俗版のローマ法王」という絶賛もあるのだという。
さて冒頭で提起した二つの視点のうちの第二、日本にとっての潘基文国連事務総長とはなんだったのか、を論じよう。この点が本稿の中心部分だともいえる。日本の外交、対国連政策からみての潘総長の評価である。
なにがなんでも反日という傾向の強い韓国という国から国威発揚のために国際的な場に登場してきた韓国人代表が日本に対して好意的な態度をとるはずがない。中立や客観という立場さえとらないだろう。逆にその国際的な立場を利用して、ことあるごとに日本叩きを実行するだろう。
韓国のお国柄を知ってまず浮かぶのは以上のような考えである。この予想通り、潘総長も国連での立場を利用するかのように日本に対しては否定的な言動を頻繁にみせた。
その代表的な実例は2015年9月3日の出来事だった。藩総長は中国政府主催の「抗日戦争勝利70周年記念」の式典と軍事パレードに出席したのだ。反日を国是に近いところまで押し上げた中国共産党政権が日本を標的としてあえて開く行事だった。主舞台は北京の天安門である。
歴史をさかのぼるとはいえ「日本への勝利」を祝うのだから、いまの日本への敵意や反感がにじむ。そんな行事に本来は加盟国すべてに中立であるべき立場の国連事務総長が堂々と姿をみせたのだ。
アメリカもこの「対日戦勝記念行事」自体に反対だった。いわゆる自由民主主義陣営はこぞって背を向けた中国主催の行事だったのだ。韓国の大統領の参加は数少ない例外だった。
中立であるべき国際機関の事務責任者が、日本を明らかに標的とした政治色濃厚なこの行事に参加したのだ。だから物議をかもすこととなった。
日本政府は国連事務総長がこの式典や軍事行進に出席する見通しとなったことに事前に抗議した。日本だけでなく、アメリカなどからも批判が表明された。だが藩氏は、日本政府の抗議に対して「国連は中立ではなく公正で不偏なのだ」などとわけのわからない反発の言葉を述べるだけだった。
藩総長は2013年8月にも、ソウルでの記者会見で日本を一方的に批判した。日韓両国間で歴史認識や他の政治課題による緊張が続いていることに関して、「日本政府や政治指導者は深く自らを省みて、未来志向のビジョンを持つことが必要だ」と日本を非難したのだ。このときも日本側では官房長官や複数の閣僚が抗議した。
(その5に続く。全5回。毎日11時に配信予定。この記事は月刊雑誌「月刊HANADA」2016年10月号からの転載です。)
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。