大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
フィリピンのドゥテルテ大統領が10月18日から21日までの4日間に渡る中国公式訪問を終えて帰国した。20日に北京で習近平主席との首脳会談に臨んだほか、同行した閣僚、経済界代表らも中国側から「熱烈歓迎」を受け、総額240億米ドル(約2兆5000億円)にも上る巨額の経済援助という「手土産」を携えての帰国となった。
20日午後のビジネスフォーラムの席でドゥテルテ大統領は「軍事的にも経済的にも米国と決別する」と発言。アーネスト米大統領報道官が「(米国とフィリピンの)両国関係に不必要な不確実さをつくり出している」と素早く不快感を示した。25日からの訪日で日本政府も日米同盟関係の重要性から「米国との決別を表明した」ドゥテルテ大統領にどう対応するべきか頭を悩ませる事態となっている。
ところが(というか十分に予想されたことだが)、フィリピンに帰国後の21日深夜に行った記者会見でドゥテルテ大統領は「自分の言いたかったことは、外交政策を(米国から)離すこと」であり「米国と関係を断ち切ることではない」と前言を修正、釈明した。そのうえで「(米国との)関係を維持することは我が国最大の利益である」とまで言い切り、対米関係が基本的に大きく変化することがないことを強調したのだった。この「豹変」に「親米のフィリピンを親中に変えられそうだ」と思い込んだ中国側が苦虫を噛み潰していることは十分考えられる。
■中国国内でも中国批判の声
その中国国内では、懸案の南シナ海問題でフィリピン側の大幅な譲歩を引き出せず、「中国の権益を退けた仲裁裁判所の裁定の棚上げ」で合意するにとどまったにもかかわらず巨額の経済援助を約束したことに批判が噴出している。親米のアキノ前政権時代から続けてきたフィリピンへの経済制裁という政策の転換に対し「税金をまた大盤振る舞いした」などと中国政府の姿勢に批判的とみられる声がネットに相次いであがっているのだ。
これは24日から予定される中国共産党の党中央委員会第6回全体会議(6中全会)で、自らの政権基盤を盤石にして反習勢力を完全に封じ込めることを企図しているとされる習主席にとっては喜ばしい事態でない。しかし国内問題が最優先であり、フィリピン問題は当面は静観するしかないだろう。中国側がそれなりに評価しているとされる南シナ海問題の「棚上げ」だが、今後どこでどうドゥテルテ大統領が「修正、釈明、翻意」するかも不透明である。
今回のドゥテルテ大統領の訪中は、当初東南アジア諸国連合(ASEAN)域外国として日本を初訪問する予定だったところを、「日本より先に中国を」と中国側がフィリピン政府に強力にプッシュした結果実現したものといわれ、「6中全会直前という前例のない時期の訪中受け入れ」(中国ウォッチャー)でもあった。
それだけに中国側は異例の歓待で迎えることで「初の訪問国」という中国の面子を勝ち取り、国際社会を敵に回している南シナ海領有権問題で「当事国との2国間協議に解決を委ねる」という成果を得る目算だった。そのために、大盤振る舞いの経済支援を準備し、それに応じるようにフィリピン側も大統領に同行する経済界代表の派遣規模を当初の約20人から200人以上に拡大したのだった。
▪️巨額の経済支援にしてやったり
ドゥテルテ大統領はこうした中国の「腹の中」をある程度読んでいた節があり、訪中前には「南シナ海問題には触れない」と発言して中国側に期待を持たせた。ところが中国へ出発する直前の10月16日には「我々の主張を通し、取引はしない」との発言で姿勢を軌道修正させた。この背景にはフィリピン最高裁が「領土問題で譲歩することは弾劾に問われる可能性がある」とドゥテルテ大統領が中国側に完全に取り込まれることに釘を刺したことも影響していたとされている。
この時点でも中国側は「巨額の経済援助を餌にすれば何とかなる」と思い込んでいたことだろう。「最善は2国間協議で解決を目指すことへの同意を取り付けること」として水面下での交渉と調整が首脳会談直前まで行われた。しかし、首脳会談の結果は南シナ海問題の「棚上げ」で、中国側には不満の残る、フィリピン側には「してやったり」の合意と言える結果だった。なにせフィリピン側は貿易、投資、農業、観光、麻薬対策、海上警備など計13件の文書の署名に漕ぎつけ、多額の経済支援、援助の獲得に「成功」したのだ。
そして中国滞在中の「米国との決別発言」と帰国後のその修正という一連の流れだが、これもシナリオ通りなのか行き当たりばったりなのかは不明だが、これまでのドゥテルテ大統領の発言の経緯をみれば十分に予想できることでもあった。これを「外交上の勝利」と見るか、「中国側に首根っこを押さえられた」と解釈するか、今後の成り行きを見守る必要があるだろう。
▪️試される日本外交の力
ドゥテルテ大統領の対米路線がどこまで強硬で、フィリピンと米国との同盟関係は今度どうなるのか、という難しい「瀬踏みと真意の所在」が実は25日から訪日するドゥテルテ大統領を迎える日本に米国などからは期待されている。
習主席との握手の際に「ガムを噛んでいるのではないか」とその外交的非礼を指摘し、訪日中に予定される天皇陛下との会見に「よもやガムを噛んで臨まないだろうか」などとマスコミや外務省、宮内庁の心配と関心はドゥテルテ大統領の心中ではなく口中に集中している。「もしガムを噛んでいたら、会見直前にお願いして捨ててもらえば済むことではないか」とフィリピン人記者はなんでそんなことが話題になるのかといぶかる。
重要なことは安倍首相との首脳会談で協議されることが確実な南シナ海問題である。ドゥテルテ大統領は首脳会談で「(南シナ海問題を)平和的に話をして、課題を解決して、良い方策を考え出すことで合意できる」とすでに日本に牽制球を投げてきている。これを額面通りに受け取って「合意」に達すれば、「フィリピンとの間で(南シナ海問題で)課題を抱える中国」の立場を微妙にする結果ともなりかねず、果たしてフィリピンがそこまで本当に踏み切るだろうか。
日本側としては同海域での法秩序の重要性を強調して国際社会の一員としてフィリピンが行動することを求め、そのうえで日米同盟と同様に米国との同盟関係の重要性も強調するだろう。
しかし首脳会談での成果が表明的な外交辞令の範囲内にとどまれば、中国は胸をなでおろし、米国は日本の「突っ込み不足」に不満を抱くことは確実だ。さらにドゥテルテ大統領が安倍首相との首脳会談などの場での発言を、今回の訪中と同様にフィリピン帰国後に得意の「修正、訂正、釈明、場合によっては前言撤回」する可能性も否定はできない。
中国での対米発言を事実上軌道修正したように、日本での対中発言を軌道修正することで米国、中国という大国の狭間でしたたかに、融通無碍に、そしてある意味無節操に立ち回り、漁夫の利を得るのがドゥテルテ流の真骨頂なのだから。
これまで人権無視や差別意識をむき出しにした暴言などから「フィリピンのトランプ」と称されてきたドゥテルテ大統領。しかし本家本元の米共和党の大統領候補であるトランプ氏の支持率はこのところ常に対抗馬の民主党のクリントン候補の後塵を拝し、国民全体の過半数には届いていない。これに対し、「フィリピンのトランプ」は国民の80%以上の強力な支持を得ている。それがドゥテルテ大統領の強みであり、原動力でもあるのだ。
そんなドゥテルテ大統領に対し、安倍首相の力量と度量が試される首脳会談になりそうだ。
この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。
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