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.国際  投稿日:2016/8/4

フィリピンのトランプ、人権どこ吹く風 麻薬犯罪者240人殺害される


大塚智彦(Pan Asia News 記者)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

フィリピンの「トランプ」ことロドリゴ・ドゥテルテ大統領(71)が6月30日就任から1カ月を迎えた。大統領選の期間中から麻薬犯罪者に対する容赦のない殺害を容認するような「過激な発言」を繰り返し、米大統領選で共和党の大統領候補に指名されたドナルド・トランプ氏になぞらえて「フィリピンのトランプ」あるいは「処刑人」「ダーティ―ハリー」などと呼ばれ、国内外の注目を集めてきた。

米大統領選も当初、不規則発言を繰り返し政治的手腕のないトランプ氏の出現に戸惑いながらも、米社会そして共和党自体も「話題つくりの候補」程度にしか注目していなかった。ところがあれよあれよという間に共和党支持者の中で支持が拡大し、11月の大統領選でクリントン民主党候補と直接対決する本物の大統領候補になってしまった。

元検事のドゥテルテ氏も南部ミンダナオ島のダバオ市長を22年間務めるという地方行政経験はあるものの国政レベルの経験は皆無で、大統領選では上院議員や副大統領経験者、内務自治大臣経験者という知名度、政治経験豊かな対立候補を抑えて2位に600万票以上の差という圧倒的支持での当選を果たした。

ドゥテルテ新大統領にフィリピン国民が期待したのは既存の政治を打破する新鮮さと深刻な社会問題となっている麻薬関連犯罪への対処にほかならなかった。ドゥテルテ大統領はダバオ市長時代、麻薬犯罪者、密売人、使用者などを殺害する「闇の処刑団」と称される自警団の活動を“黙認”していたといわれている。司法手続きを無視した処断は違法であり、重大な人権問題である。しかし、そうした常識論は、麻薬犯罪の激減と治安状況の好転で日常生活が改善したダバオ市民には「馬耳東風」でしかなかった。

大統領選はいわばそのダバオ市民がドゥテルテ市長によって得た「生活環境、治安の改善」を全国民が享受したい、という願望が根底にあり、そうした劇的な変革は副大統領経験者や上院議員、大臣経験者などの政治エリートには期待できないという民意の反映でもあったといえる。こうしたフィリピン国民の既成政党、著名政治家への「反発、反骨」は過去にも「貧者のための政治」を掲げた俳優のジョセフ・エストラーダ氏を大統領に選んだ(1998年)実績がある。

7月25日、「規律があり、情報に通じた、そして協調性のあるフィリピン国民に告げる」と切り出した初めての施政方針演説でドゥテルテ大統領は犯罪対策、特に麻薬犯罪対策に真剣に取り組むこれまでの姿勢を改めて強調した。演説では「この対策が後退することはない。麻薬密売組織のボス、密売人を一人残らず刑務所に入れる。刑務所より墓場がいいか」などとドゥテルテ節がさく裂、麻薬犯罪に対しては「減少ではなく撲滅」を目指す徹底的な姿勢を示した。

一カ月で240人が殺害、12万人が出頭

麻薬犯罪に関わる犯罪者、麻薬常習者に容赦ない姿勢を示していたドゥテルテ氏が大統領に就任したことで、麻薬に関係するフィリピン人たちは恐慌に陥った。大統領選の終了後の5月10日から約1カ月の間に29人が警察官によって殺害されたのだが、大統領に就任した6月30日から7月30日までに1カ月にフィリピン全土で殺害された麻薬犯罪者は実に240人に上る(別の統計では293人とも)。この数字以外に警察官以外によって殺害された麻薬関連犯罪者とみられる数はかなり多いと言われているが、正確な数字は把握されていない。

こうした「お墨付きの問答無用の殺害」が横行するに至り、「殺されてはかなわない」と警察署に自首した人がこの1カ月で12万人に達したというのだ。うち7万人は麻薬の売人で残る人の大半が麻薬常習者だというから、ドゥテルテ大統領の強硬策が功を奏していることが裏付けられている。

こうした麻薬犯殺害は単に警察官だけでなく麻薬犯を知っている、発見した一般市民にも「行動すること」を求めている点も問題であると、キリスト教マニラ教区関係者や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などは指摘。そして「犯罪者を矯正するのに犯罪をもってしてはならない」「犯罪は司法によって裁かれるべき」と大統領を厳しく批判している。

ドゥテルテ大統領は麻薬組織幹部の殺害に約700万円、麻薬密売者に約500万円、麻薬組織構成員に約200万円と殺害ターゲット別の報奨金を用意するとし、警察官、一般市民の麻薬犯罪者殺害を“奨励”している。これに対し、麻薬組織も黙っておらず、ドゥテルテ大統領の暗殺に約1億円の懸賞金をかけたと言われている。

麻薬犯罪が減少する傾向をみせる中で、フィリピンの麻薬関連の犯罪者、麻薬使用者は今「殺すか殺されるか、さもなければ自首するか」という事態に追い込まれている。これもある意味では「ドゥテルテ効果」といえるだろう。

ハネムーン期間終了迄はお手並み拝見

ドゥテルテ大統領は麻薬犯罪対策以外にも施政方針演説では反政府武装闘争を続ける新人民軍などに対し「我々は平和を求めている。」と突然平和交渉の開始を表明した。

国際社会が注目した中国と領有権争いをしている南シナ海問題でオランダの仲裁裁判所が「中国の主張に法的根拠はない」との裁定を下したことについては「平和的解決に向けて進めている取り組みに重要な貢献を果たす」とわずか30秒触れただけだった。

さらにフィリピンを連邦制に移行させる方針を示したほか、首都圏の渋滞解消に向けたインフラ整備、国民保健制度見直し、インターネット環境の整備などにも積極的に取り組む姿勢を表明した。そして最後に「我々はお互いに助け合わなくてはならない。フィリピンがいい国になったというのはそれからだ」と締めくくり、国民に協力を呼びかけた。約1時間半に及ぶ長い演説は国民の心に「大統領選での選択が間違いではなかった」ことを再認識させるには十分だった。

6月30日の大統領就任式も歴代の大統領のような華美で派手な演出を控え、招待者600人のみで質素に行い、7月25日の施政方針演説も出席者に簡素な服装を求め、自らも白シャツ姿で登場。演説でもこれまでの大統領のように「過去の大統領の批判」を一切口にせず、「過去より今、将来」に目を向ける姿勢が共感を呼んだ。

もっともドゥテルテ大統領は就任前の公約通り記者会見を拒否しており、週末にはダバオに戻る生活を続け、「朝早くから起こされて仕事するのは向いていない」「仕事量と報酬が見合っていない」と言いたい放題も相変わらずだ。

国民の圧倒的支持を得て大統領に当選し、その後も危なっかしいながらもそれなりにかじ取りに邁進しているドゥテルテ大統領に国民の期待と支持は相変わらず高い。このため議会や軍、ビジネス界としては、麻薬犯罪に対する大統領の強硬姿勢への批判はとりあえず封じ込めて「就任100日まではハネムーン期間、とりあえずお手並み拝見」と静観しているのが現状だ。


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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