究極の「負け惜しみ」 朝日の総選挙評
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・朝日新聞が総選挙後「一強政治 見直す機会に」との評論記事掲載。
・記事は、総選挙で現状の変化を求めない民意が証明されたのも拘わらず、安倍首相は「変化を求める民意の兆し」を感じたはず、とした。
・朝日新聞の総選挙に関する報道や評論がこれで良いのかとの疑問が提起された。
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今回の総選挙は改めてニュースメディアのあり方に鋭利な光を当てた。総選挙の報道や評論がこれでよいのか、という疑問が再度、提起されたわけだ。
今回の選挙報道でも党派性を最も顕著に発揮したのはやはり朝日新聞だろう。選挙キャンペーンの前も最中も、安倍晋三首相の率いる自民党への反対は陰に陽に、一貫していた。とくに安倍氏個人への批判や非難はあからさまだった。
新聞の機能には報道と評論の二つがある。報道はニュースのお知らせ、実際に起きた出来事をできるだけ客観的に、事実に沿って報じるのが報道である。これに対して新聞社自体の見解をも含めて、意見を紹介するのが評論である。この評論には客観性がなくてもよい。自分の意見を主観的に述べるわけだ。
だが現実には新聞各紙ではこの報道と評論の区分は曖昧である。客観的なニュースのお知らせのなかに、きわめて主観的な偏見や差別が入り混じるという新聞記事の実例は数限りない。だがそれでも新聞の側はこの報道、評論の区分、客観、主観の区別をつけることにベストの努力は試みるべきだろう。
さてこんな基準を念頭にして眺めると、今回の選挙報道では朝日新聞の偏向が極端に突出していた。病的にも映る自民党忌避、安倍嫌いが紙面の全体に満ち満ちていたのだ。その結果、自民党や安倍首相にとって有利になりうる出来事は事実でも、重要でも、無視、軽視する結果となる。
この偏りを最もあからさまに感じたのは、おもしろいことに総選挙結果が判明した後の朝日新聞代表の評論記事だった。日本国民の大多数が安倍首相の自民党を支持する審判を下した後のはずなのに、いかにもまだその審判が下されていないかのような内容の評論なのだ。自分たちの思いどおりには選挙は展開しなかったことを認めたくない幼稚な苦情を感じさせられた。
朝日新聞10月23日朝刊の一面に堂々と載ったこの記事は「ゼネラルエディター兼東京本社編成局長 中村史郎」という筆者名だった。編成局長というのはおそらく従来の編集局長、いわば紙面作成の最高責任者とみてよいのだろう。ちなみに私はこの中村氏を個人的に存知あげている。十数年前、北京在勤中の特派員同士だった。なかなか感じのよい、さわやかな記者だった。だがそれとこれとは別であること、言を俟たない。
この総選挙総括の記事(リンクはWeb版)はまず「『1強』政治 見直す機会に」という見出しだった。この記述では選挙の前の記事を思わせる。いまの自民党政権の政治を「1強」と評すことの適否はともかく、現状を見直す機会に、という意味だろう。だったら当然、これからの選挙にのぞむ、というスタンスを思わせる。だが実は選挙が終わっての総括なのに、いかにも日本の政治をこれから「見直す機会に」というのだ。選挙結果を素直に認めたくない悔しさが露骨である。負け惜しみとは、こういう態度を指すのかとまで感じた。
記事の内容を紹介しよう。
≪国政選挙で連勝街道を走ってきた安倍晋三首相は、今回も圧勝した。しかし、内心苦い思いが残ったのではないか。首相は「まだ私は自民党に厳しい視線が注がれている」と認めた。「安倍1強」の変化を求める民意の兆しを感じたに違いない≫
以上が書き出しだった。安倍氏は「圧勝」したのに、「内心苦い思いが残った」というのだ。
なぜそんな断定ができるのか。だれでも圧勝すれば、うれしいだろう。だがそうではないと断じる中村記者の「苦い思い」が伝わってくる自己閉塞ふうの記述である。
そのうえで「『安倍1強』の変化を求める民意」だというのだ。いまの政治状況を「安倍1強」と評するのは朝日新聞の反安倍、反自民党のスタンスからの主観的な描写である。こんどの選挙で問われたのは当然ながら政治の現状だった。その現状を国民の大多数が認めたのだ。現状の変化を求めない民意が証明されたのだ。
つまりは「安倍1強」なる状況の変化を求めない民意の表明がこんどの総選挙の結果だったのだ。であるのに「変化を求める民意」を強調するのは朝日新聞の単なる願望に過ぎない。客観的な論拠はない。
さらに続きを紹介しよう。
≪首相自らが招いた逆風下で、安倍政治そのものが問われた選挙だった。(中略) 「安倍ブランド」にかつての強さはない。(中略) 有権者は引き続き自公に政権を託したが、一方で長期政権に対する飽きや嫌気を感じている≫
これまた矛盾だらけの記述である。「安倍ブランド」はいま国際的にも強いではないか。有権者が「長期政権に対する飽きや嫌気を感じている」ならばなぜその大多数がその長期政権への票を投じたのだろうか。そもそも中村記者が断定する有権者全体の「飽きや嫌気」の存在はどんな根拠からなのか。ただ自分の願いだけ、悔しさだけからの記述ではないのか。
≪圧倒的な与党の議席獲得と、民意のバランスや濃淡とのズレが、広がっているのだ。首相は、まずその現実を認識する必要がある。おごりやひずみが指摘され続けた「1強」政治を続けるのか。政治姿勢を見直す機会とすべきではないか≫
これまた一方的な無根拠の主張である。現実には民意の結果が与党の議席獲得なのである。民主主義の選挙の真実だろう。だが中村記者はその真実を認めない。むしろ真実を逆転させ、勝手に「ズレ」を主張する。ズレを語るならば、ぜひとも朝日新聞と民意とのズレを考えてほしい。
▲写真 朝日新聞本社(東京中央区) Photo by PRiMENON
中村記者はさらに今回の選挙を安倍首相の政治姿勢を見直す機会にせよと求めるが、これまた異様な倒錯である。政治姿勢を見直す機会がこんどの総選挙だったのだ。国民の審判が少なくともいま下ったのである。その「結果」を「機会」と位置付ける中村記者のスタンスはまさに主客転倒だろう。
≪反省、おわび、謙虚、丁寧な説明・・・・。首相はこう繰り返したが、これから言行一致が問われる。(中略) この先の民意の行方を首相が読み誤れば、もっと苦い思いをすることになるだろう≫
以上がこの記事の結びだった。中村記者はあくまで今回の選挙結果を論じることを避け、「これからの言行一致」へとホコ先を転じる。首相への民意の支持が証明された直後に「この先の民意の行方」だけを論じる。首相が明らかに苦い思いを減らした選挙だったのに、「もっと苦い思い」を根拠もなく強調する。
それほどまでに自分たちの非や負を認めたくないのか。敵の勝利を認めたくないのか。一瞬でも、朝日新聞こそが「民意の読み誤り」や「もっと苦い思い」を味わうべきだという自省はわかないのだろうか。
トップ画像:衆院選2017 遊説中の安倍首相 出典/自民党Facebook
【訂正】2017年10月26日
本記事(初掲載日2017年10月25日)の本文中、「おこりやひずみが指摘され続けた「1強」政治を続けるのか。」とあったのは「おごりやひずみが指摘され続けた「1強」政治を続けるのか。」の間違いでした。お詫びして訂正いたします。本文では既に訂正してあります。
誤:おこりやひずみが指摘され続けた「1強」政治を続けるのか。
正:おごりやひずみが指摘され続けた「1強」政治を続けるのか。
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。