パフォーマンス理論 その3 親
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
・子供の考えを尊重する家だったので1人で決断する癖がついた。
・親は理想の生き方を自分の人生で生きて、子供に見せるのがよい。
・子供の成功には親の影響は大きいが、一方で結局本人次第。
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選手のパフォーマンスには当然、遺伝や生育環境など親の影響が相当にあると思われるのでテーマとして取り上げてみたい。とはいえ、どこまでが遺伝的要因で、どこからはそうではないかと分けるのはとても難しいので踏み込まず、あくまで私の体験から親からどんな影響を受けたと感じ、それが競技にどう影響したと感じているかを考察してみたい。
内容に入る前に私の家庭について。広島に生まれ育ち、父親はサラリーマンで、母親は専業主婦、姉と妹の五人家族だった。一般的な家庭だったと思う。習い事もいくつかやったが小学3年生で陸上に出会ってからは夢中になり、それ以降は陸上の世界に入る。姉も妹も陸上をやり、姉は全国に出るようなレベルまでいった。両親ともにスポーツをしていたが目立った成績はない。
父親は野球で途中から陸上、母親は陸上。父親は当時の野球部の先輩後輩文化が嫌で個人競技の陸上に来たそうで、性格は多少父親のものを継いでいるように思う。私の骨格は母親に似ていて母親は筋肉質だ。父方の祖母は陸上の大会で県で上位に入ったことがあったらしいが、祖父は運動音痴だ。祖母の弟に今西和男という元サンフレッチェの総監督がいる。
私の家にはそれほど教育方針はないと思って育ったが、大人になってから家の話をすると、子供の決定を尊重される家だったんですねと言われることが多かった。例えば、高校、大学を決める際に全く親には相談しなかった。全部自分で決めてそれから伝えて、あとは経済的に問題ないか、どういう手続きをすればいいかを話すだけだった。そういうことが多かったので、大事なことを決める時には必ず一人で決めるという癖がついた。
これはかなり私の人生に影響を与えている。私は自立心が強いが、それもこの影響だと思う。わかりやすいところで言えば、指図されるのを嫌がる性格になり、またコーチをつけなくなった。自分の選んだ進学先で嫌なことがあって誰かのせいにしたくなっても、意思決定プロセスに自分以外が全くいないものだから責めようとしても自分しかいない。家で静かに下を向いて座っている母親に愚痴を言っているうちに、冷静になれば全部が自分の責任だということにはたと気付く。この繰り返しで、最後の最後は自分の人生の責任は自分で引き受けるしかないという感覚を強く持つようになった。
二つ目にうちの両親は生来の性格もあったかもしれないが、陸上を始めてからすぐに、頑張れとも、負けるなとも、こう走れとも、諦めるなとも言わなくなり、私の競技に口出ししなかった。スランプになってもメダルを取っても競技のことにはさほど触れず淡々としていた。父親は生前母親に、息子の人生の邪魔にならないようこちらはひっそり生きていこうと母親に言っていたそうだ。
自分の子供に才能があるとわかった瞬間にはどこの家でも興奮するようで、私の母親も私が運動会ですごい勢いで走るのを見てこれは大変なことになったと思ったそうだ。スポーツでは、親のこの興奮が止まらなくなってしまうことがよくある。次第に周りが見えなくなるぐらいはまり込み、子供の練習量が増え、大人顔負けで勝負に賭けるようになっていく。その状態が数年続くと、大体子供は心身ともにすり減って走れなくなっているのがパターンだった。子供心ながらに、子供より親の方が勝ちたそうだな、と思っていた。才能がある選手はサポートが足りなくて潰れるというより介入されすぎて訳が分からなくなって潰れるほうが圧倒的に多く、私はそれがなかったので運が良かった。
また特にスランプなどの苦しい時に乗り越えられたのは、一喜一憂せず淡々とこなしていたから続けられたことが大きいように思う。余談になるが、諦めやすい人間と諦めにくい人間の差を調べた実験ではリアクションが大きい人間の方が諦めやすいと出たそうだ。
三つ目に私の母親は何かにつけて人の話を聞いて感心する癖がある。孫に言われたことでも、誰に言われたことでもははーなるほどと言って感心する。これは母方の祖母もそんなところがあって、子供心ながらに人が話す話に耳を傾けて面白がって驚くのが当たり前だという感覚をもった。私はコーチをつけず一人でトレーニングをしてきたが、ほとんどの学習は人から学んだから、もし相手が教えたいと思えない聞き方だったり、または聞いている内容を素直に受け取れなかったら成長が鈍化していたと思う。
他人とコミュニケーションを取る能力は、競技人生の前半は(本当の天才ならずっと必要ないのかもしれない)さほど必要ないと思うが、レベルがあがり技術の伸びも鈍化し、細かな部分で差がつくあたりになってから、重要になる。他人に質問したり、他人が話している内容から学べる人間との差がここあたりでつく。
私は早い段階で世に出たこともありプライドが高いようなところがあったので、こうした母親の基本姿勢の影響を受けていることに支えられた。直接競技には関係ないが、私はこの傾聴力が競技の根本部分に影響を与えているように思えてならない。ちなみに読む方で行くと、寝る前の読み聞かせで私の言語能力の根幹ができたように思うので、うちの子にはだいたい毎日私か妻かが読み聞かせをするようにしている。
簡単にまとめてみると私に影響を与えたうちの親の特徴は、
・子供を個人として尊重する
・淡々として一喜一憂しない
・他人の話を感心しながら聞く
だろうか。ポイントはどれも親の教育方針として意識的に立てたものではなく、自然な振る舞いとして持っていたもので、結局はChildren see Children doなのだろうと思う。
念の為補足しておくと、おそらく全く違う育て方ですごい選手になった例もあるだろうし、統計を取ってみるとこれもまた違うだろう。また私自身の性格が普通ではないというのも認識しているので、このような選手にはこのような親の方針が合ったという一例として見ていただければと思う。
私なりの結論は子供が才能を持っていると思った時点で一番いい親の態度は、自分の人生に集中することだ。目標を持てと言っている親自身に目標がないこととを、子供はすぐ察知する。負けるなと言っている親が、ちゃんと勝負しているかを子供はちゃんと観察している。だから細かいことは言わずに、このように生きてほしいという生き方を自分の人生で生きて見せるのが一番いいように思う。
子供の成功には親の影響は大きいが、一方で結局本人次第ということでもある。本人が勝ちたくないものを勝たせることはできない。もちろん親の多大な助けはあったが、結局私は勝ちたかったから最後まで走りきっただけかもしれない。そして運よく途中で外部からの介入が少なかった。どんなに才能があっても本人が最後の最後まで行きたくなければ行けない。もったいないとおもうかもしれないが、それも本人の人生だ。結局なるようにしかならないのだろうなとも思う。
息子に姿勢を良くするように言っているが、私は考え事をする時にポケットに手を突っ込んで背中を丸めて歩く癖がある。ある日4歳の息子がポケットに手を突っ込んで背中を丸めて歩いているのを見て、いろいろ観念した。
(この記事は2019年1月20日に為末大HPに掲載されたものです)
トップ写真:親子のイメージ画像 出典:pixabay
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。