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.政治  投稿日:2020/3/27

任官拒否防大卒業生は非国民か


清谷信一(軍事ジャーナリスト)

【まとめ】

防衛大学「任官拒否」の卒業生35名は卒業式に出席許されず。

・防衛相、「任官拒否」者を卒業式に参加させぬ方針、問題なし。

・現役隊員を民間に出し、数年後自衛隊に戻す人事システム必要。

 

今年も3月22日に防衛大学の卒業式が行われたが、いわゆる「任官拒否」をした卒業生35名は卒業式に出席が許されなかった。このような差別は第二次安倍政権になってから始まった。そもそも「任官拒否」という言葉には差別や非難というネガティブなイメージが感じられる。

筆者は3月22日の大臣会見でこの問題を河野防衛大臣に質した。

Q:任官拒否については、第2次安倍政権から任官拒否を卒業式に参加させないというのは、いじめではないでしょうか。任官拒否をするということは、防衛大学校に入ってから、考え方が違うとか、自分が向いていないとか適性のこともあると思いますし、そういった人達をのけ者にする。卒業した人間を、やっぱりみんな一様にやるべきではないでしょうか。そういうふうには思われませんでしょうか。

A:特に思いません。

Q:先ほどの任官拒否の問題なのですが、任官拒否というのは非常にネガティブな印象を受けるのですが、これを変えるという御意志はございますでしょうか。任官拒否をした人達の中には、防大の中でのいじめ体質を嫌がったという人達はいらっしゃるんじゃないですか。実際問題、殴る蹴るは当たり前で体毛に火を点けるとか、風俗に無理やり行かせるとか、教官が主導して詐欺で200人の学生もやるとか、こんな連中と働きたくないと思うのは、やはり人情というところがあるのではないでしょうか。任官拒否を世の中で言う「いじめ」と非難する人が多いのですが、防大の方にもそういう色んな問題的な体質があるのではないですか。その改善等をやろうという何か努力はなさっていますでしょうか。

A:当然にパワハラやいじめ、あるいは傷害というのは、厳罰をもって臨まなくてはいけないと思っております。

 

河野大臣の見解は「任官拒否」という言葉にも、「任官拒否」者を卒業式に参加させない方針も問題がないとの見解だ。

写真)河野大臣記者会見

出典)防衛省Twitter

 

だが、これでいいのだろうか。このような差別的な「任官拒否」に対する仕打ちは、防に入れば任官するが当たり前である、という無言の圧力を受験生に与えるだろう。任官しない人間を「非国民」呼ばわりして卒業式にも出席させないという差別を続けるならば、それは戦時中に徒党を組んで女性のパーマや晴れ着を切って回った国防婦人会と同じメンタリティである。こういう卑劣なことをやっていれば優秀な学生を逃すことになるだろう。

「防大卒業後、任官しなくてもいい」というのは防衛省も定めたルールだ。任官しない理由はそれぞれだろう。入学して学んでみて、自分には適正がなかった、自衛隊が思っていたような組織ではなかった、在学中に別にやりたいとができた、あるいは後述するようないじめというもあるだろう。

そのように考えて任官を選ばずに別な進路を決めた学生を裏切り者扱いして、卑劣な仕打ちをすることは防衛省だけではく日本国の品格や常識すら疑われる

このような差別的な仕打ちは、任官拒否なら金返せという世論を増やすことになる。だがそれは非常に短絡的である。軍隊も自衛隊も定年までに術学校や幕僚指揮課程など隊内の学校や教育課程で何度も学ぶことになる。幹部(将校)は士官学校(防衛大学)を卒業したら教育が終わるわけではない。また任官すれば金を返さなくていいならば、着任初日で止めても文句は言えないことになる。また経済的に余裕がない家庭の師弟は防衛大を回避するようになるだろう。

その理屈ならば、自衛隊に入った人間は定年まで勤めないと何がしかの教育にかかった費用を返還しないといけなくなる。そもそも防衛大学の学生は職業として学んでいるわけで、それを返せというならば自衛隊を途中で辞める人間はそれまでかかった人件糧食費や教育費用を返さないといけないことになる。

 

元防衛大臣だった中谷元議員も尉官で退職している。彼は政治家になって、防衛大臣を務めた。そのような多様性や個人の選択の自由を否定することになる。定年までそのようにして縛るは民主国家とありようとは言えない。

写真)中谷元防衛大臣

出典)Jonathan R. Kulp, U.S. Navy

 

任官しない理由には大臣会見でも質したいじめの問題がある。防衛大学では殴るけるは当たり前の旧軍同様に陰湿ないじめが恒常化している。更には陰毛に火を付けるとか、風俗に行くことを強要されたり、これはいじめではなく、犯罪である。挙げ句は教官が始めた詐欺に200人もの学生がグルになったとかの事件まで起こしている。ところ防衛大ではその犯罪を組織的に隠蔽する体質がある。だから教官が始めた詐欺に200名もの学生が手を染めるのだ。普通の大学ではありえない不祥事だ。

防衛大は全寮制、つまり密室社会だ。だから陰湿ないじめが起こりやすい。そしていじめや犯罪を咎められない雰囲気がある。いうならば看守も囚人もぐるになったような社会だ。このなかでいじめや犯罪に異を唱えるのは大変勇気がいる。できない学生が大部分だろう。そしてそれが「当たり前」となって社会の規範から外れたモラルを持つようになる。

このような閉鎖社会では自分たち「常識」こそが常識であり、それを否定するものは敵として攻撃や排除の対象となるからだ。防衛省、自衛隊はこういう事に関する告発や訴えを黙殺、あるいは被害者を「敵」と認定して排除する組織なのだ。

 

防大だけではない。自衛隊も同じだ。いじめによって多くの隊員が追い込まれ、退職を余儀なくされている。海自ではいじめで幹部を自殺に追い込んで、それを組織的に隠蔽するということを平気でやっている。仮に問題がバレても極めて軽い罰則ですませることが多い。一般社会のモラルが通じない社会になっている。

まともな神経と常識をもった人間であれば、このような組織に一生を捧げようとは思わないだろう。まして国防に身を捧げようと希望に燃えた正義感の強い、本来幹部に必要不可欠な人材ならば尚更「任官拒否」を選ぶだろう。換言すればなんの疑問もなく、任官する人間は、いじめや犯罪に対して鈍感あるは是としているといえよう。

 

昨今女性用風俗経営していた海自の一佐が処分を受けたが、寧ろこういうことは口頭処分でもいいくらいだ。組織に与える影響は大きくない。寧ろ陰湿ないじめをやって連中や、それをもみ消そうとする犯罪行為やそれを組織ぐるみで隠蔽する人間こそ厳しい処罰を行うべきだ。ところが防衛省、自衛隊はこれを全力で隠蔽しようとしている。

自分たちの組織の論理は正しい、という独善的で反社会的な考え方が世間の目の届かない閉鎖社会に蔓延すると組織が腐ってくる。そして思考が硬直して、組織防衛を優先する自分たちに甘い組織なる。自分たちは常に正しい、異論を唱えるやつは排除する、それが防衛省・自衛隊の体質となっている。

だから批判を避けるために、例えば装備行政などにして他国の軍隊ならば開示している情報含まで徹底的に、隠蔽する。自分たちに異を唱える連中は「敵」であると決めつて、タコツボに籠もって組織防衛に走るから何度でも同じ間違いを繰り返す。

このような陰湿ないじめを容認する体質は旧帝国陸軍と全く同じだ。旧帝国陸海軍が将兵のいじめをあたかも教育や文化のように考えていた。将兵には生きて虜囚の辱めをうけずと自殺を強要しておいて、連合艦隊の福留参謀長は捕虜になって後に帰還して、なんの咎めもなくしれっと勤務を続けた。こういう組織だったから、自己変革ができずに、状況が変わっても意識が変わらず空想的な作戦指導して無駄に将兵に被害を出し、敗戦に至った。

写真)陸軍大学校卒業生 1934年

出典)歴史写真会「歴史写真(昭和9年1月号)」

 

任官を拒否した学生には一定数自衛隊という組織に絶望した者が少なからずいるはずだ。これは彼らのせいではなく、防衛省、自衛隊が側の責任だ。その彼らに卒業式にでるな、金を返せと要求するのは筋違いも甚だしい。

旧軍の亡霊のような幹部を量産する防衛大学は廃止すべきだ。それで困ることはない。一般の大学後に幹部候補生学校に入るルートがある。防大出も優秀な人はいるが、得てして思考が硬直していて教養が低い、世間がせまい、教条的な人、常識がない。端的に言えば旧軍将校タイプが多い。筆者は長年海外の将官や将校と付き合ってきたが、それが正直な感想だ。専門の軍事に関してもお寒いレベルだ。かつて橋本首相は幕僚長たちに戦史の話を振っても誰もまともに答えられなかった。軍事的な教養すらも落第レベルだ。

教官の質も低い。1999年に防衛大学校の防衛学教官を中心とする十五人が分担執筆した「軍事学入門」(かや書房刊)が出版されたが、軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が間違いだらけと批判、改訂版がだされることになった。

 

田岡氏は具体的な間違いの例を幾つか紹介している。

「V・STOL空母のスキップ・ジャンプ台」(正しくはスキー・ジャンプ)。

「海軍力は潜水艦を除いて機動力は大きい」(今日、原子力潜水艦の機動力は水上艦より大きいし、第二次大戦中でも潜水艦の航続距離は長かった)。

「アメリカ・ロシア両国は戦略航空兵器として爆撃機と大陸間弾道ミサイル(ICBM)、中距離弾道ミサイル(IRBM)などの混合兵器体系を採用している」(INF条約でSS20、パーシングIIは廃棄され、米露はI/MRBMを保有していない)。

「(湾岸戦争で)ペトリオット部隊がスカッド・ミサイルの迎撃に成功した」(米軍はのち、「パトリオットはイスラエルの参戦を防いで政治的には成功した」とし軍事的には失敗だったことを暗に認めた)。

「トルコ艦隊とロシア艦隊のノシベの海戦」(正しくはシノプの海戦、ノシベはバルチック艦隊が停泊したマダガスカル島北西岸の島)などなどだ。概して言えば軍事史に関する誤りが目につく。

それだけではない。防衛省の広報誌でもトンデモな事が多々書かれていた。

 

「防衛大の陸戦史の教官が同誌に書いた僅か二ページのエッセーには「セルビア独立派の闘士がオーストリア皇太子を暗殺して」第一次大戦が始まった、など深刻な誤りが数か所もあった。社に送られてきたセキュリタリアンを見て、私が「これはこれは」と笑い出したら、側にいた同僚(全く軍事問題の専門家ではなく、スペイン圏と中南米が専門)が「何ですか」とのぞき込み「エーッ、第一次大戦はオーストリアとセルビアの戦争が波及して拡大したのですから、セルビアはとっくに独立していた。高校の世界史で習うことで常識じゃないですか、こんなことを防大の戦史の教授が書くんですか」とあきれていた」(田岡氏)

このようなお粗末の原因は論文などを書いても外部に発表してこなかったからだ。防衛学会とか、揚げ足を取らない防大生だけ相手にしていて、外部から目にさられていないかたから粗雑になった。

田岡氏は以下のようにも述べている。「陸の指揮幕僚課程の戦史の出題範囲を見てみると、「大東亜戦争、朝鮮戦争、中東戦争及び湾岸戦争」であるのも疑問のあるところだ。日本の戦国時代のこともナポレオンや南北戦争のことも知らなくてもよい、というのは不思議に思える。技術進歩や状況のちがいで戦争の手法は異なるから細部を学んでもそう参考にならず、浅く広く大づかみに原則を知る方が、短い期間だけを詳しく勉強するより有益ではない

この傾向は今も同じだ。それでいて自分たちは軍事の専門家というプライドだけは高い。寧ろ一般大学に防衛省の予算で軍事講座を作った方がよほどました。このような秘密主義による知性と専門能力の劣化は自衛隊も全く同じだ。その根底には防大の教育にあるのだろう。

 

一般大学の卒業生から幹部候補生学校にというルートだけで不安ならば大学に講座をつくって、米軍のROTCReserve Officers’ Training Corps)のようなシステムを導入していいだろう

更に申せば米軍のように現役の隊員を大学や企業に出して、何年か何年か後にまた自衛隊に戻すような柔軟な人事システムも必要だ。そうすればより視野の広い隊員が確保でき組織の文化も変わっていじめや、思考停止の現状墨守も減るだろう。また再就職の確保という点でも大きなメリットがあるはずだ。

まずは任官辞退者に「任官拒否」というレッテル貼りと、卒業式に出させないという政府によるいじめをやめるべきだ。今後若年層はますます減って社会の高齢化は進む。その時に防衛大学、自衛隊は閉鎖的で差別的だ、キャリアにつながらないとい若者に認識されれば、入学希望者が集まらずに質も低下して、「防衛大しか入れない」駄目な学生溜まり場となって自衛隊は自壊するだろう。

トップ写真)防衛大学校卒業式

出典)防衛大学校HP


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