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.国際  投稿日:2020/4/23

金正恩「重病説」の真の意味


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

金正恩「重病」情報が印象付けた事実が二つ。

・金氏が深刻な健康問題を抱えている事実と後継指名ない事実。

・日米韓は北の政権崩壊も想定し、対応策を考慮する必要あり。

 

アメリカから流れた北朝鮮の金正恩国家委員長の「重病説」は全世界に複雑な波紋を広げた。アメリカ政府は「真偽は不明」と評するのに対して、韓国政府は「とくに異常はない」とその情報を否定する。だがなお金委員長の消息が不明という状態は変わっていない。

しかし、この重大情報の真偽がなお不明のままに、アメリカの北朝鮮専門家の間ではその情報が期せずして印象づけた基本的事実が少なくとも二つ指摘される。金委員長が深刻な健康問題を抱えている事実と、北朝鮮最高指導部には政権継承の手順がいま存在しない事実である。

だから万が一、金委員長の健康状態に重大な問題が起きたとき、政権中枢の大混乱や政権崩壊までが考えられるということである。北朝鮮との関係を重視する側はそんな極端なシナリオまでをも想定しておかねばならない、ということだろう。今回の「金正恩重病説」は外部世界にそんな警告や教訓を期せずして発したということだろう。

「重病説」の背景をまず伝えよう。

金委員長が4月11日の平壌での労働党政治局委員会議を最後に動静が伝えられず、12日の最高人民会議を欠席し、さらには祖父の国父の金日成主席の誕生日である15日に錦繍山太陽宮殿での祝賀をしなかったことがまず異様とされた。

金委員長はこれまで一度も4月15日の祝賀を欠かしたことはなかった。父の金正日総書記の誕生日2月16日には祝賀の参拝を実行した。だから祖父の誕生日になにもしないという事態はあり得ないとされた。

▲写真 錦繍山太陽宮殿内に設置された金日成像(2000年7月19日)出典:Kremlin.ru

今回の「重病説」にはさらにそれなりの根拠もあるといえる。

2008年9月9日の建国60周年記念式典に当時の最高指導者の金正日総書記が欠席した。その結果、金正日氏の身に異変?という観測が広まった。金氏はそのほぼ1ヵ月前の8月13日に公式の場に姿をみせたままだったのだ。

金正日氏はその間、脳卒中で倒れ、手術を受けていたのだ。そして3年後の2011年12月には死去した。

息子の金正恩氏に関しても2014年9月3日以来、ほぼ40日にわたって公式の場に姿を現さなかったことから「健康不安説」が流れた。この時も実は金氏は痛風のため足の手術を受けていたことが後で判明した。

だが今回はまだ不明のままである。

そんななかでアメリカの北朝鮮研究専門家たちの間では金氏の「重病説」を踏まえて、アメリカや韓国、日本などが十二分に認識しておかねばならない事実を強調する向きがある。

そこで指摘される事実の第一は金正恩氏が間違いなく深刻な健康問題を抱えていることである。

アメリカ政府側ではこれまでも中央情報局(CIA)が主体となって、金正恩氏のプロフィール研究を積み重ねてきた。金氏の知的、精神的、肉体的な特徴や現状を詳しく調べる作業である。そんな作業は北朝鮮政権の極端な閉鎖性もあって、きわめて難しいわけだが、ときおり流れてくるそのプロフィール研究では、金正恩氏は重度の糖尿病や循環器疾患に悩まされ、その原因としては過度の飲酒、喫煙、過食などがあげられてきた。

CIAなどのこの種の領域での研究では金正恩氏の好むタバコや酒の具体的な種類から食事面での特定の好物までが列記されてきた。こうした研究の総括としては金正恩氏はいつ重病を起こしても不自然ではないという判断だったといえる。

いまの「重病説」の背景にはこうした実態が存在するのである。

第二の事実としては、金正恩独裁体制のいまの北朝鮮最高指導部が政権継承の手筈をなにも決めていないことがあげられる。

この点の指摘の代表例はアメリカ陸軍の対北朝鮮諜報活動に長年、かかわったデービッド・マックスウェル氏の論文である。同氏はワシントンの安全保障研究機関「民主主義防衛財団」の上級研究員で、この論文を4月21日に発表した。

▲写真 「民主主義防衛財団」のデービッド・マックスウェル上級研究員 出典:The Foundation for Defence of Ddemocracies

マックスウェル論文の骨子は以下のようだった。

・金日成氏は後継者として金正日氏を自分の死の20年前の1974年にすでに指名していた。金正日氏は後継者として自分の死の1年以上前の2010年に金正恩氏を指名していた。だが金正恩氏は後継者指名には一切、手をつけていない。

・金正恩氏は後継者としては妹の金与正氏を最近、要職へと昇進させ、自分の政権の継承を考えているようにもみえるが、公式の指名のような手続きはまったくない。このため金正恩氏の突然の重病や死去に際しては政権中枢部での混乱や衝突が予測される

▲写真 金与正氏(2018年2月10日 韓国・ソウル)出典:韓国大統領府ホームページ

・世襲の金政権では女性の最高指導者を認めるか否かは不明であり、労働党や人民軍の上層部では混乱や衝突も予測される。地方の党や軍の幹部が造反して、政権全体が機能しなくなる可能性も考えられる。この種の混乱が政権崩壊を招く可能性もあり、アメリカ、韓国、日本などはそういう事態を想定しての対応策の考慮が欠かせない。

以上のような側面の重要性を指し示すのが今回の「金正恩委員長重病説」の拡散の意味だというのである。

トップ画像:北朝鮮の金正恩委員長 出典:flickr; Democracy Chronicles


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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